身の程を知る
江戸023_うじすじょう 壱
今度は俺が秀頴の家に招かれることになった。
とはいえ、前にも来たことがあって裏口から入れば
秀頴の部屋に近いし、道場や表玄関を通らずに済むので俺みたいな奴でも
入りやすいと高をくくっていた。
その日は秀頴と表で待ち合わせて家に案内して貰うことになっていた。
家の近くにいくと前に通った裏の勝手口ではなくて表の方から
入ろうとしている。
秀頴は嫡男だし表から入るのは当然なのだろうけど、俺が一緒で
大丈夫なのかと心配になった。
幸い午後に入って道場の門弟はいくなくっていた。
静かな道場を横目に屋敷の奥の方に通される。
さすがに大きな道場を有する御家人の屋敷。俺のいる場所とは格段の
差がある。当然といえば当然なのだが今更ながらに知る違いだった。
秀頴はあまりそういうことにこだわらない性格だから、気にならないが
体からあふれる気品はこういう所から培われているんだろう。
どんどん奥へ入って行く秀頴の後を追いながら不安になってきた。
「俺がこんな正面から入って構わないのかい?」
「えっああ、今日はこっちから入って貰うことになってるんだ」
その言葉のままついて行くと、伊庭のダンナが見えた。
おい… これってまさか… 正式に俺を紹介するつもりか??
「秀頴… あれって」
「うん。今日は父上に挨拶して行ってね」
『行ってね』じゃねぇだろう…。初対面ならいざ知らず
花街で顔見知りの俺が正面から入っていっちゃ、まずかろう…
秀頴は楽しそうに伊庭のダンナと俺を正面から対面させた。
横には秀頴の母親らしき人も座っているから、まさか座敷で知り合いだと
口が裂けても言えない。
伊庭のダンナと俺は顔を見合わせて、一瞬だけ困惑した顔をしたが
お互いに、息子の友人、友人の父親として、初対面を装って挨拶を済ませた。
少し離れた場所に来て深い溜息をつく。きっと伊庭のダンナも今頃は
胸を撫で下ろしているに違いない。
堅苦しい挨拶も終わり、秀頴の部屋に行く。
やはり秀頴の部屋に行くには、裏の勝手口からが一番近く
今挨拶した正面の部屋から渡り廊下を隔てて奥にあった。
「なぁ秀頴、今日は
「うん。もちろんだよ。正式に挨拶しておけば、宗さんも家に
気やすくなるしさ」
「それは有りがたいけど、あんな挨拶は二度とごめんだぜ」
「そうかい?!」秀頴はくすくす笑っている。
親父さんと俺の困った顔を見て楽しんでいた様だ。
「きっと今度会った時には『ありゃ何の脅しだ?!』」とか
言われるんだぜ、きっと」
「そうかもしれないね」
その図を思い浮かべているのか秀頴はひどく楽しそうだ。
久しぶりに訪れた秀頴の部屋は綺麗に片付いている様に見えたが…
よく見ると床の間の下、違い棚の下には本が山積みになっていた。
「さすがに本好きなだけはあるな。それにこの広さはどうだい。
離れとはいえ、これだけ広けりゃ不自由なさそうだな」
「まあ、、そうだね」
秀頴はあまり嬉しくなさそうな返事をするので気になって聞いてみる。
「どうした? 広い部屋が嫌いなのかい?」
「あのね宗さん、おいらがここに居るには理由があるんだ。
小さい頃に体が弱かったってぇか、医者にさ表に出ない労咳だって
言われたたんたよ。それで、おいらは1人でこの部屋に
住むことになったんだよ」
「そういう理由があったのかい。そうか…」
淋しそうにしている横顔が愛おしくて、抱きしめて軽く背中を叩く。
「辛かったかい?」
「ん… 少しね」
いい雰囲気になってきたと思った途端、腕の中にいた秀頴が急に顔を上げて
「宗さん! おいら三味線持ってるから、ちょっと教えておくれよ」
「いいけど… 急にどうしたんだい?」
「三味と剣術は同時には無理と思ってたんだけど、宗さん見てたら
手に肉刺があっても三味は弾けるってわかったから、おいらも
やってみたくなったんだよ」
少し照れくさそうに秀頴は押入れの中から三味線を出してきた。
自分で弾くのは簡単だが、いざ教えるとなるとなかなかに難しい。
面と向かって教える事を諦め、秀頴の後から抱きしめる様な
格好で教えると案外と楽なことに気づいた。
後からなら教え易いし秀頴も近い。我ながら良い方法だと思ったのに…
「宗さん気が散って稽古にならないよ」
「じゃ離れた方がいいかい?」
そう言って手が触れない程の距離まで離れると
秀頴は困った顔をした。
「離れすぎ!!」
「じゃあどうすりゃいい?」
「正面に座ってたらやりにくい?」
「まぁそれもあるけど、後からだと色々役得が多いんだけどねぇ」
「判ったよ。後からでいいけど教える以外のことしちゃ駄目だからね」
「あいあい。流石の俺も昼真っから人様の家でそんなこと
しやしませんって」
「宗さんでも、そういう理性はあるんだ」
「そんなこと言ってると、たがが外れても知らねぇぞ」
目が合って笑いあう。穏やかな時間が流れていた。
三味線を弾きながら秀頴が話始めた。
「小さい頃はよく熱を出してさ、この部屋で1人で寝てることが多くてね。
それでいて、病が病だから人も来なくてさ、母…さっき会ったでしょ?
