第3話 

学校などとは言っても実際はそんな大層なものでは全くない。

 建物は木組の構造部材に薄っぺらい木板が屋根としてついているだけ。ギリギリ青空教室ではないが、壁がないので風が吹けば砂埃が、今のような夏の季節には虫が生徒に襲いかかってくる。

 生徒も村の6歳以上15歳以下の50人ほどを学年など分けることなく詰め込んでいるだけ。

 先生も一人いるだけなので年上の子が年下の子を面倒を見るのが、慣例となっている。

 学校とは言っているが教育機関というより集団生活に慣れるための託児所みたいなものだ。

 学校に入るハン。

 入ると言っても壁も扉もないので敷地に入った、という感じだが。

 既に何人かが登校してきているが小さい子が多い。

 歳を重ねてくるとだんだん登校時刻が遅くなってくる。

 ハルはまだ居ないようで一安心。やはり逆方向に向かって全力で走ったせいでだいぶ遅れているようだ。

 学校には一応、一枚の黒板とおおよそ人数分の机と椅子がある。

 誰がどの席と決まっているわけではないが、何となく定位置がある。

 ハンいつも黒板から遠い位置。

 そして隣には大抵ハルが座る。

 ハンは目がいいので後ろの方の席でも問題はないが、ハルは視力が原因なのか頭が原因なのか定かではないが周りが見えていないことが多いので前の席に座ることを勧められているが頑なに拒否している。

 ハル曰く、

「黒板なんかよりもハン様の横顔の方が大事です!」

 だそうだ。

 ハンはいつも通り後ろの席に座る。

 一番前の席に銀髪の少女がいつもの席に座っているのを横目でチラチラと確認しながら、頬杖をつき、ぼんやりと外を眺める。

 壁も窓もないのでさぞかし良い景色に思うかもしれないが遠くに黒っぽい海が見えるのも、無駄にたくさん生えたオリーブの木も、疎らにある木造と藁葺きでできた平家も、ハンにとっては生まれてきてからずっと見てきたものなので何とも思わない。

 オリーブの木も本来はこのあたりは原産地ではないらしいが、なぜたくさん生えているかは誰も知らない。

 歳が低い子たちは走り回っている。ハンはそういう歳でもないのでこうして外を眺めるくらいしかやる事がない。

 ハンと同い年は、ハン以外に3人いる。

 一人は先程あった少々変わった愛情表現をするハンの許嫁、ハル。

 もう一人は

「なにカッコつけてるんだよ、ハン」

 この後ろから急に話しかけてきたコールという男である。

 村で唯一眼鏡をかけているし見た目も真面目そうなのだが別に頭は良くも悪くもない。代わりに軽率という個性がある。

 ちなみにこの眼鏡のレンズは自分で作ったり、村の職人に作ってもらったのではなくたまたま拾った水晶が彼の視力の矯正にちょうどいい湾曲だったらしい。空前絶後の強運の持ち主である。

「後ろから急に話しかけるなって何回言えばわかるんだよ。眼鏡割るぞ」

「まあまあ、朝からそんな怒るなって」

「用が無いんなら早くどっか行ってくれ」

 椅子に座ったまましっしっと手を振る。

 コールはハンが一番雑に扱う人間でもある。それだけ仲がいいという裏付けでもある。

「待て待て、大事な話があるんだよ」

 コールの大事な話は大抵碌でもない話だ。

 だがハンもその碌でもない話が好きだったりする。

「と言うと」

「今晩、村の外に出てみようと思うんだがハンも一緒に来てみないか?」

 コールが小声で囁く。

 ハンも攣られて小声になる。

「本気?、村の言い伝えはコールも知ってるでしょ?」

「もちろんよ」

「巨人に踏み潰されるみたいな」

「いや俺は巨人に握り潰されるって聞いたけど」

「似たようなもんでしょ」

 この村の周辺は木でできた柵によって囲われている。柵といってもハンたちの胸ほどの高さなので普通に乗り越えることはできる。

「考えてみろよハン。そんなの子供達が村の外でイノシシとか獣に襲われないために言っているだけに決まってるだろ。実際、年に何回か食用肉の確保のために何人か村の外に出て行ってるけど毎回みんなちゃんと戻ってきてる。何だよ巨人て」

「んなことわかってるよ。ただ巨人じゃないにしても村の外には危険がいっぱいなのは確かでしょ。そんな危険冒して何しにいくんだよ。村長夫婦に……というかヤコに怒られるんじゃ」

