深まりゆくもの

江戸016_もてなす 壱

 秀頴は一緒に町を歩いていると急に姿が見えなくなることがある。

道が不案内でよく道に迷っていることは知ってはいたが、

その原因は甘いもの屋と貸し本屋にあった。


 本好きなのは見た目のままなのだが、甘いものも好きで

茶店ちゃみせを見かけると


「入らなければ失礼だろう?! 味も確認しなきゃならないしさ」

などと大義名分を掲げて笑う。


俺と一緒に歩いている時でも、旨そうな菓子や物珍しい本などを

見かけると、俺の事も忘れてふらふらっと店先に入って行ってしまう。

そして俺は大慌てで来た道を一軒一軒探し回ることになる。


 最近では秀頴が急にいなくなる事にも慣れたもので、

道すがら迷い込みそうな場所を確かめ、いなくなったら

即座に探すようにして迷子になる事はかなり減ったはずだ。


迷子になってるはずの本人は悪びれることもなく、

本当に楽しそうにしているから怒れない。


ただ甘いものは苦手だと知っていて俺にも食べろと勧めることだけは

勘弁して貰った。


 今日の秀頴は会う前から読みたい本が手に入らず

少々ご機嫌が悪いらしい。

当然ながら、酒の量も増えていて早々から出来上がっていた。


「おいらはその本を三日も探し回ってるのに、そいつは

金に物言わせて簡単に手に入れたんだ。不公平だと思わないかい!!」

「そうだぁねぇ」


ふと気づくと秀頴の声が一段と大きくなっている。


「で、宗さん聞いてる?!」

「えっ? あ… あぁ聞いてるよ」

「こんなに欲しがってるおいらの手には入らないっておかしいよね!!」

「そうだぇなぁ…」


「もう宗さん!! 本気になって聞いてないでしょ?

おいらがこんなに怒って困ってるのにさ!!

なんでそんなに冷静なんだよっ!!」


 段々と怒りがこみ上げてきたようで、そろそろ俺に八つ当たりして

きそうな気配だ。


秀頴は普段は自分のことを「俺」と言っているが、

心を許した相手には「おいら」と言う事が多い。


俺と二人の時は俺とは言わず「おいら」と言うことが増えた。

素のままの秀頴でいてくれるのは嬉しいが、普段は押さえている

感情が表に出る時も「おいら」と言うこともある。

どうも今日は後者の方らしい…。


嵐が来る前にちょいと話を違う方向にむけなきゃだな…


「でさ、秀頴はどんな本を探してるんだい」

「朱子学というか… 陽明学の本なんだけど」


「陽明学ぅ?!」

「やっぱり知らないよね?」

「あれ…うちにあったような…」


表紙を見た様な記憶はあるんだがハッキリと思い出せない。


「宗さん持ってるの?!」

「いや探してるのとは違うかもしれないけど似た類のものなら

うちにあったと思うんだけど…」


「何でそれを早く言ってくれないのさ!!」

「いや、だから… 今聞いたばかりだし、それに貰った本なら良いけど

借りた本だったら今は家にないかもしれないんだけど」


「あんな高価な本貸したり、くれるたりす人がいるわけ?」


いるんだけど… その名前を出すと更に機嫌悪くしそうなんだがなぁ…


「あ、あのぉ… 前に伊豆から」

「伊豆守様から借りたり貰ったりしてるんだ!! えっ伊豆守様?!」


「そう。伊豆から読めって言われて貸して貰ったか、そのまま

くれたか覚えてねぇけど… それに秀頴が探してる本とは

違うかもしれねぇし」


「そうやって何かあったら伊豆守様、伊豆守様ってさ

宗さんばっかりずるいよ!! おいらその名前を聞くたびに

気が気じゃないってのにっ!! 宗さんここに座って!!」


わぉ!! 秀頴のお説教の時間だ…。


お説教が始まると正座して秀頴の訴えを聞くことになる。

他の奴なら喧嘩になるところが、さすがに惚れた弱味で逆らえない。


「はい」

と言って座った途端、少し方向のずれた怒りをぶつけてくる。


「二人の時に伊豆守様の名前なんか出さなくていいでしょ?」

「申し訳ない。でも本を貸してくれた相手がそうだし嘘つくわけにも…」


「そんな事は判ってるよ! でも何でおいらの前で

その名前を出すんだよ!! そりゃもう何もないって判ってるよ。

判っててもさ、心配になることだってあるでしょ?!」


「わかった。これから気をつけるから許してくれないかねぇ?」

「宗さんがそう言うなら仕方ない。許してやってもいいよ」


「でさ、秀頴」

「なに?!」

「本のことなんだけど内容見ないと判らないだろうから、うち来るか?」


「あの本の為なら、おいらはどこへでも行くよ!!」

「じゃぁうちにおいでな。来たついでに道場みて、時間があるなら

飯も喰ってもいいしさ」


そういうと急に秀頴の態度が静かになった。


「宗さん。今うちにおいでって言った?」

「あぁ言ったけど、嫌なら無理にとは言わねぇけど…」


「う、、うん。い、嫌じゃない。い、行くよ! 行ってやろうじゃないの!!」


「どうした?」

「いやさ、改まって宗さんのうちに行くってなんだか緊張する。

それに宗さんちに行くのは初めてだよね」


どうやら秀頴は照れてしまったらしい。

急に豹変する姿を見て可愛いなと思っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る