第5話
日は沈み切ったが、西の空はまだわずかに明るい。
部屋の中は魚油を利用したランタンが並び不自由ない程度には明るい、この暖色は冬は暖かい印象を与えるが今の季節はむしろ暑苦しいとすら感じさせる。
ハンが家から帰ると椅子が二つ増えている。
白樺ではなく欅の木でできているようだ。色が茶色っぽい。
おそらく近所から余っているものを借りてきたのだろう。もちろん、頭を下げて頼みに行ったのはミーナの方だろうが。
「あら、おかえりハン。大丈夫?怪我してない?暑かったけどちゃんとお水飲んだ?道に迷わなかった?変なおじさんに絡まれたりしなかった?」
「母さん、ただ学校に行ってきただけなのに大袈裟だって」
ハンが家に帰るとミーナは毎日のようにこれだ。
ハンとしては自分よりも夫の心配をしてほしいというのが正直なところだ。
「まあ、それならいいんだけど……」
「全く、いい歳した男が母親に心配させて情けない……」
「母さん、なんか変なおじさんに絡まれたんだけど」
ミーナは人を迎えるために掃除をせっせとしているのに対しロックは座っているだけで特に何かをしているようには見えない。
かと言って何か言ったところでどうせ変わらないので何もハンは言わない。
机の上に目をやるハン。机の上には料理が並ぶ。小麦粉を練り上げて発酵させたもの、野菜と胡桃の和物、山菜に卵粉をまぶし揚げたもの、狸の丸焼き、蜂の甘露煮。ハンには名前がわからない料理が多かったが、基本的には美味しそうに見えた。
昆虫料理を作ったのはロックだろうとハンには容易に予想ができた。ロックは昆虫食が好きで好んでよく食べる。彼ができる数少ない事柄の一つが昆虫の調理だ。
しかしハンもミーナも昆虫食が好きではないので、あまり振る舞ってもらうことは多くない。
それよりもハンが気になったのは狸料理だった。村では肉料理を食べることが少ない、猟師が弓矢や罠で狩猟し手に入れたものを分け与えてもらうわけだが、量は極めて少ないので燻製にして保存食にし、少しづつ食べるのが普通だ。それを丸焼きとは相当、豪華な使い方だ。かなり気合が入っているようだ。何だか恐ろしい。
「狸の丸焼きって随分豪華じゃない?どうしたの」
「そうなのよ、急遽ソドイさんとティーナも来ることになってね、張り切って作っちゃったわ」
「ああ、4人分にしては多いと思ったんだ」
ソドイがハルの父親でとティーナは母親である。
小さい村なので挨拶程度ならよくするが食事となるとハンも久しぶりだ。
「そうなのよいっぱい作っちゃたわ。まあウチには無駄に食べる奴がいるから残る心配はないと思うんだけど」
「そうだね、何もしないくせに人一倍食べる人がいるから大丈夫だよ」
「ひどいこと言うねあんた達。俺じゃなかったら傷ついてるよ」
「少しは傷ついてくれよ」
ハンが自分の父親に呆れていると玄関をノックする音が聞こえた。
「空いてるから入っていいわよー」
ミーナがノックに応える。
「それじゃお邪魔するわね」
ティーナ、ソドイ、ハルの順番に入ってくる。
ティーナはハルと同じ茶色の髪に翠眼を持っている。ミーナよりも大人っぽい印象があるし、実際ミーナよりも3つほど歳が上だ。背が高いのもあってかっこいい女性という雰囲気が何となく漂っている。
ソドイはティーナと同じくらいの背丈だが、肩幅がかなり良い。
最後に入ってきたティナは麻の生地でできたワンピースを着ている。ワンピースは薄い朱色に染まっている。染め物職人は村にいるが、ハルは染め物が得意なのでおそらく自分で染めたものであろう。
ハルは顔を少し俯きながら入ってくる。
お互いの両親がいるからか明らかにいつもよりおとなしい。こうしていれば普通の可愛らしい少女だ。
「何かおかしいでしょうか?ハン様……」
流石にハルのことを見つめすぎたのか、話しかけてくる。ただやはり、その喋り方はいつもより数段おとなしいものであった。
「あ、いや別にそういうんじゃなくってっさ……」
言葉が続かないハン。
「何よ、ハンくん。はっきり言ってあげなさいよ」
ティーナがハンを後押しする。
「似合って……いると思います……」
顔が暑くなるハン。
ハルが声には出さないが満面の笑顔になる。
「ありがとうございます!ハン様!」
「ハハハ、面と向かって言うのは恥ずかしいよな」
ソドイが肩を組んでくる。
「私もたまにはそんなこと言われてみたいなあ」
ティーナが威圧感のある目でソドイを見る。
「お、美味しそうな料理だなあ……」
震えた声で話を逸らすソドイ。
「さあさ、みんなとりあえず座って。何でかわかんないけどもう座ってる役立たずもいるけど気にしないでね」
ミーナに言われた通りに、役立たずを気にする事なく席に座っていく。
昔から付き合いのある家族同士なのでお互いにあまり礼儀など堅苦しい事は気にしていない。
机の片側にロック、ミーナ、ハンが座りそれぞれの向かいにソドイ、ティーナ、ハルが座る。
まるで結婚前の家族の顔合わせだ。
「あらまあ、こんなにたくさん料理作ってもらっちゃって、いいのに気なんて遣わなくっていいのに」
「いいのよ、私が作りたくて作ったんだからいいのよお姉ちゃん」
ミーナがティーナの事を『お姉ちゃん』と呼んだ。
「せっかくだからお母さんとお父さんも来れたらよかったのにねえ、忙しいのかしら?」
ミーナがティーナに問いかける。
「お父さんとお母さんも誘ったんだけどねえ。村長夫婦は色々と大変なんじゃないのー、私とソドイも何年か先にはそうなってるかもねえ」
「やあねえ、縁起悪いこと言わないでよ」
ティーナが村長夫婦の事を『お母さんとお父さん』と呼んだ。
「まだまだお二人とも元気そうですがね」
ソドイが言う。
「そんなことよりもやっぱりうちのハルとハン君ははお似合いね〜。早く結婚しちゃいなさいよ」
「そんな事いきなり言われても困りますよ、ティーナ叔母さん」
ハンがティーナを『叔母さん』と呼んだ。
そうハンとハルは『いとこ』の関係にある。
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