江戸05 三人目の頼みごと
座敷ではすでに数人が集まって酒盛りを始めていた。
「今日は客人を連れてきたぜ」
中にいる連中に声をかけ伊庭と一緒に部屋に入る。
途端に芸妓連中の黄色い声が響く。
「伊庭の若様!!」
「噂に違わず男前だこと」
いい男を見ると女達が色めき立つのは世の常らしい。
「宗さん…」慣れない言葉に伊庭は照れて困った様に俺を見上げる。
「いきなり褒められたから驚いたかい?」
「それもあるけど… 俺から見りゃ宗さんの方がいい男なんだけど」
その場にいた全員が大笑いする。
周りの反応に驚いた伊庭は小声で俺に言う。
「あれ? 俺また変なこと言った?」
「変なことは言っちゃいないが、ここにいる連中は俺のことなんざ
男前だと思っちゃいないんだよ」
「どうして?こんなにいい男なのにね」
いきなりの言葉に今度は俺が照れて苦笑するしかなかった。
車座になって酒盛りは続いていた。先刻出会ったお島も来て
話題は色恋の話に移っていた。
「伊庭の若様。最近お豊の所に通ってるらしいねぇ?」
「えっ… あ… はい…」
相変わらずこういう話題は苦手らしい。
恋に夢中になって花街に頻繁に通う様になっても、
すれてない伊庭にほっとして心の中で小さく笑った。
隣にいた染吉が伊庭を見ながら言った。
「お豊っていや昔お前と…」
「あぁ」
その先を言われない様に口の前に人差し指を立てて染吉に口止めする。
お豊との関係は昔のこと。伊庭に聞こえないうちに話題を変える。
「そういや今一番熱いのはお島じゃねぇのかい?」
「もう宗也ったら、言わないでよ」
お島は言葉とは裏腹に嬉しそうに照れている。
他の連中も知らなかった様で、この話題に乗っかってくる。
「おお!ついにお島もいい人が見つかったのかい?」
「今日この後も… だよなぁ お島」ちらっとお島の方を見る。
「もう!照れるから勘弁してよ」
「後で抜ける時にバレるんだから今言っても一緒じゃねぇの?」
皆で大笑いしている時だった。不意に障子が開き男が入って来た。
「き、、桐蔵!!」
さっきまで楽しそうにしていたお島の顔色が変わる。
男はお島の方に近づきながら言い放った。
「男が出来ただと? それはどこのどいつだ!!」
どんどんお島に近づいて来る。距離が縮まる恐さにお島は震えていた。
やっぱり嗅ぎ付けてきやがったか。執拗にお島のことを追い掛してるし
今後の事も考えたら、こりゃもう縁切って貰わなきゃ駄目みたいだな。
桐蔵とお島の間に入って、桐蔵に向かってにっこりと微笑む。
「あぁもう野暮天はこれだから困るよ」
「そ、、宗也!!」
「おや。俺のことを覚えててくれたなんて嬉しいやねぇ」
「お前にゃ用事はない!!お島に聞きたいがあるんだ!!」
「そんなこと言わねぇでさぁ俺と話ようや。この前みたいにさぁ」
「えっ、、、」
桐蔵の顔色が蒼くなってゆく。少し前に桐蔵が座敷で暴れたので
少々痛い目に遭って貰った事は忘れてなかったらしい。
俺は笑顔で続ける。
「だからあの時にもう関係ない座敷に入らないって約束したのに…
もう忘れちまったのかい? 野暮な奴は嫌われるぜ」
「宗也!! てめぇにゃ話はないんだよ!!」
「俺だって、お前みたいな奴と話するより綺麗な女相手の方が嬉しいけどね」
「人を小馬鹿にしやがって!!」
「あっ…バレてた?」
桐蔵の怒りは頂点に達したらしく、怒りにまかせて俺の胸倉を掴む。
こんな奴の相手をするのが面倒くさくなってきたし、そろそろ締めるか…。
「なぁ桐蔵。お島の相手が誰だか教えてやろうか?」
「…」
「俺だよ。俺!!」
「まさか。そんなことある筈ないだろう?」
「そのまさかだったら、どうするよ?」
「し、、信じられないね! お前が本気になるんて聞いたことがない!!」
「言うと思った。じゃ見てな」
そういうと桐蔵を振り払い、後にいるお島の方を向く。
顔を近づけて耳元で囁くように
「お島ちょいとだけ我慢しておくれね」と声をかけてから
かすかに唇が触れる程度の口付けをする。
ちらっと桐蔵を反応を見て、
「で、お前さん まだ俺達の邪魔しようってのかい?」
「人前でこ、、こんなこと、、、」
桐蔵はかなり度肝を抜かれたのか言葉が続かない。
今度は俺が桐蔵の胸倉を掴んだまま、座敷の外へ放り投げ
廊下に転がった桐蔵に更に言葉を続ける。
「金輪際 お島に近づくんじゃねぇぞ!!今度来たら命は無いと思いな!!」
転がったまま後ずさる桐蔵に顔を近づけて
「この街で俺に逆らった奴がどうなったか、知ってるだろ?
