第3章 浮遊都市

     1

 「あれが浮橋かあ……」

 ファータが面当てをあげ、呟いた。

 「確かに奇観じゃな」

 トトも感想を漏らす。

 地上からへ空に向けて一本の橋が伸び出ている。

 傾斜は少しずつゆるやかになり、海面からおよそ一キロセルウくらいの高さで平らになっている。そして、その高度のまま、ずっと隣の大陸まで続くのだ。むろん、橋を支える柱も梁も存在しない。ただ、薄いベルトのような橋だけが蒼い空に浮かんでいるように見える。

 この橋は大海の中央でストラジ大陸とアクティア大陸への二本の橋に分かれる。その分岐点には十万を超える人口を持つ浮遊都市タルタルーガが浮かび、そこには全世界の物産が集まる最大の市が立つ。そのタルタルーガのさらなる高みには、かの浮城レムナが存在する。いまは無人の城で、人々に害なすことは絶えて久しい。

 タルタルーガへの物と人の流入が再開し、浮橋は商業路としての機能を取り戻した。だから、ファジーン大陸の橋の入り口、ガンテも大陸随一の商業基地になっている。かつては高い城壁がそびえ、女性ばかりからなる軍隊を持っていた専制都市国家であったが、魔族なき今となっては、旅人や商人の往来で町中がにぎわっていた。

 その規模はタルタルーガには及ばぬまでも、マハンよりははるかに大きい。当然だ。マハンは街道の一商都に過ぎず、一方のガンテは今や大陸間貿易の一大拠点なのだから。

 そのガンテの大通りに立って、空に伸びる浮橋をしばし眺めていたというわけなのだ。

 一行は三人に減っている。

 キズマとファータ、そしてトト。

 アスラも同行したがったが、村の再建のために残らねばならなかったのだ。獣人の村は大きな痛手を受けた。ただ、生き残りに若い者が多かったのがわずかな救いであった。ただ、しばらくはアスラも村から離れられそうにない。

 マハンではゴースがセイダールの部下を裁判にかけ、彼らの旧悪を次々と白日のもとにさらしていた。

 それらの顛末を見届けたくもあったが、旅に課せられた期限を思うといつまでもそうしているわけにも行かず、キズマたちは出発した。

 それからの行程はまずまず順調で、十日ほどでガンテの市城に入ったのである。

 「まだ日も高い。浮橋を渡りはじめるか? それとも今日はここで泊まって出発は明日からとするかね」

 トトがキズマに訊ねた。

 「どうせ、この街にも女の人がいるんでしょ?」

 ファータが皮肉のつもりか、からかい口調で言う。

 「ガンテに? まさか!」

 キズマは身震いした。かつての冒険では、このガンテはひじょうな難関だった。

 当時、地下水脈に男を魔族に変貌させる毒薬が流されたため、ガンテでは男という男が魔獣化した。女は街を守るために軍隊を作り、男を敵として殺戮していたのだ。

 ファータが仲間になる前のことで、キズマは苦慮の末、女装して市城に潜りこんだ。そこで、市城の守備隊長であったグエン・パラヤという女傑に見込まれて……いろいろあった。思い出すだけで全身に鳥肌が立ってきそうだ。

 ガンテの地下組織と接触を持ったキズマは、ガンテ攻略戦の内部撹乱部隊に協力することになる。撹乱部隊はほとんどが十代の少年たちだった。彼らは女性軍に命を狙われながらも、いかにガンテに無血開城をさせるかに苦心をし、そして結果的にはそのほとんどが命を落とした。

 が、彼らの殉死があってこそ、ガンテは浮橋の接地点として、今の栄えを見ることができているのだ。

 今ではガンテには色々な地方から住民が集まっていて、かつての専制的な面影は一掃されている。キズマの記憶にあるガンテはもはや存在しない。

 「浮橋へ行こう。ストラジ大陸へ、ファータの故郷へわたるんだ」

 キズマは言った。


     2

 浮橋は無償で渡ることができる。という取り決めがあった。

 かつてはそれぞれの国が勝手に通行料を定めていた頃もあったが、そのため争いが絶えず起こった。浮橋を制すれば、大陸間の貿易をほぼ支配できる。莫大な富と直結しているのだ。

 浮橋をめぐっての激しい国家間の戦争が各国を疲弊させた。さらには、魔族の台頭があり、浮橋はついに魔族の手に落ちた。

 富を生んだ浮橋は、今度は死と恐怖を運ぶ橋になったのだ。

 その魔族が消え、再び浮橋の通行権が人間の手に戻った時、彼らは賢明な取り決めを交わした。浮橋の通行料を廃止し、ただ、橋の入り口の管理料だけを徴収しようと。それも金額を共通にし、不公平が起きないようにしよう、と。

 そのため、船を使っていていては腐ってしまうような生鮮食料品や、商売敵よりも一日でも早く品物を運ぼうとする商人たちが浮橋に殺到した。わずかな管理料とはいえ、その収益は馬鹿にはならない。ましてや人が集まる場所に宿屋や酒場を作れば、たいへんな繁盛をするのは目に見えている。かくて、浮橋が生み出す経済効果は、軽く街ひとつを様がわりさせてしまったのだ。

「ものすごい人ね」

 ファータが呆れたような口調で言う。

 確かにファータが呆れるのも無理はない。浮橋への入り口はすごい人混みになっている。馬車がひしめき、あちこちで怒号やら笑い声やらが聞こえている。声を限りに整列をうながしているのは、ガンテの港湾局の人間だろう。ガンテでは、浮橋の入り口のことを港と呼んでいるのだ。

 キズマは港湾局の窓口で三人分の通行整理券を買った。かつては通行料として、船賃の十倍もの料金を請求されたというが、現在ではその三十分の一程度の費用だけでよくなっている。すなわち、入り口の管理料というわけだ。