「ヤコ婆なんかにいつまでもビビってても仕方ないだろ。もう少し経ったら俺たちはそれぞれの家業を継がないといけないわけだろ。大人になる前に無理しちゃおうぜ?」

「いや、どうかなあ……」

 適当に流しつつも、心が揺れ動くハン。

 コールの言う通り、ハンたちがこの学校にいるのは今年が最後。

 普通はこのままそれぞれの家の家業を継いでいくことになる。ちなみにハンの場合はロックの船大工を継ぐのではなく母方のミーナの家業を継ぐ予定だ。

「まあ、お前の場合ビビるのもわかるよ。ヤコ婆の直系の孫だもんな、バレたらあの婆さんに何言われるかわかったもんじゃないもんな」

「それなんだよなねえ」

 ハンも年頃の男の子なので村の外に飛び出すことに憧れがないことはないのだが、セドルとヤコと言う村長夫婦の孫という立場もあって規律を破れば厳格な祖母であるヤコに怒られるのは目に見えている。

 ハンが苗字を持てるのは村長の家系だからというのも関係している。

 言うまでもないが村長の子供というのはあの不甲斐ない父親ではなくミーナの方である。ミーナは村長夫婦の次女でありその婿養子がロックだ。どういう経緯であの男が村長の娘と結婚することになったのかはハンにはこれまた不明である。

