江戸020_もてなす 五

 早朝に起きて道場の掃除や床を拭き、神棚を整えて祈る。

精神を集中させて剣を持つ。これが幼い頃からの俺の日課だった。


人前で稽古することなど当たり前だったはずなのに、秀頴がいるだけで

いつもと空気が違う。こんな時にまで照れてしまう自分に呆れた。


それでも剣を持って動き始めると、秀頴がいることすら頭に無い。

思考より先に体が動くんだから、日々の鍛錬は無駄ではないらしい。


 秀頴は興味深げに俺の太刀筋を見ている。

時々剣を持った形で手を動かして、俺の動きを真似ている様だった。


「ねぇ宗さん。下段から構えることってある?」

「そういう時もあるよ」

「下段から剣先を上に流して動かしてみてくれないかな?」

「ん? 何かあるのかい?」

「いいから、いいから。やってみて」


言われた通りに、下段から剣先を動かす。

秀頴は何かを確認する様に俺の動きをじっと見ていた。


「こんな感じでいいかぇ?」

「うん! 宗さんの剣の流れって綺麗だね」嬉しそうに秀頴が言う。


「根性曲がりの癖に剣筋だけは綺麗なんだよな、宗次郎!!」

いつもなら稽古の時以外は道場になど入って来ないのに

珍しい客人がいるからか顔を覗かせている。


「うっせぇよ!歳さん!!」

「せっかく剣筋を褒めてやったのに、ご機嫌の悪いことだな」

鼻で笑いながら歳さんは出て行った。


「なんなんだよ… 一体…」

歳さんの行動に呆れている間に、いつも道場にいる連中が集まっていた。


「なぁ宗次郎、型ばかりでなくて誰かと立ち会って見せてはどうだい?」

そう言って永倉さんが立ち上がりながら続ける。

「久しぶりにやってみるか?」


秀頴が来たことで慣れ親しんだ道場は、いつもと違う緊張感が流れていた。


「永倉さん、友人の前だから手加減して下さいね」と笑ってみた。

「そういうお前も手加減してくれよ」と笑い返す。


和やかな雰囲気は二人が木刀を持った瞬間に一変する。

自分の意識があるかないかも判らなくなる程の緊張感が心地良い。


立会いは瞬時に終わっていた。


「永倉さん! 俺に花持たせようとしたでしょ?」

「お前の実力だろ」と笑う。


秀頴は楽しそうに「二人ともすごい!すごい!!」を連発していた。


「今度は我々に心形刀流を見せて欲しいもんだね」

いっちゃんが興味深げに言う。


「えっ! 俺ですか?!」

突然言われて困惑している秀頴に助け舟を出そうとしていたら



「じゃ宗さん、俺と立ち会ってくれる?」と言われてしまった。


確かに俺も心形刀流に興味があるし、秀頴の太刀筋を見てみたいのは当然だ。

剣を持った時の気迫や切先の動きの全てが、その人の人となりを表す。

これまで見知ってきた秀頴と、また違う一面が見たいとも思った。


正面から立ち会えば尚の事、それが判ると思ったのだが…

思いもよらぬ事態に困り果ててしまった。



 秀頴と正面から立ち会うのは良いのだが、隙をみつけても

打ち込むことが出来ない。何より大事にしたい人なのに

俺が傷つけることなどしたくない。

そんな気持ちが先にたって、まっとうな立会いにならない。


まさか剣を持った時まで、惚れた弱みが出ようとは思わなかった。


その一瞬の迷いを秀頴に突かれ、あっさりとやられてしまった。

普段なら負けたことに悔しさを覚えるはずなのに、負けて安堵したのは

これが初めてだった。


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