 それでも、浮橋に乗るまでに、まるまる一オウルは並ばねばならなかった。

 入り口付近は人と馬車だらけで、まわりを見わたす余裕などなかった。

 橋は外から見るよりずっと堅固で、足で踏みしめた感じはほとんど石畳の道とかわらない。

 幅は入り口付近は百セルウ足らずしかなかったが、先に進むごとに少しずつ広くなり、混雑もやわらいできた。ほぼ三百セルウくらいの広さが標準らしい。

 両側には欄干がある。人間が後から取り付けたものだ。この欄干によりかかって、景色に見入っている者がちらほら現れるようになった。それだけ、流れに余裕ができたのだ。

 ファータは欄干沿いに歩き、眼下の海原に心を奪われているようだった。

 「海って妙ね。あの青いのが全部水だなんて、馬鹿みたいだわ」

 「エルフは森の人だからな。海はお気に召さんじゃろ」

 トトは短躯だから、欄干を超えての景色を見ることはできない。それが悔しいというわけでもないのだろうが、ファータの感想に茶々を入れた。

 「ううん、そんなことない。ただ、変じゃない。川や湖だったら、もっといろいろな獣や鳥が暮らせるのに、ただ水だけを溜めておくなんて、どうしてイシュアプラのクイラはこんな場所を作ったんだろうって不思議に思っただけよ」

 海に心を奪われているせいか、いつものつんけんとした口調ではない。

 「海にもたくさんの生き物がおるぞい。それも、陸上より種類も数も豊富なのじゃ。ただ、それが外からは見えぬだけよ」

 トトが博識をひけらかす。かつてのトトからすれば、知識とも呼べぬ「常識」程度のものだが、一度生まれ変わっているのだから、このあたりはやむを得ない。

 浮橋の上で夜が近づくと、人々は野営の準備を始める。

 商人の中には、旅人向けに食料や雑貨を商なう店を開く者もいる。稼ぎながら旅をしているわけだ。あちこちで炊事の火が起こり、小型の天幕が設置される。

 浮橋は魔法で守られているために、天候が悪化しても、橋の上にはほとんど影響がない。だから、嵐に遭って橋から人が吹き飛ばされたなどという事故はほとんど知られていない。

 だが、嵐のために橋の進路がずれ、思わぬ距離を歩く羽目になったとか、という話はよく聞かれる。どうやら強固に見える浮橋も、空の上ではぐにゃぐにゃと容易に曲がってしまうらしい。ただし、橋の上の者は落とさないようになっているようだ。そうでなければ、浮橋が交通手段としてこんなにも重宝されることはなかっただろう。

 キズマたちは寝袋だけを用い、横たわった。

 眠るのは橋の両側と決まっている。というのは、橋を夜間に渡る者も当然いるからだ。馬車の車輪の下敷きになるのは誰だって願いさげのはずだ。もっとも、夜間に橋を行く場合は、灯火をつけ、鐘を鳴らしながら進むことが義務づけられてもいる。

 朝が来ると、そろそろと人々は旅を再開する。大海を渡るにわずか五日。宿がないなどの少々の不便は押してでも、この浮橋を渡るに如くはない。

 順調に旅は進み、五日目に入った。天候もよく、問題なく距離をかせいでいた。

 ファータも海を見なくなった。飽きたのだ。

 とにかく目に入るものといえば、空と海しかないのだ。最初はものめずらしくても、そうそう興味は続かない。

 一行はさっさと歩いている。

 浮橋の一歩は地上の十歩に相当する、という。その比率が正確かどうかはともかく、浮橋では歩く速度が通常の何倍にもなるのは確かなようだ。ただ、歩いている本人に自覚はない。まわりに速さを測る対象物がないために、客観的にどうかということも確かめられない。ただ、感覚としては、橋を渡ると大海が狭まり、歩く距離が短くなる、という感じなのだ。

 空は晴朗、風は穏やかだ。

 行く手のはるか先まで見渡せる。先の方がゆっくりと揺れているように見えるのは、風のせいだろう。

 「ストラジ大陸は古来より戦争が絶えたことがない、と書物にはあるが、事実かの」

 トトが暇をもてあましたか、そんなことを言い出した。

 「魔族の出現からは人間同士の戦争はやんだようだけど」

 キズマが答えると、トトは深くうなずいた。

 「されば、魔族がいなくなった今、また戦いが再燃するやもしれぬな。先のセイダールの例もある。魔族の跳梁は、意外に人間の品性を高めていたのかもしれんぞ」

 「そんな、ばかな」

 キズマはトトの意見に対して反駁を試みた。魔族がいかに人間を苦しめたか、どれだけ多くの人々が死に、孤児が増え、貧しい人々は食にも事欠き、明けることのない長い夜を苦痛に呻きながら過ごしたことか。

 「だが、それは戦争が起きれば同じことだと思わぬか? あるいは、セイダールが滅ぼした幾つもの村は、魔族が跳梁していた頃にも生き延びていたはずではなかったか? 彼らは魔族が滅んだ後に、恐るべき災禍に遭ってしまったのじゃぞ」

 「それじゃあ、おれたちがやったことはさほどの意味はなかったというのか? 世界を救ったわけではなかったと、むしろ、人間を増長させ、悪事を行なわせるきっかけになったのだと」

 「かもしれぬし、そうでないやもしれぬ。いずれにせよ、われわれには目の前の火を消すことしかできぬ。火が消えた後の荒野に、善の草が萌えるか悪の華が咲き誇るかまでは、考えるべきではない」

 トトは言いたいことを言ってしまうと、あとは口をつぐんだ。

 キズマはしばらくそのことを反芻しつつ、歩いた。

 正しいこと、少なくとも自分が正しいと思ったことをキズマはやってきたつもりだ。その結果「英雄」という称号を――おもにサラデアでだが――得た。ゾーヴァとの戦いでキズマは自分がとった行動の大半が正しく、自分ばかりか多くの人々のためにもなったはずだと信じていた。

 今度の旅もそうだ。アスラが記憶を取り戻したことで、一時期抱いていた迷いはふっきれた。やはり、仲間の記憶を取り戻すことを全うすることで、ようやくこの旅は完結するのだ。そう今でも思っている。しかし、記憶を失っているファータとトトの現在の気持ちまでは汲み取っていない。独り善がりのおせっかいかもしれないという不安は今もある。