ここはあっさり引いたが得策じゃないかい?」
その言葉を聞いた途端に桐蔵は走り去った。
面倒な桐蔵も去ったし、たぶんこれでお島も安心して逢瀬を
楽しめるだろうとホッとして部屋の中を見渡す。
全員が呆然とこっちを見ている。
「お騒がせで悪いな」
その声をきっかけに皆が一斉に動き出した。
まず、急にあんなことをしてしまったお島に詫びようと思っていたら
お島の方から歩み寄ってきて
「これで桐蔵から逃げられるわ。本当にありがとう」
「あんな乱暴なやり方ですまないね。怒ってねぇかい?」
「うん。宗也の考えてる事がわかったから…」
「こっちこそ、ありがとうよ」
それだけ言うと、お島は大事な人が待つ座敷へ行った。
桐蔵の乱入でせっかくの酒盛りも台無しになり
皆そのまま何処かへ流れていった。
ふと座敷を見回すと、伊庭がぽつんと一人で座っていた。
「伊庭!!」
声をかけるとやっと正気に戻ったみたいだ。
「そ、、宗さん」
「どうした?」
「宗さんが人前であんなことするから、呆気にとられて…」
「そりゃ驚かせて悪かったね」
どうやら俺とお島のことを誤解している様なので
伊庭にそれまでのいきさつを話した。
「ふーん。そうだったんだ。その桐蔵って奴も困ったもんだね」
「だな…」
「幾ら好きでも駄目なものは駄目だよね、宗さん」
「だな…」
「どうしたの? 桐蔵に対して怒りは収まったの?」
「いやさぁ…なんだか桐蔵が可哀想に思えてな…」
「可哀想?! あんなことをしたのに?」
「そこまで惚れてたんだなと思ったら、やったことは良くはないけど
心情としては判らないでもない気がしてね」
「宗さんもそんな辛い恋をしてるの?」
「少し前の話だけどな。でももう吹っ切れてきたかな。
今はその人の幸せを願ってるよ」
秀頴… お前が幸せな顔してりゃそれでいいって…
まだ強がってる部分も多いけど、少しずつ…少しずつ…だな。
しんみりした空気に居たたまれなくなって
「そういや、お前お豊のとこ行かなくていいのか?」
「あぁ忘れてた! 俺もう行くね!!」
伊庭はお豊の家の方に走り去って行った。
これで一件落着だな。一人でのんびりと盃を傾けた。
伊庭とお豊のことも本心から祝ってやれる気がしてきた。
久しぶりの一人酒を堪能して、三味線を爪弾く。
ゆったりとした時間に身を任せ、煙管をくわえ煙をくゆらす。
生き返るなぁ。そんな気分になっていた。
不意に障子が開く。
そこには、お豊の悲しげな顔があった。
「どうした? 伊庭ならもうお前の家に向かった筈だぞ」
「宗… あのさぁ」
「ん… 何だぇ伊庭と喧嘩でもしたかい?」
「そうじゃなくて… お前さんに、頼みがあるんだ」
その言葉を聞いた途端、煙管の灰を叩き落として、お豊に告げる。
「三人目!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます