江戸08 ことうけ 壱

 あの日のことを思い出すと顔が赤くなるのが判る。

今まで散々遊んできたのに、こんなことは初めてで困惑してしまう。

自分の新しい一面に驚くばかりだ。


あれ以来まだ伊庭に会っていない。

いや、、、

あいつから拒絶されることが恐くて会う勇気がない。


殴る、蹴るの痛みなら耐えられるけど、心底嫌われて

大事な友人としての関係も失ってしまうことが恐くて仕方なかった。


 今まで体験したことのない感情とどう向き合って良いのか判らなくて

相変わらず、伊豆の懐に逃げ込んでいた。


たぶん伊豆にはいつもと様子が違う事はすぐにバレてしまいそうなので

座敷に入ってすぐ三味を爪弾いて誤魔化そうと思っていた。

だが、こんな時に限って三味の音がずれてしまって音合わせに手間取っていた。

伊豆はそんな俺を面白そうに観察している。


「そんなに見つめて楽しいかぃ?」

伊豆は何も言わず、そのまま含みのある視線でじっと俺を見つめている。

「何なんだよ!言いたいことがあったら言ってくれよ!!」

「じゃ聞くが、お前さんちょいと前に伊庭の家に行っただろう?」


ブツッ


三味の糸が切れた。

その名前を聞いただけで体温が上がる。手元がおぼつかない。

切れたままの糸も収拾がつかない。

焦ったまま返答する。


「い、、いや、あの、あれは… 伊庭が熱を出したから送って行って…」

「ほぅそりゃまたご親切なことだねぇ」

楽しそうに俺の顔を覗き込む。


「宗次郎、どうした顔が赤いぞ。こりゃ送って行く前に何かしたろう?」

「な、、何もねぇよ!! そんな、、伊庭に手なんか出してねぇよ」

伊豆は呆れた顔をして指摘する。


「宗次郎。儂は手を出したかとは聞いておらんのだがね」

そう言って伊豆は大笑いしていた。


 また嵌められたよ。どう転んでも伊豆に隠し事しようってのが

間違いなのかもしれないな。深いため息をついて開き直ることにした。


「どうせ隠してもバレちまうんなら白状するよ。伊豆の言う通りだよ」


 あの夜、伊庭が熱を出したので屋敷まで送って行った。

一緒にいるのが照れくさくて帰るつもりだった。

それなのに夜も遅い刻限だからと下男に強く引き止められて

伊庭の部屋に泊まることになったんだけど… 何で伊豆が知ってるんだ?