 「暴君になることを欲しない男は、独りで旅をするしかない」

 という言葉がある。誰かに自分の意志を強いて生きて行くためには、どうしても暴君たらざるを得ない。それを選ばないのであれば、ただ独りで、誰とも関りをもたずに旅をするしかない、というのだ。誰でも、男であれば暴君の資質を持っている。要はそれを貫くか、我を折って他の暴君の意に添うか、ないしはすべてを捨てて独りになるか、そのどれかを男は選ばねばならない。

 自分は一体どれなのだろう、とキズマは思う。

 「あれ……お城よね」

 ファータの声が聞こえた。

 行く手を見上げた。

 キズマの表情が締まった。

 来た。

 レムナだ。ヴァルジニアと出会った思い出の地。

 浮遊する城。今では、誰も城に入ることはできない。城への掛け橋が破壊されているからだ。その犯人たちが、いま現場に舞い戻った。

 「すっごいわねー。なんで、どうやって浮いているのかしら?」

 自分がいま、浮いている橋の上に立っていることも忘れ、ファータが感嘆した。

 しばらく浮城を眺めながら道を行くうち、人が増えていく。

 橋の両側に露店が目立ちはじめる。

 じきにタルタルーガに入った。


     3

 タルタルーガは丸い円盤状の浮き皿の上に発達した町だ。形が亀の甲羅に似ているところから、亀を意味するタルタルーガという名前になったのだという。

 定住している人口は五万とされるが、旅人や商人がひきもきらず押し掛けるために、円盤に乗っている人間の数が十万を下回ることは皆無といってよい。

 ここでは毎日、市が立つ。物産が三つの大陸から集合する地だからだ。売り手に事欠かず、買い手が尽きることもない。

 三つの大陸から伸びた橋はこの円盤で交差する。つまり、ファジーン大陸から来たキズマたちは、ここでストラジ大陸へ向かうかアクティア大陸へ向かうかを決めるのだ。

 「わしは一番あとでよい。それに、もともとお嬢ちゃんについて来てくれと言われて始めた旅だからな」

 早くからトトがそう意思表示をしていたために、ストラジ大陸に渡りファータの故郷であるエルフの森を訪れることをすでにキズマは決めていた。

 「そりゃあ、そうよね。トトが記憶を取り戻して、アスラみたいに国に残ったりしたら、あたしとキズマだけになってしまうもの」

 そんな危険なことはまっぴらだ、と言うファータなのであるが、

 「でも、買い物にならつきあってくれてもいいわよ」

 などと言いつつ、宿に荷物を置くとすぐにキズマを町に連れ出してしまった。

 町中ではさすがにいつもの鎧は着けず、草色をした、膝までの丈のチュニックをベルトで締め、上にスモックコートを羽織っている。鬼修羅は大きすぎるのでむろん装備せず、銀の柄頭の短刀を腰の後ろに差している。タルタルーガには各国から派遣された守備隊が常駐しており、治安はすこぶるよいため、この程度の武装でも充分なのだ。

 ふだん陽にさらされることの少ない金髪が風になびき、少し広めの額があらわになる。

 鎧に身を固めた姿ばかり見ているために、意外なほどにファータが細身なのに驚いてしまう。もっとも、エルフ族の肥満というのは、矮人族ののっぽと同じくらいにありそうにないことなのだが。

 キズマも革鎧はやめ、それに近い機能性を持ちながら、よりリラックスできるジャーキンを身に着け、弓矢は持たなかった。

 トトも誘ったが、むろんトトは同行しなかった。というのは、すでに訪れるべき古書店のリスト作成に入っていたからだ。タルタルーガにはマハン以上の古希書があるに違いないとたいそうな張り切りようであった。

 キズマとファータは連れだって、タルタルーガの繁華街を歩いた。

 よみがえって以来、ついぞなかったことだ。ここのところ、ファータの機嫌がよいようなので、キズマはほっとしている。これも故郷が近いからだろうか、などと考えている。

 タルタルーガには色々な店がある。というより、ない店がない。

 食料品店にはありとあらゆる食材が並び、それも輸送費が安いためにさほど高価でもない。衣料店にも考えられる限りの意匠を凝らした服地が揃っている。むろん、仕立て済みの服もさまざまな地方のさまざまな形のものが店頭に並んでいる。

 かつて、旅の途中の買い物はといえば、武器や防具、治療用の薬草や魔法薬、あるいは味も素っ気もない携帯食ばかりであった。

 しかし、ファータが見たがる品物は、服地や装飾品の類に集中しているようだ。装うということに以前はまったく興味がなかったようだが、これも復活後の副作用の一部なのであろうか。

 だが、ファータは見るばかりで試着どころか手に触れてみることさえしない。

 それでも楽しそうにしているのだから、まあいいか、と思うキズマである。

 「これ、買おうかな」

 と、めずらしくファータが言った。

 手に取ってみたのは巻き貝の殻でできたブローチだ。いくつもの刺を出しつつ、その内側にはイシュアプラのような七色の微妙な色合いが広がっている。

 「着けてみれば?」

 と促すキズマに、ファータはちょっとはにかんだような笑顔を見せた。

 「どう?」

 照れながら、ブローチを自分のチュニックの胸元に擬してみせる。

 キズマが感想を述べようとした時、

 「よーく、おにわいですわっ! お嬢さま!」

 と、甲高い声が割って入った。中年の女性店員だ。満面にくどいほどの愛想笑いを浮かべている。

 「んでも、どちらかというと、こちらのゴージャスな金細工入りのおブローチの方が、その素敵なおぐしの色にも合いましてよ! いえいえ、それよりもいっそ、純金の髪飾りなんていかあかしら? んもー、さいっこーにおにわいになること間違いござんせんわ!」

