江戸01 出会いと戸惑いの正体

人の気持ちなど考える必要などないと思っていた。

たとえ相手が傷つこうが、そんなことよりも快楽を求めるのが人の常なのだと。


恋愛は手練手管。。

本気になった方が負けの遊びなれた者だけが知る優越だと信じていた。


まして肌を合わせることに快楽以外のなにものでもない。

俺も相手に愛を求めようとはしなかった。


そして花街の連中は俺をこう呼ぶ

宗也そうやは浮舟」

誰のものにもならない、宗也相手に本気になるなと…


 花街の仲間が恋愛に一喜一憂することを否定はしないが

俺には全く縁のないことだと…。


いや、、今思えば俺はただ知らなかっただけなのだ。

人を好きになること、相手を思いやること、愛というもの全てに

気づかない闇の中で育っていたことすらわかっていなかったのだった。


その頃の俺は剣術修行のため、ある道場に間借りしていた。

道場の先輩達は免許皆伝めんきょかいでんを貰える腕はあると言ってくれるが、

師匠だけは全く認めてくれない。

「若い」それだけが理由ではなく、俺の剣には心がないのだと。


「我が流派に冷たい剣は無用」と言われた。

心を磨くために花街に行けと冗談半分で言われ、やけっぱちになって

座敷に行ってみた。


その華やかさと楽しさに三味線や舞を習い、気がついた時には

男芸者で喰っていけるくらい花街で有名になっていた。


腕に覚えがあることから、ある置屋の用心棒もすることとなり、芸事から剣まで

俺の楽しいと思えることの全てがここにあった。


揉め事を収めるために、さる身分のある人と懇意となり深い関係が出来た。

それでも、俺は毎日のように芸妓さんと遊び歩いていた。

その人は何も言わず、俺を束縛しなかった。


人の情など軽薄なもの、本気の恋など俺には全く無縁なのだと思っていた。

そして俺はあいつと出会う。


花街の宵は客を迎える艶やかな雰囲気が漂っていた。

これから騒がしくなるだろうという刻限の直前。

俺はいつもの座敷で、いつもの様に三味線を爪弾いていた。

嵐の前の静けさとでもいうのか、この瞬間がまた心地よくてたまらない。


隣にはご贔屓筋の伊豆がゆっくりと上品な仕草で酒を口に運んでいる。

伊豆は身分のある人だとは聞いているが堅苦しいことよりも

気楽にいられるこの花街がお気に入りらしい。


「宗也、前々から言ってた事だが今日は後から軍兵衛が来る。」

「軍兵衛? あぁ…伊庭いばのダンナのことか。そんなのいつものことだろ?!」

「いや、今日は自慢の息子を連れて来るそうだ。あいつに似て美丈夫びじょうぶとのことだが…」

「美丈夫?!」


おいおい…「美丈夫」ってのは、役者絵の様に綺麗な男のことだろ?

驚きを隠せないでいる俺の横で伊豆が苦笑する。


「美丈夫が納得いかないという顔つきだな。」

「だ、、だって見るからに無骨で男臭いあの伊庭のダンナから、

 美丈夫ってのは想像つかねぇでしょ?」

「確かにな。役者絵ってよりは武者人形に近いか。」

「そんな人の息子がどう転べば美丈夫になるんだか…」


二人でひとしきり笑いあった後、伊豆が真剣な顔で俺を見る。

「儂らが話をしている間お前は息子の相手をしろ。ただし三味線の音は切らすな。」


要するに息子を連れて来て事の重要さを隠すため。三味の音は盗み聞きされない為ってか。

「あいあい。承知しましたよ」


しばらく雑談していると、障子の向こうから声がかかる

「お連れ様がお越しです」

伊豆は「ふむ」と低い声で応対して伊庭親子が入って来た。


軽く会釈をした後、二人は居ずまいを正して伊豆の前に座った。

伊豆への紹介が終わると俺の方に顔を向け


「今日は息子を連れてきた。年のころも近いだろうから仲良くしてやってくれ」

美丈夫と言い張る伊庭のダンナの親ばか加減がどれ程のものなのか

期待して息子の方に目をやる。


そこには、父親とは似ても似つかぬ少年が座っていた。

年の頃は13、14歳か? 小柄で華奢な体つき。色白な肌。

江戸で有名な道場の次期跡継ぎと言うよりも、役者にでもしたい様な美しさだった。


わずかに残る幼さの中に、意志の強そうな瞳と他者を圧倒する威圧感。

両極端なものが混在しこの世のものとは思えない高貴な雰囲気を漂わせていた。

後光が差して見えるそんな気がして、俺は目を奪われたまま動けなくなっていた。


唖然としたまま俺は「綺麗だ…」と思わず口に出していた。


そんな俺の様子を察した伊豆が声を荒げて言う。

「宗也!! 障子の近くで他の者が来ないか様子みるのを忘れるな!!」

その声の大きさで正気に戻った。


 入り口の近くで様子を伺いながら、その若い客人に手招きして二人で話し始めた。

黙っていると凛としていて美しい反面、氷の様に他人を受け入れないそんな雰囲気も持ちあわせていた。その姿に今まで体験したことが無い様な高揚感を感じていた。


話もせずじっと見つめたままの俺を不審に思ったのか少年は口を開いた。

「あ、あの、、宗也さん。伊庭八郎秀穎いば はちろう ひでさとと申します。

今後とも宜しくお願いします。」


「八郎?」

あまりに名前と本人の印象が違うことに驚いて声が裏返る。

「変ですか?」

「いや、そうじゃなくて八郎って名前が似合わねぇ気がしてさ。。

その下の名前… いみなは何だっけ? 」

秀頴ひでさとと言います」

「いい名前だ。八郎は似合わねぇ! お前さんは秀穎って顔だよ!!八郎じゃなくて秀穎って呼んでいいかい?」

「はい!! じゃ俺は何て呼べばいいですか?」

「宗也でいいよ。」

「呼び捨ては出来ません。宗也さんでは?」

「俺なんぞ相手にそりゃ堅すぎるって」

「じゃ…そうだ! 宗さんって呼んでいいですか?」

「あぁそれもいいな」

「じゃ、宗さんこれからも宜しくお願いします」


そう言って秀穎はにっこりと微笑む。

これまでの畏まった態度から一変して表情豊かに話しかける。


破顔一笑。


氷の様に冷たく見えた印象から、今度は人懐こい微笑みを投げてくる。

その無防備な笑顔が俺の心を捕らえた瞬間だった。

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