「儂が知ってるのがそんなに不思議かい?」

「もしかして、伊庭のダンナから?」

「父親が息子の動向を知らなくてどうする」

「えっ… てことは… まさか…」

「奴はそこまで知らない筈だ。息子が友人を連れて来たと

言ってたのでお前さんに鎌かけただけなんだがね。

ふふふ。本当にお前は正直で面白いのぉ」


人の反応みてそんなに楽しいのかよ…。こっちはあれからずっと

悩み続けて寝られやしないってのにさ。


「で、どうなんだ?」

「どうって何が?」

「はっきり聞かれたいか?」

「あ… いや… 遠慮しとく」


「それで?」

「あれから会ってねぇし…」

「どうする?」

「自分でも、どうすりゃいいのか判らねぇんだよ!」


「お前の気持ちは?」

「俺は… 自分のことより、あいつがどう思ってるかなんだよ。

はっきり聞きたいと思う気持ちもあるけど、あいつに拒否されるのが恐くて

会う勇気がないんだよ」


「振られるのが恐いか?」

「それもある。でも、今までみたいに友人として付き合うことすら

出来なくなることが一番恐いんだ」


「このまま逃げ続けても、どうしようもないだろう?」

「判っちゃいるんだけどさ」

「最近また伊庭がお前を探してるらしいな。あいつも何かしら自分の中で

答えを出したんじゃないのかい?」


「そうだろうけど…」

「恐いか? 本気の相手が出した答えを聞かずに逃げ回るってのは頂けないねぇ。

振られた時には儂が面倒みてやろうか?」

「あはは。世話にならずに済むことを祈っててくれよ」


伊豆の後押しもあって、きちんと伊庭と話をしようと腹をくくった。



 伊豆に言われて腹をくくったつもりでいたのに、いざとなると

恐くてたまらない。相手の気持ちを聞くことがこんなに不安になることだとは

知らなかった。


 日も傾き、伊庭と会う刻限が近づいた。

座敷でじっと待つことに居たたまれなくなって廊下に出た瞬間に

後ろから声をかけられた。


「宗さん!!」


あっちゃ…もう来たかい。

いつもと変わらない声。こんなに意識してるのは俺だけなんだろうな。

最悪のことを覚悟して振り向いた。


「もう宗さん探したんだからね!」

「あぁすまない。もう体の方は大丈夫なのかい?」

「えっああ… そんなことよりさ試したいことがあってね」

その事には触れられたくないらしく伊庭は早々に話題を変えて

座敷の中へと入って行った。


 今日の伊庭はどこかしら陽気で何もかもふっきれた様子だ。

その勢いに気圧されていると、いきなり俺の腕を掴んでにっこりと笑う。


「とりあえずさ、まず此処に座って」

腕を掴まれたまま座らされた。一体何が始まるんだ?!


「ねぇ宗さんちょっと触ってみて?」

掴んだ俺の手をそのまま胸の辺りに持ってくる。

あくまでも笑顔なのが恐い…。


伊庭の力が緩んでいざ触れようとしたら

「あぁ宗さん! たまたま当たったみたいにポンと触ってみて」

「あ、あぁ判った」言われるままに触れてみる。

「平気だよなぁ」伊庭は一人で納得した様に笑う。


「一体どうしたんだい?」

「いいから、いいから言ったとおりにして」

「次はもう少しゆっくり触ろうとしてる感じで…」

嬉々として続ける伊庭を見ていると抗う気持ちは吹き飛んでいた。


伊庭は、段々と触れ方が友人の域から思いを込めた相手への触れ方を

試そうとしている。その度に自分の中の何かを確認している様だった。


「ねぇ宗さん。そろそろ本気だして触れてみてくれない?」

「えっ?!」


まさか伊庭の口からこんな言葉が出るとは思ってなかった。

更に要求の内容の割には全く色香がないのもどうかと思うんだが…


「本当に本気で触れていいんだな?」

「うん。これで最後だからお願い」


本気で触れてって言う癖に… 何でそんなに色気がないかなぁ…。

半ば自棄気味に手だけは本気で触れてみる。


「やっぱりそうだ! 判ったよ宗さん!!」

伊庭は嬉しそうに大声で叫んだ。俺はその声に驚いて思わず手を離した。


まるで子供が遊んでる様な雰囲気から一転、今度は居住まいを正して

俺のほうに向き直る。


「宗さん。俺さ男に触れられるのは大嫌いなんだ。この間も稽古の後に

井戸で水浴びしてたら、たまたま門弟と当たったんだ。

ほんの一瞬のことだったけど、すごく気持ち悪かった」


そうか… やっぱり嫌だったんだな…


「でも、あの、、この間の宗さんの時は平気っていうか…

嫌じゃなかったんだよ。自分の心の中を色々当たってみたけど

宗さんなら平気って判ったんだ」


「それは友達として平気ってことかい?それとも深い仲の…」


「ん、たぶん後者の方だと思う。それで、そう考えるとさ…

自信がなくなってきたんだ…」


「自信?」


「うん。宗さんを好きな人は一杯いて、俺みたいな奴が本気で

相手してもらえる筈ないって…」


「何でそう思うんだい?」


「あの時はお豊のことで慰めてくれる為に言ってくれたのかなぁとか

勢いでああなっただけって言われるんじゃないかとかさぁ…

ねぇ宗さん。あの時の言葉、信じていいの?」

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