 「あの、いいです、さよなら」

 ファータは慌ててブローチを棚に戻すと、キズマの手を引いて店を飛び出した。

 女性店員はあっけにとられ、それから、んまー、と言った。

 店を出て、しばらく歩いてから、ファータはくつくつと笑い出した。

 「へんな店員さんねえ。あんまりおかしくて吹き出しそうになっちゃったから出てきたけど、あのブローチ、やっぱり買ったほうがよかったかしら」

 「引き返して、買ってきたら?」

 「だめよ、ぜったい笑っちゃうわ」

 まだファータはくすくす笑っている。

 と、気がついて、ファータはキズマの手をはなした。

 ぶっきらぼうな口調に戻って、ファータは言う。

 「キズマはいいの? ヴァルジニアさまにお土産とか買わないでも」

 「いいよ、今は。ファータをエルフの森に送ってからでも、ここにまた寄れるしね」

 何の気なしに言ったキズマだが、ファータがそれっきり不機嫌そうに黙りこんでしまったのに不審を覚えた。

 「どうかした?」

 「別に」

 ファータは先に立って歩いていく。

 「あたしは宿に戻るわ。やっぱり鎧なしじゃ不安だし、それにこういうごった煮の匂いのする街って、あたし嫌いなの」

 「お、おい」

 とめる暇もなく、ファータは歩み去る。

 キズマは追うのをあきらめ、いくつか買い物を済ませることにした。

 旅に必要な諸々のものを買いととのえた頃には、イシュアプラの光輝もやや翳り始めていた。

 だが、タルタルーガの町は夜にこそ輝く。

 海を行く船から、「夜のイシュアプラ」と呼ばれ、灯台がわりにさえされるほどの光輝を放つのだ。

 通りには相変わらず人が溢れている。

 キズマは宿への道をたどり始めた。

 なにかしら、通りがかすまびしい。

 喧嘩か何かが起こっているのかもしれない。

 キズマは別に喧嘩好きではないが、好奇心は強いほうだ。なんだろうかと人垣に潜りこんでみた。

 すると、タルタルーガには馴染まないものが視界に飛びこんできた。

 完全武装の騎馬兵が十数騎、一かたまりになって、デボーヌ王国の領事館から通りに飛び出していく。

 人々は何事かと思い、それを見守っているのだ。

 領事館の門衛が野次馬たちに向かってわめく。

 「散れい! 見世物ではないぞ! もしも一歩でもわがデボーヌ王国の領土に踏み入れば、即刻国境不法突破の咎で斬り捨ててくれるからな!」

 「何をいうか! このタルタルーガは自立自衛の独立都市だ! 各国の領事館だって、もとをたどればみんなの土地だ!」

 タルタルーガの住民だろう、そのように反論する者もあった。

 だが、門衛は凄まじい目で野次馬を睨む。

 「申しおくが、このタルタルーガの三分の一はわがデボーヌ王国の管轄領。ストラジ大陸に至る橋もわが国の管理下にある。きさまら愚民、わが王国の食客に過ぎぬ分際で、生意気を言うとただではおかぬぞ」

 門衛の殺気だった語勢に、いったん住民たちは口をつぐんだ。だが、むろん完全に服したわけではなく、顔と顔をつきあわせて不満の意思を伝達しあう。

 「まさか、今の騎兵ども、橋への入口をふさぐつもりじゃあるまいな!?」

 野次馬の中で、勘が鋭い者がそう指摘した。

 そうに違いない、ふざけるな、と怒りの声があちこちであがる。

 橋はみんなのものだ。そういう取り決めが各大陸の主要国家間でなされているはずだ。

 「そういえば、近ごろ、ストラジ大陸ではデボーヌ王国とシュヴァイラ王国との関係が悪化しているという噂を商人たちがしていた。たぶん、戦争が起こる前に橋を掌握しておこうという肚なのだろう」

 そんな話も野次馬たちの間に伝わっていく。

 キズマは慌てた。ストラジ大陸への橋が封鎖されでもしたら、大変なことだ。せっかく世界が安定しかけているというのに、また台無しになりかねない。

 キズマは宿に戻った。

 トトとファータがキズマを待っていた。すでに出発の支度を整えている。むろん、ファータはいつもの鎧に全身を覆っている。

 「聞いたか、キズマ」

 「デボーヌとシュヴァイラのことか?」

 「ああ。戦争が始まったらしい。シュヴァイラ王国軍が、ストラジ大陸の浮橋の入り口を押さえたらしい。シュヴァイラの軍勢五千が、このタルタルーガに向かっているということだ。ついさっきストラジ大陸から街に入った商人の話だ。事実らしい」

 トトが押さえた口調で言った。さすがにキズマは言葉を一瞬失う。

 「……じゃあ、ここは」

 かろうじて発したキズマの問いに、さらにトトが言葉をかぶせる。

 「もうすぐ戦場になる。デボーヌ王国側は領事館の守備兵二百だけで食いとめるつもりらしい。もっとも、せまい橋の上での戦闘だから、その数でも勝算がないわけではない」

 「タルタルーガが、戦場に……」

 「のんきなやつを除いては、すでにここを去る準備を始めておる。われわれが取れる道はふたつ。アクティア大陸へ渡るか、それともファジーン大陸へ戻るか。今度の戦が浮橋の使用権を巡るものとするならば、他の大陸の大国、アクティアのクロード王国、ファジーンのサラデア王国とても静観はできまい。特にサラデアではキズマの助力を強く欲するであろうな」

 トトの言い方では、サラデアに一度戻るべきだと主張しているように聞こえる。

 「アクティア大陸に行くべきだとあたしは思うけど」

 ファータがそう言った。緊張をはらんだ声だ。

 「ここにいても、あたしたちの力では戦争を止めることはできない。だからといって、サラデアに戻るのは後退に過ぎないと思う。だとしたら、アクティアへ進むしかないんじゃないかしら」

 「ふむ、そういう考え方もあろうな。が、わしはやはりサラデアに戻るべきと思う。なぜならば、事に臨むに徒手空拳をもって当たるより、サラデア一国を動かしてから何事かをなした方が効果は大きいだろうと思うからだ。キズマはサラデア国王のおぼえもめでたく、ヴァルジニア姫の――まあ筆頭騎士じゃ。国と国とが戦うからには、その仲裁にも国の規模をもってせねばなるまい」

