第17話

 変わり映えのしない六月もようやく下旬に突入していた。

 七月に入った直後に控えている期末考査に向けてテスト週間に入っており、どの部活も休みになっている。


「部活も無いし、家でゆっくりするかぁ~」

「ゆっくりするな。勉強しろ勉強を!」

「心配するなって! ちゃんとやる」


 帰り際の敦人の言葉に不安を感じて、侑人は注意を促したが、言われた本人の顔は緩み切っていてあんまり意味が無さそうだ。

 一応、敦人のためを思ってこのテスト週間に入る直前に、最低限赤点を取らないために何をするべきか伝えているが、せめてそれだけはやって欲しいところ。


「侑人は帰らねぇの?」

「家だとあんまり集中して出来ないから、ある程度学校でやってから帰るわ」

「流石、真面目は違うなぁ」

「感心してるなら、ちょっとでも同じようにやってくれ」


 侑人は敦人にそう伝えているが、もちろん理由としては結愛と一緒にいるためである。

 テスト週間に入って、放課後に校内で勉強をしている生徒が増えるイメージがあったので、二人でどうするか色々と考えていた。

 しかし、思ったよりも校内に残る生徒たちは多くなく、いつもの人目に付かない教室で変わらずゆっくりと過ごすことが出来ている。


 帰宅する敦人を見送った後、教室にはいつものように残ったのは侑人と結愛に、柚希の三人だけになった。


「お二人は今日もご一緒で?」

「そうだけど、嫌な聞き方をするなっての」

「柚希も勉強しないと、楽しい夏休みになりませんよ?」

「い、一応やってはいるよ?」

「せめてテスト週間ぐらいは、真島さんに勉強を見て貰ったらどうだ?」

「うわぁ、説教が始まった。逃げろー!」


 シンプルに結愛を頼ってみればいいのではと言ったつもりだが、柚希は荷物をまとめて教室から飛び出していってしまった。


「柚希のやつ、一応やってるって言ってましたけど、どうなんですか?」

「私もああは言いましたが、今までよりもやってると思います。予習とか、授業が始まる前に泣きついてくることも、最近はかなり減ったように感じますし」


 敦人と違い、柚希はなんだかんだ少しずつ頑張っているらしい。


 勉強不得意組の経過は気になりつつも、二人はいつもと同じ教室で一緒に学習を進めていく。

 テスト週間に入ったとはいえ、もう一緒にこうして放課後に自己学習を積み重ねていたこともあって、想像以上に余裕がある。


「今回はいつも以上に余裕を持って反復学習が出来ていますので、万全の状態で期末考査を受けられそうです。これも小野寺君のお陰ですね」

「いえいえ。いつもお付き合いいただき、ありがとうございます」


 ただでさえいつも成績が一番な結愛が、これまで以上に万全となるとただ一人突出した成績を出しそうだが。

 侑人としても、いつも以上に勉強が出来ているので、結愛に幻滅されないぐらいの成績を残すことは必須になりそうだ。


「こちらこそです。こうして一緒に放課後に居ることで、小野寺君と楽しく過ごせて勉強も捗る。理想的な日課です」

「そう言ってもらえると、改めて思い切って誘えてよかったなって思います」


 こうして放課後の二人の時間が始まってからもう三週間以上が経ち、最初の頃に感じていた緊張感がいい感じに抜けてきている。

 スマホを通してのやり取りがメインでは、ここまで仲良くなることは出来なかったに違いない。


 二人は試験前の最終の仕上げの学習をいつも通り二時間ほど行った後、教室を元通りにして、帰る準備を整えた。


 部活の喧騒の無い校内は静寂に包まれており、相変わらず梅雨の長雨が建物に打ち付ける音だけが響いている。


「あれ、傘が無い」


 校舎から出る前に、侑人は傘置き場から自分の傘を探すが、見つからない。

 今日は朝から雨が降っていたので、登校時に傘を差してきてここに置いていたのだが。


「傘、見つかりませんか?」

「無いですね……。似たような色や柄の傘が多かったので、もしかすると間違えた人がいるのかもしれません」


 こういう傘のトラブルは珍しくない。

 間違った可能性もあるし、何なら忘れた奴が勝手にパクるという悪質な例もある。

 こういうことを防ぐためにも、自分のロッカーに入れておくのが良いのだが、使った後の水滴の付いた状態で教科書や体操服を入れていることに抵抗を感じてしまっていた。


 経緯はどうあれ、この場に傘が無いことは変わらない。


「……走って帰るか」

「ダメですよ。こんなに降っているのに、ずぶ濡れになってしまいます。こんなテスト前の大事な時期に体調を崩してしまってはいけません」


 そう言うと、結愛は持っているえんじ色の大きな傘を広げた。


「私の傘、かなり大きめです。……一緒に入ってください。最寄りの駅までですよね? そこまでお送りします」

「わ、悪いですよ。駅まで行ってしまうと、真島さんの歩く時間が長くなってしまいますし……」

「小野寺君が体調を崩す方が、私は嫌です。それに、この時間ならもう周りの目を気にしなくて良さそうですし?」

「うっ……」


 上目遣いでそうはっきりと言われてしまうと、返す言葉もない。


「それに、もうそんな遠慮をする仲ですか? 少なくとも私は、そうではないと思ってますけど」

「じゃあ、お願いします」

「はい!」


 まさかのトラブルから、相合傘をすることになった。

 体育時の天候と言い、傘のトラブルと言い、何かのいたずらが多く起きすぎているように感じる。


 ただ、いくら大きい傘とはいえ、高校生二人が横に並ぶと、完全に雨から守れるわけではない。

 ピッタリと密着は出来ず、結愛を濡らすわけにはいかない侑人は傘の範囲から出た左肩だけは雨で濡れてしまう。


 当然、結愛がそれに気が付かないわけもない。


「小野寺君、左肩が入っていません。濡れてます」

「傘の持ち主である真島さんを濡らすわけにはいきません。もともと全身ずぶ濡れになるところだったのが、左肩だけで済んでますから大丈夫ですよ」


 侑人はそう言ったが、結愛は侑人の方に傘を寄せてきた。

 そうしてしまうことで、今度は結愛の右肩が雨で濡れ始める。


「ま、真島さんダメですよ! 濡れてます」

「私は大丈夫なので……」


 彼女はそう言っているが、大丈夫なはずはない。

 男よりも女性の方が体を冷やすと大変なことぐらいは、侑人もそれなりに理解していた。

 だが、結愛は侑人のことを本当に心配したうえでこうしてくれている。


 無理にこの状況を崩そうとすれば、溝が出来てしまうような気がした。


 その状況を避けつつ、結愛を雨から守るためには—―。


 侑人は、結愛と触れ合うぐらい近づいた。

 先ほどまででも、以前一緒に出掛けた時に一番近づいていた時ぐらいは隣り合っていた。

 しかし、今回はもうお互いの肩が触れ合うほど隣り合った。

 夏場でお互い半袖で、二の腕の素肌が触れ合って飛び上がってしまいそうになる。


「これで……お互いに濡れませんかね?」

「……ですね。これが良いと思います」


 お互いの微妙な間と自らの顔の熱さ、そし足手が顔を赤くしていることから、同じようなことを意識していることはよく分かった。

 ドキドキしておかしくなりそうだが、傘を差していることもあっていつもよりも歩みがゆっくりとなる。

 ただでさえ、いつもよりも遅く感じるのに、本当に歩みも遅い。


 二人にとっては、駅に着く道のりが先ほどの二時間よりも長く感じるものだった。


 




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