江戸04 ひにち薬
西国には「日にち薬」という言葉があると伊豆が教えてくれた。
どんな悲しみや苦しみも歳月が癒してくれるのだそうだ。
秀頴とお豊が恋仲になった事に腹を立てていたが
今では俺の前で二人が仲睦まじく話ている姿も見慣れてきた。
俺は気を紛らわす為に遊び方が派手になったと伊豆にも剣術の師匠にも
諌められることもあった。
その時の俺はそれ以外に憂さ晴らしの術を知らなかった。
自暴自棄になっている俺を心配して怒ってくれるがいることに
気づくことも出来たし悪いことばかりではないと気づいてからは、
俺の感情もそれなりに落ち着いてきた。
時折、芸者衆や店の仲間内で客に隠れてこっそり酒盛りをする。
気心のしれた連中だけが集まり本音で語り合う。
店のこと客のこと色恋のこと。全てこの連中相手に嘘はご法度だった。
暇だった俺は、この日の集まりの準備も早々に整ったので街を見て廻っていた。
歩いている前方に、芸妓のお島が見えた気がして、
その方向を見ると見慣れない男と話をしていた。
邪魔をしない様に、知らん顔で通り過ぎるつもりだったのだが…。
「あっ宗也!! いいところで会ったよ。ちょいとお願いがあるんだけど」
お島の方から俺に声をかけてきた。
「今日あいつが近くの座敷に来るって聞いたんだけど…」心配そうに聞いてくる。
「あいつ? あぁお前さんにしつこく言い寄ってる桐蔵のことかぇ?」
「そうなんだよ。また座敷に乱入しそうで。それに今日はこの人と…。
だから邪魔されたくないんだよ。」
花街に来るまで苦労続きのお島が嬉しそうに話す。
お島の横にいる男が会釈する。どこかのお店の若旦那の様だが
見るからに真面目そうで好感が持てた。
今日の夜の逢瀬の打ち合わせの為に仕事を抜けて来たのか
ソワソワして周囲の様子を伺っている。
初々しい二人を見ていると、俺まで幸せな気持ちに包まれ
お島の願いを断る理由が見つからなかった。
「あいあい。判ったよ」
その言葉を聞いたお島達は満面の笑みを浮かべて去って行った。
「桐蔵か…」邪魔された時の事を考えながら歩いていると
久しぶりに聞く声がした。
「宗さん!!」
秀頴と会うのは本当に久しぶりだった。最近では座敷に来ないでお豊の家を
訪ねることも増えている様だ。
軽く片手をあげて返事をすると、相変わらず俺の側に駆け寄ってきた。
「あのさぁ宗さん。頼みがあるんだけど」
「…二人目」
俺のいきなりの言葉に秀頴は目を丸くして驚いてる。
「今日俺に頼みごとをしてきたのが、お前さんで二人目。で何だい?」
「…。あっそういうことか… あ… いや忙しいならいいんだけど、今日さぁ
お豊は座敷に上がるらしくて終わるまで待ってて欲しいって言われてるんだ。
それで宗さんに時間まで付き合ってもらえないかと思ってたんだけど… 駄目?」
駄目ってところだけ上目使いで見てくる。あの目つきで来られたら俺は断れない。
惚れてた弱味ってぇのは立場が弱くていけないやね。
「あぁ今日は仲間内で騒ぐんだが、そこで良ければ来るかい?」
「えっ?! 俺が行っていいの?」
「あぁかまやしねぇよ」
秀頴は何故かとても嬉しそうだ。
そこで伊豆に言われたことを思い出した。
「ついでになんだけど、こないだ伊豆に怒られたことがあってな…」
「えっおいら何かやらかしたかい?」
秀頴は一瞬で顔面蒼白になっていた。秀頴にとっては伊豆は相当恐い存在の様だ。
あまりにも恐縮している秀頴を見てからかうのは止めにした。
「ふふっ違うよ。怒られたのは俺だよ。俺!!」
「えっ宗さん。まさか腹切るとか言わないよね」
あまりに突飛な発言に吹いてしまう。
「いやそうじゃなくてだ。俺はお前さんに会った時からずっと秀頴と呼んでるけど
諱をそんなに大っぴらに言うもんじゃないと言われてね。確かにそうだなと思ったのさ。
だから今後は伊庭って呼ぶことにしようかと思ってるんだよ」
それに苗字で呼べば距離感が出来るから、その方が付き合いやすくなるだろうって
言われたのは、秀頴… いや伊庭には内緒だけどな。
「そうか。そうだね。伊豆守様が言うなら間違いないと思うから、そうしてくれていいよ」
伊豆の名前を出すとどんなことでも聞いて貰えそうな気がしてきた。
「じゃ今日から伊庭って呼ばせて貰うことにするよ」
秀頴改め伊庭を連れて皆の集まっている場所に向かった。
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