 さすが賢者の名をもって呼ばれたトトだ。知識の多くを記憶とともに喪失しながらも、弁じるその言葉によどみはない。

 「しかし……」

 キズマとしては即断が難しい。戦争が今にも起き、また人々が苦しまねばならぬのかと思うと、このままこの場を離れる気になれない。とはいえ、トトやファータの記憶を取り戻す旅はまだまだ途中だ。アクティア大陸に渡れば、すくなくともトトの記憶は回復するかもしれない。アクティア大陸の矮人国は、浮橋を経てアクティア大陸に渡れば三日ほどの行程で着けるのだから。

 はっきりしているのは、ここでサラデアに戻ってもなんら進展はしないということだ。サラデアは歴史的に対外戦争を避ける国是を持っている。魔族が跳梁していた時代にあってさえ、典雅な宮廷舞踏会を欠かさずにいて、それがためにゾーヴァの標的になったというお国柄なのだ。他国の戦争に首を突っ込もうとするとは考えにくい。

 「おれは……このままタルタルーガを放っては行きたくない。サラデアにも、アクティアにも」

 キズマは呟くように言った。

 トトは表情を強張らせ、ファータは肩をすくめる仕草をした。

 「やはり、最悪の道を選ぶか」

 「思った通りね」

 キズマの反応を予測していたらしいトトとファータの落胆ぶりだ。

 「で、どうする気なの? セイダールの悪巧みをぶっつぶすのとは訳がちがうわよ」

 「とにかく、デボーヌ王国の領事に話を聞かねばどうしようもないだろう。あと、シュヴァイラ王国の領事館はないのか?」

 「どうして、あっさりと旅が前に進まんものかのう?」

 トトが嘆いた。


     4

 デボーヌ領事ジダンは、任命されてから最も多忙な瞬間を過ごしていた。

 突然、早馬がやって来た時には度肝を抜かれた。

 橋の接地点を奪われそうだ、というのだ。

 ストラジ大陸の橋の接地点は聖峰ルイーの山麓の街ギュールにある。標高十キロセルウを超える高地帯であり、常夏の別荘地としても知られていた。スフィアでは、むろん、光と熱をもたらすイシュアプラに近い高地のほうが温暖なのだ。ギュールの側にあるレト湖の周囲にはマングローブが生い茂り、水中には色とりどりの熱帯淡水魚が乱舞する。

 ギュールでは、他の場所とは違い、橋は下りながら出ている。下りながら海に向かい、海に出た頃には一キロセルウの高度に落ち着くのだ。

 そのギュールに、シュヴァイラ王国の奇襲部隊が突然攻め寄せて来たのだ。

 侵攻口は海だった。海岸線はほとんど無防備の状態で、シュヴァイラ王国軍はやすやすとギュールへのとばぐちまでを占拠した。

 デボーヌ王国の国都エブスリンも事態を重く見て、三万からなる主力部隊を出動させたが、それに呼応して、シュヴァイラ王国も主力部隊に国境を越えさせたため、デボーヌ軍はギュール救出の軍と、国都防衛の軍とを二分せざるを得なくなった。

 シュヴァイラ王国の戦意は旺盛であった。というのも、魔族衰退より浮橋が復活し、通商路は海路から浮橋を用いての陸路に主導権が移った。となれば、橋の接地点を持つデボーヌ王国の国庫が潤うのは当然であり、海路をもって他国との貿易をなしていたシュヴァイラ王国が没落するのは時間の問題である。その危機感のゆえに、シュヴァイラ王国では挙国一致で軍拡に努め、時はいまぞとばかりに攻め入ったのだ。

 対するデボーヌ王国では降ってわいた好況に民衆は夢中になり、軍事には省みなくなっていた。誰しもが浮橋を使っての金儲けの青写真を作り、事業開設へと走り回っていたのだ。

