交わるこころ

江戸07 こうじる

俺と伊庭は黙ったまま向かい合って座っている。


この間まで俺を探し回っていた伊庭を探すのは簡単だった。

でもいざ伊庭の鋭い眼差しと対峙すると、お豊の話を切り出すことも

事の経緯いきさつを話さなきゃならない役目からも逃げ出したくなった。


 その場の空気に居たたまれず盃を取ったところで

おもむろに伊庭が口を開いた。


「で、宗さんはお豊の行き先を知ってるんだよね?」

完全に俺が知ってるという前提の口ぶりが空恐ろしい。


「そのことなんだが…。ちょいと落ち着いて最後まで話を聞いて

貰えないだろうかねぇ?」

「いいよ。知ってること全部話してよ」

冷静なのに責める様な空気が漂っている。こんな時の伊庭は恐い。

その雰囲気から殴られることも覚悟で事の経緯の全てを話した。


 お豊が何もかも告げずに逝ったことを話してもあまり驚かず

冷静に受け止めている伊庭だったが、怒りの方向は別にある様だった。


「ねぇ宗さん。お豊が療養に行ったのは何時頃?」

「あぁ…10日程前だったかな」

「ふーん。やっぱり」

やっぱり? 何でやっぱりなんだ? 伊庭は何か知ってるのか?


「あのさぁ、宗さんの今着てる着物って前から持ってた?」

何でこんな時に着物の話なんざしてくるんだ?

訳の判らないまま俺は返答する。

「この着物なら前から持ってたぜ」


「で、10日ほど前もそれを着てなかった?」

「10日ほど前にこれを着てたかって? さぁ…」


そこまで言われて気づいた。もしかしたらあの時に見られていたのか…?

伊庭は俺が一瞬だけ見せた驚きの表情を見逃さなかった。


「ねぇ宗さん…。

俺は10日程前お豊の家の前でその柄そっくりの着物を着た男とお豊が

抱き合ってるのを見たんだ。お豊の顔は見えたけど男が誰だったか

判らなかった。でも今判ったよ。あれは宗さんだったんだね?」


えっ?! お豊を送って行く時のあれを見たってことか…?。

バレてるなら余計に誤解の無い様に、きちんと話をしなきゃならないな…。


「そうか… 見られてたのか。あの時はお豊を療養先に送っていく時のことで…」

「宗さん何焦ってるの? 俺に見られちゃまずかったのかい?」

「いや… 見られて悪いとかじゃなくて…」

「じゃ何? 往来の真ん中で抱き合ってるのを見せ付けたかったのかい?」

「そんな訳ねぇだろう!!」


「でさぁ、本当のところ宗さんとお豊はどういう関係なの?

宗さんとお豊が仲良かったって噂もあるらしいじゃないか」

「それはかなり前の話で、お前さんと仲良くなる頃には縁は切れてたぜ」


伊庭は俺を見据えて続ける。


「二人して恋に夢中になってた俺を見て笑ってたんじゃないのかい?」

「なあ伊庭… 俺を疑うのは構わないけど、お豊だけは信じてやってくれよ。

あいつは本当にお前が大事だから何も言わずに…」

「判ってるよ!! お豊はそんな女じゃないって!! でもあの時の二人の姿が

あまりにも絵になってて、声もかけられなかったんだよ!!」


えっ?! ってことは何のことはない嫉妬か八つ当たり…?? 



あの場面を見て俺とお豊の仲を疑いたくなるなんて伊庭も本当に

お豊に惚れてたってことか。でも、そこまでやきもち焼かなくてもいいのに…

心の中でため息をついた。


「心配しなくても、お豊が好いてたのはお前さんしかいねぇよ。

そんな事は判ってるだろうに…」

「そりゃそう信じたいさ。でも宗さん相手じゃ俺に勝ち目はないじゃないか!!」


「なぁ伊庭。お前さん誤解してる様だけど、俺は別に惚れた奴がいるんだぜ」

「へえぇ。そんな人がいるんだ。初耳!! それって誰?」

「悪い…それだけは勘弁してくれ。俺の片恋だから…」

「宗さんが片恋だって? そんなの信じらんないね。どんな女でも宗さんにかかりゃ

すぐものに出来るでしょう? 俺に言えない相手だからって誤魔化すつもり?」



おい!俺が惚れてるのは、伊庭…お前だよお前!! 本人前に言えるかよ!!

この気持ちを吐露したら二度と会えない。

自分の気持ちを押し殺してでも繋いでおきたいと思っていた友情すら

失うことになる。それだけはしたくない…

そう思って今まで隠し通してきたのに。

さて、どう返答しよう。


俺の煮え切らない態度に伊庭の勢いは増すばかりで、

どうにかして白状させようとして、どんどん俺に近づいてくる。


「どうしたの宗さん。答えられないの?」

「だから… 勘弁してくれよ」

「言いふらしたりしないよ。俺そんなに信用ない?」

「そうじゃなくて!!」

「じゃ誰!!」


あぁもう!!白状するしかないのかよ!!


「お前だよ!!」

「えっ?!」


疑われたことに腹が立って勢いで言ってしまった。

見る間に伊庭の顔色が変わった。


「あぁ!! これだけは言うつもりじゃなかったのに。今までずっと

押さえ込んできたのに!!」

「宗さん…?」


「お前さんは男に触られるのも嫌いだって聞いてたんだよ。惚れたところで

報われるはずもない。気持ちを伝えて嫌われて二度と会えなくなる位なら

せめて友人って立場でずっと側にいたかったんだよ!!」


「それ本当?」

「あれだけ側にいて気づかなかったのかよ!!」

「あぁ惚れた女の様子が変わったのすら判らないのに、宗さんの気持ちまで

判るわけないだろう!!」


「そうだな。俺の気持ちなんか判りたくもないよな。知ったところで迷惑だしな。

でもお前さんに惚れてるのは本心だよ。今まで嘘ついて友達のふりしてたんだ。

姑息な真似してでも側にいようとしてたんだよ。

今まで騙す様なことをしてすまない。

でも知られてしまったからには、もう友人ではいられないよな」


伊庭は驚いて口をあけたまま、何も言わない。

こんな時にまさかの告白までされて、心中さぞ混乱してることだろう。

でも、もうこれで間違いなく友情も終わる。そう思うと

一緒にいる事が息苦しくなってきた。


「なぁ伊庭。今日はお前さんと二人でお豊の話をしながら一緒に

酒でも飲もうと思ってたんだけどね。俺の本心もバレちまったし、

嫌われる前に退散するよ。この座敷は朝まで使えるから

好きな様にしてくれ。じゃ…」


そう言って立ち上がろうとした瞬間、後ろから強い力で引っ張られ

気づいたら俺は伊庭に組み敷かれる格好になっていた。


「宗さんまで俺を一人にして置いていくのかい?!」

「なぁ伊庭。さっき俺が言ったことわかってるかい?」

「あぁ判ってるよ!俺にだって耳はあるし理解できる頭だってあるさ!」

「いやそういうんじゃなくて…。このままでいたら俺は何をするか

わからないんだぜ?」


「そんなの構わないよ!!」

「おい!! 気は確かか?! 俺の言ってる意味が判ってて引き止めてるのかい?」

「判ってて引き止めてるよ!俺は正気だから!!」

「あ…いやだから…」


変に興奮してる今の伊庭には説明するよりも実際に触れてみれば

俺の言っている意味がわかるかもしれない。


そう思って組み敷かれたまま片手を伸ばして伊庭の頬に触れる。

「本当に意味がわかって言ってるのかい?」

「ん…」

首を縦に振るだけで何の抵抗もしない。

もう片方の手も上げて両手で伊庭の頬を包んだ。

「本当にこのままだと止まらなくなるぞ。いいのか?」


「宗さん。今日だけは一人にしないで。お豊がいなくなっただけでも

かなり堪えてるのに、宗さんまでいなくなったら俺はどうしたらいいんだよ」


伊庭の目から涙がこぼれた。見た目は華奢だが芯の強い伊庭が

人前で涙を隠さずに泣くとは思わなかった。

その姿はまるで美しい風景の様で思わず見とれてしまっていた。


「お前さんがいいなら、俺はずっと側にいる。でもこのままだと

友達として一緒にいられなくなる。だから…」


まだ今のうちなら理性で止められる。そう思って体を起こそうと

した時だった。


「いいよ、宗さんなら」


その一言に驚いて伊庭を見つめる。

「本当にいいんだな?」

「うん…」

「後悔しても知らねぇぞ」


頬に触れている手を首に回し、ゆっくりと顔が近づいていく。

その瞬間から理性はどこかへ飛んでいき、

自分が何をしたのか、何を囁いたのかすら覚えていないほど

夢中になってその喜びを味わっていた。




翌朝、正気に戻った俺は自分のしでかしたことに顔面蒼白になった。

たぶん昨日の伊庭は、お豊のことで辛すぎて今の寂しさを

紛らわせたいだけだったのかもしれない。

それでも… あいつが良いって言ったんだし…


あとになって伊庭からあれは間違いだったと言われる覚悟やら、

あんなことだと思ってなかったと怒られるとか

色々なことを考えれば考えるほど頭が混乱していた。


何より本気の相手。それも絶対に叶わないと思っていたことが

現実になって、肌をあわせた後がこんなにも照れくさいものだと初めて知った。


それに伊庭本人の気持ちを確認していないことも気になっていた。

あれは一夜の夢なのかもしれない。

やっぱりあれは間違いだったと言われるのが恐くなった。



伊庭の答えを聞くのが恐くて、顔を見るのが照れくさくて

しばらくは伊庭と会わない様に逃げていた。

お豊の件で逃げ隠れしている時は楽しめた筈なのに今の俺には

楽しむ余裕すらなかった。

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