冬になると母親が雪うさぎを作って盆に乗せて持ってきてくれるんだ。
それが楽しみでさ。父はおいらがこんなだから跡継ぎなんて考えて
無かったみたいだし、おいらを見ると嫌なことばかり言っててさ
その反発から、剣術なんかしたくないって思った時期もあったんだ」
伊庭道場は世襲ではなく実力のある者が跡を継ぐ。
そうは言っても道場主の嫡男に生まれたからには、それなりの重責が
付きまとう。秀頴は小さい頃からそういうものと闘っていた様だ。
「色々あるな…」
ただそう言って、三味線ごと後から抱きしめた。
「宗さんも色々あったんだよね」
「だなぁ…」
黙ったまま、お互いの熱を感じながら庭を見ていた。
雨に濡れて緑が際立つ庭はひときわ美しい。
「こうやって庭を眺めるってのも
「宗さんは、こうしてるだけで満足かい?」
「後姿の秀頴を抱きしめたまま庭を見るなんて。なかなか出来ないからねぇ」
「そりゃそうだけどさ… あっそうだ宗さん聞きたいことがあったんだよ」
相変わらず、良い雰囲気になると秀頴は話をはぐらかす。
ここの所そんなことが続くいているので拒否されているかもしれない
「何だぇ?」
そう答えながら色々な思いが頭の中をよぎっていた。
「喧嘩の仲裁に火消し半纏を着るって言ってたよね? あれはどうして?」
「判んねぇかい?」
「ん… 塾の友人に聞かれてさ… どうなんだろうと思って」
「粋じゃないねぇ。あれはな『喧嘩の火消し』って意味があるんだよ」
「あぁ!! そういう意味合いだったんだ!」
秀頴は納得して顔を紅潮させた。
「判ったかい?」
「うん。何でわざわざ着るのかと思って…」
「まあ火消しが使うだけあって、多少のことじゃ破けないって理由もあるけど
あれを着てると男気が出るというか、粋だと思わねぇかい?」
「宗さんも江戸っ子だね」
「いや… 本当は白河らしいけどな」
「えっ?! そうだったの?」
「あぁ… そうらしい」
秀頴は俺のほうを向いて
「予定より遅くなったけどおいら元服するんだ」
「おいおい、遅くなったって俺まだだから」と苦笑した。
「あ、そうだね。宗さんもやっちゃえばいいのに」
「おいおい、いくら何でも1人じゃ無理だからねぇ」
「あ… そうか…」
年下の秀頴が先に元服すると聞いて年を追い越される様な感覚になる。
出会った頃は俺よりかなり幼い感じがしていたけど
よく考えてみれば、俺達は1歳しか違わない。
でも、親しく付き合う様になってからの秀頴は日に日に
大人びてきている印象がある。
それは秀頴の背負った家のこともあって、俺より早く成長して
いるのかもしれない。
そんなことを考えながら、道場に戻って秀頴の元服の話をしたら、
俺も秀頴の後を追うように元服することになった。
ついでの様な元服が、いかにも俺らしくて可笑しくなった。
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