 緒戦でシュヴァイラ王国が大捷を得たのも当然であった。

 さて、ギュール攻防戦はこうしてシュヴァイラ有利に進展していたが、遅まきながらデボーヌの援軍が到着し、戦線は膠着するかに見えた。

 だが、シュヴァイラ王国軍にもさらなる手駒があったのだ。それは、山脈を越えて、背後からデボーヌ軍に痛撃を加えた。

 山脈の彼方の森に住まうエルフ族の襲撃であった。

 弓に長け、いくつかの精霊魔法を使うエルフ軍の撹乱により、デボーヌ軍は崩れたち、そこを正面からシュヴァイラ軍に粉砕された。

 かくてギュールは陥落し、シュヴァイラ軍は凱歌とともにギュールに入った。

 さらにシュヴァイラ軍はタルタルーガにも拠点を築かんものとして、精鋭五千の兵をもって橋に殺到していると。

 最後の早馬の使者は背中に幾本ものエルフの矢を受けてさえいた。

 その情報を最後に、本国からの連絡は絶えた。

 ジダンはやむなく手持ちのわずかな兵に総動員をかけた。

 橋の出口を封鎖し、そこで敵を食いとめる。

 それは別にタルタルーガの市街を守ろうという博愛精神の発露などではなく、たんに広い市街に敵を入れてしまっては寡兵では戦いにならないことを悟っているがためであった。

 「このタルタルーガにシュヴァイラの領事館でもあれば、すぐにも焼き打ちをかましてやるものを」

 ジダンはそう毒づきながら、錯綜する情報の把握と、各国への援助要請の手紙を書き続けるという仕事に没頭していた。

 と、執務室の外がやけにやかましい。

 「中には入れませぬ、これ、入れぬというに」

 慌てているのは副官のコロップだろう。相変わらず無能な声をあげる。

 と、ジダンが想像の中でコロップの間抜け面に罵倒を浴びせかけている時に、執務室のドアが本当に開いたので、ジダンはぎょっとした。

 ずかずかと入って来たのは珍妙奇天烈な三人組だ。

 狩人のような軽い装備に身を固めた黒髪の青年と、金属鎧で全身を覆った戦士、さらには子供かと見紛うような小柄の男――どうやら矮人らしい。

 彼らを引き止めきれなかったコロップまで一緒に部屋に入って来て、ジダンを見てもみ手をした。

 「あの、閣下、この者たちがどうしても閣下にお目にかかりたいと、その……」

 「コロップくん」

 ジダンはここぞとばかりに恐い顔をした。

 「きみは現在の事態をなんと心得ておるのかね? この危急存亡の時に、領事たるわたしにまともに仕事もさせてくれんのか」

 「いえっ! あのっ! わたしはだめだと申したんですが、門衛はこの矮人に眠らされてしまうし、警備兵もこの剣士にかかっては赤子も同然というていたらくでして」

 コロップは小柄な身体を伸ばしたり縮めたり、まるでゴム細工の人形のように動かしながら、言い訳を続けた。

 「もう、よい。して、この者たちは……?」

「わたしはキズマ。サラデア国王ドートス陛下に仕える者です。正式な叙任はまだですが、貴国の駐サラデア領事ベルハプト氏とは面識もあります」

 黒髪の青年が堂々とした態度でそう言った。

 ジダンはどきりとした。ベルハプトとは外交官仲間であり、いわば出世競争をしている相手だった。文化国家として名高いサラデアの領事官になるのが外交官のいわば花形であり、駐タルタルーガ領事よりも一ランク上だった。

 「そ、そうですか。それは失礼しました。して、キズマさまとおっしゃいましたな……」

 ジダンは必死で頭の中の人名簿を探った。

 「知らんのか、外交官のくせに、サラデアのヴァルジニア姫を救った英雄キズマとその仲間たちを」

 矮人が呆れたように言ったので、ジダンはむっとしながらもお目当てのページを見出すことができた。

 キズマ――いやしい生まれの狩人ながら、サラデア国王ドートスの信頼厚く、一人娘ヴァルジニアの配偶者にと考えている形跡濃厚。懐柔すべし。

 「いやいや、存じ上げていますとも、むろん、むろん。ささ、椅子をどうぞ、椅子を」

 ジダンは如才なくキズマたちに椅子を勧めた。

 「はるばるタルタルーガまでようこそ。観光はすでにお済みですかな? よろしければわたくしどもの方でガイドでも用意させましょうか」

 「領事、今はそんなことを言っている場合ではないでしょう」

 キズマが真面目くさった表情で言ってくる。

 「と、申しますと」

 ジダンはとぼけた。戦争のことが噂になっている可能性はジダンとても考えないでもないが、といって何の腹芸も見せずに相手に手の内をさらすなど、外交官の端くれとしては絶対にできない。

 「貴国とシュヴァイラ王国との戦争のことです。もうすぐこのタルタルーガを戦場にするつもりでしょう」

 「ははは、いったい誰がそんなくだらぬ噂を流したものやら」

 「すでにストラジ大陸につながる橋の通行は遮断され、貴国の兵士が約二百、木材などでバリケードを作ってこもっているようですが」

 「それは、まあ、演習の一環です。魔族がいなくなり――おっと、それはあなたがたの大活躍のおかげだと常々感謝しておりますが――日々平和で兵士もだれておりますからな。たまには大掛かりな演習も必要でして」

 われながらなんとうまい説明なんだ。しかも、相手を巧みに持ちあげていい気分にさせている。さすがは天性の外交官であることよ。これならば、ベルハプトの豚などよりも自分の方がずっとサラデア領事にふさわしい。

 「ばかな言い訳はやめてもらいたい。こんなことで時間を無駄になさるおつもりか!」

 キズマは声を高めてそう言った。ジダンはむっとした。無礼で、政治感覚の乏しい若僧だ、と偽らざるところ思った。

 「あほを相手にしてもしょうがないわよ」

 ファータがあっさりと言う。

 ジダン氏はきょとんとした。まさか自分のことがそんな言辞で話題にされるとは思っていない。

 「諦めるのは簡単だ。もう少し粘ってみよう」

 キズマはファータに向かって言い、再びジダンに向かった。

 「無益な戦いは避けるべきです。ましてや貴国が今ここに持つ兵はシュヴァイラ王国の二十分の一というではないですか」

 「んな、なんでそれを」

 ジダンは言いかけて、慌てて口を手で押さえた。

 「みんな知っておるぞ。あのコロップたらいう男が喚いておった。自分の家族をファジーン大陸に逃がす手続きなどもしておったぞ」

 トトが指を立てて、部屋の隅に立っていた肥った小男を差した。

 「コ、コロップぅ!」

 「ひいっ! すみません!」

 コロップが小さくなった。ジダンは鋭く言葉を叩きつける。

 「わし自身と、わしの家族の分も頼む。すぐに手配してくれ」

 「はっ、かしこまりました」

 コロップは我に返り、表情を元に戻すと一礼して執務室を出ていった。

 「ここ寄席?」

 ファータが兜の中からあきれ声を出した。

 しかし、ファータも実際は動揺しているはずだ、とキズマは思っていた。

 エルフがシュヴァイラ王国の軍勢に参加しているという話を聞いたからだ。ファータに記憶はなく、キズマもファータが正確にはどのエルフの村の出身なのかはよく知らないが、相手側がファータを知っていることはありうる。エルフ族の血は濃く、ひとつの村の中では全員が互いになにかしらの血縁を持っているとされている。エルフの集落とはいっても、人間に知られている限りにおいてはその数はたったの三つだ。隠し村が幾つかあるという噂があるが、それが事実だとしても全部合わせて五つかそこらだろう。となれば、五分の一かそれよりも高い確率で、ファータの縁者が戦いに参加しているという計算になる。

 「ご存じとあれば、つつみ隠さず申しあげましょう」

 自分や家族の脱出路を確保して安心したのか、ジダンがようやくまともな口調になった。

 「今回の戦争はシュヴァイラ王国が一方的に攻めこんできたものであり、わが国は完全な被害者です。むろん、戦争はわれわれも望むところではありません。しかし、それもやむを得ないことです。このまま黙ってタルタルーガを蛮人の軍隊に蹂躙させるわけにはいきますまい」