「男の子ならたまには無理をするのは良いのではないですか?!ハン様!」

 走って学校に来たためであろう。若干汗をかいているハルが急に会話に入ってくる。

「なんだ、間に合ったの。話聞いてたの?」

「いえ、今着いたばかりなのでよくわかりませんが悪いことを企んでいたのはわかります!」

 小さい子供たちがハンの方を一斉に向く。

「ちょ、ハルあんまり大きい声で……小さい子も居るし……」

「ああ!これは失礼しました。私としたことが……。これではハン様を婿にお迎えできるような素敵な女性とは言えませんね……」

 涙目で俯くハル。走ってきたのもあって頬がほんのりピン色で可愛らしく見える。

「ああ、いやそこまで落ち込まなくても……ね?」

 ハルが顔をあげ、生きる希望を取り戻したかのように明るい表情になる。

「ということは私がハン様をお婿に迎えるのに相応しい女性だと認めて下さるのですね?!」

「何でそうなるの」

「これは帰ったらお父様とお母様にも報告を」

「まーた、朝からイチャついてんのかね。うらやまし限りだ、このヤロー」

 コールがハンの頭を乱暴に撫でる。

 コールはハンとハルの事を応援するわけでも、邪魔するわけでもない。というか何も考えていない。

「あら、コールさんもいらしたのですね、気づきませんでしたわ。おはようございます」

「何、存在すら気づかれていなかったの俺」

「はい、ハン様の前ではコールさんなんてとるに足らない存在ですから!居てもいなくても大して変わりません!」

「そこまで言われると逆に気持ちがいいね!」

 するとハルの背後からホッパーとドスの二人が現れる。

 二人も汗をかいているがハルのように爽やかな感じではなく、かなり油っぽい汗をかいている。

「そうだぞ、お前みたいな人間がハルお嬢様やハン殿と対等な存在だと思ったら大間違いだぞ」

「お話できるだけありがたいと思うんだな!」

 二人が息を切らしながら話す。

 結局あの後ハルを追いかけに行ったようだ。

「うわっ汚なっ。またこのおっさん達来たのかよ。勝手に学校入ってくるなって」

 コールが素直な感想を言う。オブラートに包むなんてものはコールの辞書にはない。

「おっさんって言うなおっさんて。これでも俺たち28歳だからな!」

「それに教師のマーヤから許可は取ってあるぞ」

「28なんておっさんだよ。人生折り返し地点じゃんか」

 村の平均寿命は50代なのでコールの発言はあながち誇張したものではない。

「28の男がおっさんなら25の女はおばさんなの?」

 声がした方を一斉にみんなが向く。黒板の前だ。

「げえ、マーヤちゃん」

 コールが心底『失敗した』という感じの声を漏らす。

 黒板の前で一人の女性が立っている。黒い髪のショートヘアだ。切長の目が冷たい印象を持たせる。

「ねえ答えてよコールくん」

 マーヤが不気味な笑顔を浮かべている。

 マーヤはこの村で唯一の教師ということになるが結婚はしていない。この村においてこの歳で結婚も婚約もしていないのは珍しい。

 マーヤは普段クールな性格なのだが時々こういう風になるの取り扱いには注意が必要だ。

「いやいやそう意味じゃないよ、マーヤちゃん。なあハン」

「僕を、巻き込まないでくれ」

 プイっと外を向くハン。

「そうよね……私みたいなの誰も見向きもしないわよね……」

 暗いオーラを放ち出すマーヤ。

 しゃがみ込み小声で作戦会議をするハン、コール、ハル、ホッパー、ドスの5人。

「おい、どうすんだよコール。こうなるとマーヤちゃんめちゃくちゃめんどくさいぞ」

「んな事わかってるって、でも聞かれちゃったもんは仕方ないだろ」

「だから言っただろ、28歳はおっさんじゃないって」

「もうそのくだりはいいんだよ」

「まあ確かにあの歳でおばさん呼ばわりされたら傷つくかもね」

「私はハン様が30歳になっても40歳になっても愛し抜く自信がありますわ」

「ハルはちょっと黙ってて」

「じゃあここはコールがしっかり『責任』を取ろうか」

「そんな軽々しく人の将来決めないでくれよ、ドス。てかさあそれなら、ホッパーとドスも結婚してないよね?」

「そ、それは」

「ええ、ホッパーは元からしていませんし、ドスは先日奥様に捨てられたばかりですし」

「う、うう……」

「あーあ、マーヤちゃんだけじゃなくてドスも泣かせちゃったよ」

「何だよめんどくせなあ!」

 立ち上がるコール。

「大丈夫だよマーヤちゃん。マーヤちゃん美人だからすぐにいい人見つかるよ!」

「こんな小さい村で?」

 涙声で尋ねるマーヤ。

「意外と近くにいい人がいたりするかもよ」

「じゃあ私のことお嫁にもらってよ!コールくん!この際選んでる余裕なんてないから!」

「何でそうなるんだよ!一応教師でしょうが!あとその『コイツで妥協するか』みたいな感じ出すのもやめて!」

 とりあえずマーヤの機嫌を直すためにハンとハルも加勢する。

「まあ、結婚なんてしても幸せになれるとは限らないしね、しなくても幸せになることはできるよ」

「そうですわ!誰も行き遅れオバさんなんて言ってませんよマーヤさん!」

「そういう風に言うとなんか言ってたみたいになるじゃん」

「もういいのよ私なんて……」

 今にも泣き崩れそうなマーヤ。

 すると

「全く相変わらず賑やかね。あなた達、一体何をしにここに来ているのかしら。小さい子達も見ているのですよ」

 一番前の席に座る銀髪少女が言った。

 決して大きな声ではなかったが、誰もが聞き入ってしまうような美しい声だ。

 そう、ハンが朝見かけた少女である。

「出ましたわね、ニノアさん」

 この銀髪の美少女、名前をニノアという。

 ハルは何故だか知らないがニノアに対しライバル意識がある。

 気がつくとホッパーとドスがいない。

「あれ、ホッパーとドスがいないや」

「あのおっさん二人は危機察知能力が高いからな。伊達に歳食ってねえぜ」

 先ほどまで走り回っていた小さい子たちも自然と席についていく。

「全く、もうすぐでそれぞれの家業を継ぐというのに落ち着きのない方たちですねえ。お三方とも」

 ニノアが後ろを振り返ることなく言ってくる。

 お三方、というのは同い年であるハン、ハル、コールの3人のことである。

「特にハンとハルは自分の立場を考えて行動をされては如何ですか?みっともないですよ。まあコールは心底どうでもいいですが……」

「最後の一言要らなくない?」

「うう……」

 ハルが珍しく尻込みする。

 ハルがここまで苦手意識を持っているのはこの村でニノアだけかもしれない。

「そ、そうよ!あなた達もいい歳なんだからもうちょっと考えてから発言しなさい!」

 なぜかマーヤもニノアに続いて罵声を浴びせてくる。

「先生も、先生です。いい歳をしてそのように感情を露わにする。そのような姿を魅力的に感じる方がいらっしゃるとでも?」

「す、すいません……」

 これではどちらが先生と生徒だかわからない。

「私に謝られても困ります」

「はい……ではみなさん席についてください……」

 満身創痍のマーヤであったが仕事はしっかりするようだ。

 この村の女性は皆、逞しい人ばかりなのだ。

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