江戸03 遅かりし…

 道場の行事やら花街の祭りやらで忙しい日々を送っていた。

少し前までは頻繁に顔を合わせていた秀頴の姿もあまり見なくなっていた。


根っからの遊び人でもなければ、粋筋のことが得意でもなさそうだ。

まして、色恋など秀頴には苦手なことだろうと勝手に思っていた。


その日、秀頴は俺を見つけて駆け寄って来た。

いつもより紅潮した頬が今までの秀頴とは違う印象を与えた。


「宗さん! 宗さん!!聞いておくれよ。俺のことを好いてくれる人が出来たんだ」

「えっ?なんだって?!」


思いもしなかった言葉に頭が混乱する。

秀頴を好きになった奴がいる…?! 心の中で反芻する。

この状況が理解出来ていない俺に、秀頴は言葉を続ける


「少し前の座敷で宗さんが紹介してくれた人で、お豊っていうんだけど…」


お・と・よ… 今こいつ「お豊」って言ったか?

もしかして俺のよく知ってるあのお豊のことなのか…?

何の返答もしない俺に業を煮やして声高に言う。


「もう!! 宗さん聞いてんの? 素敵な人を紹介してくれたからお礼が言いたくて

ずっと探してたんだよ。お豊はさぁ…」


秀頴の惚気は耳に入らず俺は違うことを考えていた。


そりゃまぁご丁寧に…。ちっとも嬉しくない報告を有難うってなもんだ。

だいたい、お豊は芸妓に上がる時に俺が女にした奴で、

秀頴に言われなくてもよく知ってるんだよ。

それについ最近会ったばかりで、俺に断りも無くそんな深い仲に

なるなんてどういう了見なんだ!


あれほど秀頴のことは弟の様に可愛いと思っていたはずなのに

俺の頭の中には祝福する言葉など全く浮かばなかった。


「ねぇ宗さん! ちゃんと聞いてる?」

「あぁ聞いてるよ。俺が紹介したお豊と恋仲になったんだろ」

「そうそう。そうなんだよ」


秀頴の浮かれた顔を見ていると腹が立つ。

あの時は人数う合わせの芸妓としてお豊を連れて来ただけで、

紹介なんざしてねぇし… 秀頴の一言一句に腹が立つ。

ささくれ立った心は俺を無愛想にした。


「そうか。そりゃよかったな。悪いが今日は急いでるんだ。

また今度ゆっくり聞くから。じゃまたな」


さっさと会話を打ち切って秀頴から逃げ去る様に離れて行った。


伊豆が待ってる店の前で不意に声をかける奴がいる。


「宗!! 宗の字!!」


女のくせに乱暴な口、遠慮のない呼び方。間違いなく、あいつだ…。

気持ちを落ち着かせ振り返ると案の定、お豊が立っていた。

さっき聞いた不快な話を何度も聞きたくなくて、先に口火を切る。


「あぁ秀頴のことだろ。本人から聞いた。今日は急ぐから。悪いな」

それだけ言い放ち、呆気に取られるお豊を置き去りにして

店の奥へ駆け込んで行った。


知りたくも無い事実に背を向け、この話とは全く無関係な伊豆と

たわいない世間話をし、旨い酒で気を紛らわそうと思っていた。

いつもの座敷に来れば少しは落ち着くと思っていたのに…

気がつくと苛立つ心そのままに三味線を手にしていた。


「どうした? 今日の三味はめっぽう機嫌が悪い様だな」

「そう聞こえるかぃ?」


平静を装って返答した俺を一瞥しただけで、伊豆は何かを察した様だった。

「相変わらず、お前は判りやすい奴だなぁ」鼻で笑ってやがる…。

「そいつぁ悪ぅござんしたねぇ」


「ほほぅ。こりゃ本格的に機嫌が悪いらしいな。伊庭の息子と喧嘩でもしたのか?」

「喧嘩? そんなことしねぇよ」


「そうだな。喧嘩するほど仲が良いのは、お豊の方らしいからな」

「な、、何で、、、 何で知ってんだよ…」

「悪いなぁ。儂の周囲にはおせっかいな奴がいてすぐ耳に入る。困ったもんだなぁ」


げっ! 知っててあの言い草かよ。俺の気分を逆撫でして楽しむ趣味は相変わらずか。

本当に悪趣味な殿様だぜ、全く…。


「ところでなぁ宗次郎。お前の怒りの矛先は、伊庭か?お豊か? どっちだ?!」


怒りの矛先?! さっきから腹が立ってはいたが、そんな事は考えてもみなかった。

よく考えてみりゃお豊に男が出来たことは今回が初めてじゃない。

時にはあいつの男を紹介されたこともあったが、祝福することはあっても

腹が立つことなんざ一度もなかった。


じゃぁ一体何に腹を立てているんだ俺は??

答えに詰まっている俺の顔を覗き込んで、伊豆は楽しそうだ。


「で、どっちがお前さんの本命だぃ?」


いつもなら俺をからかって楽しんでいる伊豆に気の利いた言葉で

やり返しているはずなのに、今日の俺にはそんな余裕はない。


俺の瞳を見据えて、伊豆が迫ってくる。

「いつも目端の利くお前が、自分のことになると途端に勘が鈍るようだな。

それとも認めたくないだけなんじゃないのか?」

「認めるって何をさ?」


「で、お前さん今までお豊に男が出来て腹立てたことがあったかい?」

「あ…ないわ。一度も腹立ったことなんざなかったな…」


今までの事を思い出しても、お豊の色恋が気になったことすらなかった。

じゃ秀頴が苛立ちの原因なのか?

ということは、やはり俺は秀頴のことを好いていた…?


答えを出せない俺に呆れたのか伊豆は俺の頭を軽く叩いて

「もう今更気づいても遅いこと。捨て置け」


そう言うと伊豆は後ろから俺を引き寄せた。

抗う気持ちも失せて、そのまま後ろにもたれかかると

そこにはいつもと変わらない温みがあった。


「飲んで忘れろ」伊豆はそう言うと盃を俺の口に押し付けた。

その日の酒はほろ苦い味がした。

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