 「自分は逃げようとしているくせに」

 ぽつり、ファータが言った。

 それが聞こえたかどうか、ジダンは声を励まして続けた。

 「とにかく、われわれには戦う意志はなく、向こうが兵を引けばよいだけの話です。おわかりか、キズマどの」

 「確かに、それはそうじゃな。こっちは売られた喧嘩を買うだけのこと。ましてや、向こうの方が兵力も上となれば、多少投げやりになってもしょうがあるまい」

 トトがそう論評した。

 「そうだな。やはり、シュヴァイラ王国軍に話をせねばなるまいか」

 キズマは唇を噛んだ。とはいえ、このまま引きあげるわけにはいかない。

 「それではジダンどの、われわれを貴国の防衛軍の一部に加えていただきたい。ただし、われわれは貴国の軍令には従わず、シュヴァイラ王国との戦端が開くのを阻止するためだけに戦います。お許し願いたいが」

 と、申し出た。

 ジダンはあっさりと許可した。もう、自分と家族が逃げることしか頭にないらしい。そのために時間稼ぎをしてくれるなら大歓迎だと言わんばかりの様子だ。

 キズマたちはジダンに委任状を作成してもらい、それを手に領事館を出た。その頃には、領事館はほとんどひとけがなくなっていた。戦いに出たのか、それとも逃げ出したのか。たぶん、三対七で後者が多いだろう。

 街の通りの喧騒が凄まじい。もはや夜に近い刻限で、ふだんなら流入する人の流れが圧倒的なのだが、今日に限ってはほとんどが出て行く人の流れだ。しかも、その出口がふだん三か所あるのが、二つに減っているために、混雑には凄まじいものがある。

 ただし、逃げ出さない人々もいるらしく、窓にも鎧戸をしっかりとおろし、激変に備えている家も目立つ。かつて魔族が浮城に跋扈していた頃にもタルタルーガには人が住んでいた。もしかしたら一番強いのは、魔族にも戦乱にもめげぬ、こうした一般民衆なのかもしれない。

 キズマたちは、ストラジ大陸への橋の入り口に着いた。そこにはいかめしく武装した兵士たちが数多く詰めており、その指揮官はアーベルという初老の男であった。

 いかにも叩きあげといった感じのアーベルは、ジダンの委任状をキズマから受け取ると、ふんと鼻を鳴らし、突っ返した。

 「今はかぜをひいておらんから、鼻ふき紙はいらぬ」

 つっけんどんに言う。

 説明を加えようとするキズマに対し、アーベルはうるさげに手を振った。

 「勝手にするがよいさ。どうせ、われわれはおえら方が脱出するまでの時間稼ぎにここにいるのだからな。えらい領事さんのご紹介の助っ人さんならば大歓迎だ。だから、邪魔にならないところで好きにしておくれ」

 「やなおやじ」

 ファータが感想をもらす。わりと大声でだ。

 アーベルがファータの方に視線を向ける。

 「女か……ふざけた世の中になったものだ。女が剣を振るい、人を殺めるとは。よいか、娘、おまえもいつかは妻となり、母ともなるんだろうが。女の仕事は命を奪うことではなく、育むことぞ。恋を知り、はやくそれと悟れ」

 「なっ……!」

 ファータは絶句し、反論しようとした。

 だが、アーベルはすでに背を向けて歩き出している。

 「なに勝手なこといってんのよ、あのじじい!」

 言い返す相手を失い、地団駄を踏んで悔しがった。

 「一本とられたの、ファータよ」

 「なによ、この若年寄り!」

 ファータの怒りはトトの頭上に集中した。

 「とにかく、おれたちも配置に加えてもらおう。そして、敵軍が近づいたら、説得を試みるんだ」

 キズマが張りつめた声で言った。自分でも成算があるとは思えない。結局、乱戦に巻きこまれ、むだな殺生をするだけなのかもしれない。それでも、戦争が起き、タルタルーガの市街がふたたび暗黒に落ちこむのを座して見ていたくはない。

 ただ、それだけを思っていた。


     6

時間がゆっくりと過ぎていく。

 イシュアプラの光が完全に失われ、タルタルーガの街が光を放ちはじめる。

 無数の街灯が輝き、無人の店先には色とりどりの光があふれる。

 ふんだんに使うことができる電気。水。燃料としてのガス。

 それらはすべてタルタルーガの中から湧いて出る。出所はわからない。魔法学者によれば、浮城の中に異界への扉があり、そこからさまざまなものが流入してくるのだと。そして、目にみえぬパイプを伝わって、タルタルーガの生活を利しているのだと。

 その異界への扉の調節が狂うと、そこからは有用なものばかりではなく、悪しきものも入ってくるようになるという。だから、一時期、浮城が魔族の本拠のようになっていたのだ、という説もある。

 いずれにせよ、タルタルーガには闇はない。夜とはいえ、昼間と同じように戦うことができるのだ。

 はるか彼方まで遮蔽物のない橋では、攻め手はただ数で押し切るしかない。迂回して背後を突くという作戦はタルタルーガでは成立しない。

 したがって、寡兵とはいえ、うまく防げばシュヴァイラ軍に侵攻を諦めさせることは可能かもしれない。

 アーベルは全軍の先頭に立ち、双眼鏡を目に当て続けている。

 「動きはまだないが、油断するな」

 こまめに部下に声をかけてもいる。老練な実戦指揮者であるらしい。

 キズマは最後方の遮蔽物の一角に身をひそめていた。もっと前の場所を使わせてほしいとアーベルには頼んだのだが、「助っ人に前衛を任せるほどわしは豪気ではなくてな」との一言で片づけられてしまった。側にはファータとトトもいる。

 トトは街灯の光が届くところに本を持ちだし、頁をひねくっている。

 ファータは鎧のまま、地べたに座っている。こんなごつい鎧を着ていながら、立ったり座ったりよくできるものだとキズマは感心するが、本人にとっては鎧は皮膚の延長らしい。

 ファータはさっきから黙り込み、たまにアーベルがいる方角に頭を向けては、ぶつぶつ言ったりしている。

 「さっきからどうしたんだ、ファータ」

 気になって、キズマは声をかけた。

 「なんでもないわ」

 ファータはそう言って、口をつぐむ。

 「気にしておるのさ、さっきのアーベルの言葉をな」

 地べたに腹這いになって本を眺めているトトが足をぶらつかせながら指摘する。

 「トト!」

 「おっと」

 ファータが拳固を振りあげるのを察知して、トトはすばやく本で頭部をかばった。これは自費で買った本で、傷がついても別にかまわないものなのだろう。

 「トト、その本って、恋愛小説じゃない! それもエッチな」

 ファータは振りあげた拳のことも失念した様子で、驚きの声をもらした。

 トトはにやにや笑っている。

 「なに、暇潰しになると思ってな。女心というのは、まっこと奇々怪々、こういう書物を読んでみても、なかなか量りがたいものと悟りましたわい」

 毒々しい色彩の絵が描き込まれたカバーつきの大人向け恋愛小説をぴらぴらさせながら、トトは破顔した。

 「それ、今度貸してくれ」

キズマは真顔で頼んだ。

 「こいつらは……」

 ファータは絶句した。

 と、その肩がぴくんと震えた。

 『男はメアリの耳元に熱い息を吹き掛けながら囁いた……』

 「朗読すな!」

 ファータはトトを叱りつけ、兜を取った。

 尖った耳がぴくぴく動いている。

 「どうした?」

 キズマはファータの様子に訝しさを感じて、囁きかけた。むろん、耳に熱い息までは吹き掛けない。そんなことをしたら、鬼修羅で分断されかねない。

 ファータが目をすがめつつ、言う。

 「感じるの」

 『ここがかい?』

 「トト、いいかげんにしろ」

 キズマが恐い顔をした。トトは舌を出して、本を閉じた。どうも、最近性格が妙な方向にねじ曲がりつつあるようだ。悪書のせいかもしれない。

 「聞こえる、といった方がいい。懐かしい声」

 「声?」

 「精霊の声」

 ファータが言った時だ。

 突然激しい突風があたりを襲った。

 タルタルーガも浮橋同様、魔法によって気流はすこぶる安定している。それが。

 下から巻き上げるような突風。まさに突発的な竜巻だ。

 遮蔽物が破壊され、空中に舞いあがる。兵士もだ。

 悲鳴が兵士の口から漏れている。

 キズマは身体を伏せ、小柄なトトを引き寄せた。ファータは鎧の重さもあるから一人でも大丈夫のようだ。

 「これは……!?」

 「風の精霊魔法だと思う……!」

 「エルフか!?」

 風は縦横に暴れまわった。バリケードが次々と吹き飛び、そこに配されていた兵士が宙を舞った。

 空中で風の支えを失った肉体は地面に落下し、いやな音をたてる。

 「来るわ!」

 ファータは立ち上がり、鬼修羅を抜きはなつ。

 鞘にこすれながら、喜悦の声を鬼修羅はあげる。

 「後ろか!」

 キズマも風の生まれる方角に気づく。

 防備の背後、街の広場に続く大路に、数名の人影が浮かびあがっている。

 ほっそりとした優美な姿。それは。

 「エルフだっ!」

 「背後から来たぞっ!」

 兵士たちは戸惑いあわて、バリケードの残骸の間を駆けまわった。

 「愚かな人間どもめ」

 先頭に立っていた、ひときわ長身のエルフが蔑むような声を投げつける。

 青い髪をまっすぐ伸ばした美貌の青年だ。エルフの髪は黒以外ならどんな色にもなりうるという。だから、青以外にも、赤や緑、銀色に輝く髪を持つ者もいる。全部で五名ほど。みんな若い顔つきをして、痩せている。手には短剣。背には粗末な弓と矢を負っている。

 彼らは空いた手で印を結び、精霊へ捧げる言葉を唱え続けている。

 「風よ、愚か者の砦を砕き、無に帰せしめよ」

 さらに突風が襲う。

 トトはキズマの腿にしがみついている。

 「トト、呪文で対抗できないか?」

 「すまぬ。浮城は最強の魔法結界でな。呪文を用いる魔法はほとんど無力なのじゃ。精霊に働きかける精霊魔法だけが、ここでは有効とされておる」

 「くそっ!」

 キズマは舌打ちをした。かつてのファータならば簡単な精霊魔法が使えたが、それは森の中などの場所に限られていた。ましてや今のファータでは。

 キズマはファータを見遣った。

 そして、目を見開いた。

 ファータが鬼修羅を片手に持ち、もう一方の手で印を結んでいるのだ。

 「風の精霊さま、願わくばお心をお鎮めくださらんことを。われら精霊さまに仇なす愚者にはあらじ」

 風が鋭さを失い、肌に優しい微風に変わった。

 「ファータ、きみは……」

 キズマが呼び掛けた時だ。

 エルフたちが動いた。まっすぐにキズマたちの方に斬り込んで来る。

 「精霊魔法を破るとは……何者!?」

 青い髪の青年がファータめがけ、短剣を振り下ろす。

 と、その剥き出しの頭部に目を止め、表情を変えた。

 「ファータ!」

 ファータは鬼修羅で下から相手を両断しようとしている瞬間だった。突然名前を呼ばれて、身体の動きが止まった。

 青い髪のエルフはすばやく鬼修羅の軌道から身をかわし、後方に跳ねた。

 キズマに襲いかかった赤髪のエルフも、キズマと一合剣を交わしただけで飛び退いた。

 他のエルフもそれにならう。

 青、赤、緑、紫、銀。髪の色が街灯に照らされて鮮明に浮かびあがる。

 「見忘れたか、ファータ! 我が名はセアン。なにゆえに、ファータよ、魔王の同輩を仲間と呼ぶまでに身を落とした?」

 青い髪の青年が難詰の口調で言いはなった。

 ファータは、ほの白い頬を強張らせているばかりであった。



 

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