第2話 

 両親二人にバレないようにこっそりと家を出たハン。

 というより、今朝の普段以上に昂った二人の姿を見て逃げ出したという表現の方が正しいかもしれない。

 大方その理由は予想がつく。ハルが来るからだ。

 ハンの両親、とりわけミーナは非常にハルのことを気に入っている。

 ハンはウェンディ海岸の砂浜を一人歩いている。

 学校までは歩いて10分もかからない。と言ってもハンの家が学校に近いのではなく、元から村の規模が小さいので、大体どの家から行っても10分程度で通える。

 砂浜にはハンには何の為に誰がどうやって加工したかもわからない鉄屑やらガラス片が散乱していて汚い。

 ハンは鹿皮でできたサンダルを履いていたが、尖った金属片を踏めば怪我をする恐れがあるので普段はあまり近づかない。

 それなのになぜ砂浜を歩いているのかといえば、特に深い理由はなかった。あえて言えば普段よりも家を早く出たので考え事をする為だ。

 ハンは決してハルのことが嫌いではなかったが、このハルという女性はちょっと変わっているところがあった。

 ハンにとって個性的な人物は両親だけでもう十分だったのだ。

 面倒事はもうたくさんだ。

 そんなことを考えていた矢先、面倒事がハンを待ち構えていた。

「きゃー、助けてー!」

 ハンの行先から若い女性の叫び声が聞こえる。

「この声、なんかどっかで聞いたような……」

 何だか聞いたことがあるような声だったが、波の音で聞きづらいのもあってなかなか思い出せない。

 辺りを見渡すハン。

 自分以外に人は見当たらない。

「まさか父さんが………?!」

 このコルチ村に女性を襲うような不埒な男が自分の父親以外にいるのだろうかと冷静に状況を分析しながら走り出すハン。

 砂浜の砂に足を取られてうまく走れない。

「誰かいないの!」

 女性の悲鳴は尚も聞こえる。

 女性の悲鳴がだんだん大きくなってくる。距離が近くなっている証拠だ。

「誰か、私を助けてくれる素敵な殿方はいらっしゃらないの〜?!」

「?」

 走る速度を緩めるハン。

「早く運命の人が現れないかしら〜!」

「……」

 さらに速度が落ちる。

「助けに来て、私の王子様〜!」

「……」

 最後の方にはハンは完全に走るのをやめ、歩いていた。

 ハンが女性の声がする岩陰にたどり着くと、一人の少女がやたら身長が高いガリガリの男と、やや肥満気味の男に囲まれている。

 少女はハンと同じライトブラウンの髪色に、これまたハンと同じ翠眼を持っている。ただ髪の長さはハンとは違い肩にかかるくらいまである。

「へへ、お姉ちゃんなかなか可愛いじゃねえか」

「なあ、俺らとどっかに遊びに行こうぜ」

 ガリガリと肥満が言う。こんな村に遊ぶところがあるなら是非とも教えて欲しいぐらいだが、それはハンにではなく岩陰の隅に倒れ込んだ少女への言葉だった。

「や、やめてください!私、あなた達に興味ありません!それにこんな村に遊ぶとこなんてあるわけないでしょ!」

 少女も同じことを考えていたようだ。

 それもそのはず、ハンはこの茶髪の少女と深い関わりがある。

「なあ屁理屈ごねてねえでよう」

「ささっと行こうぜ」

「やめてください!」

 肥満の男が少女の右手首を掴み無理やり引っ張る。

「触らないでくださいよ!デブ!」

「デブ……」

 肥満の男はどうやら自分の体型を気にしていたようだ。少女の手首を握る力が弱まる。

「おい、ちゃんと掴んでろって」

「いやだって今デブって……」

「仕方ねえだろ、実際そうなんだから」

 何だかガリガリと肥満男が小声で何やら揉めている。

 とりあえずハンは3人とも無視して歩き出すことにした。

「「ちょっと待ってくださいよ!ハン殿!」」

 歩き出したハンに男二人が同時に呼び止める。

「何だよホッパー、ドス」

 ハンは少女だけではなくこの男二人のこともよく知っている。

 ガリガリのヒョロヒョロがホッパー、デブがドスと言う名前だ。

「「そこは卑劣な男に絡まれている少女を華麗に助けるところでしょ!」」

 ピッタリ声が揃っている。

「相変わらず、仲がいいな」

「「よくないですよお!」」

「何だか知らないけど、お前らの茶番に付き合ってる暇はないの。先行くから」

「いいえ!そんなことはないはずですわ!」

 少女が急に話に割って入ってくる。先程の助けを求める声なんかよりもよっぽど大きな声だ。

「ハン様は普段であればこの時刻はまだ家で家族団欒の時間のはず。この砂浜を歩いて登校するときはいつも決まって時間に余裕がある時です!それにここから学校までは歩いて数分の距離、忙しいとは言わせませんわ!」

「忙しくはないけどハルに絡んでる暇はないの。というかなんでそんなに人の生活習慣に詳しいんだか」

「謝礼と引き換えにハン様のお父様から情報をいただいております」

「どこまでゲスいんだよウチの父親は」

 長年謎だったロックの収入源が明らかになったが、そんなことよりも気になることがあるハン。

「結局、お前ら3人は何がしたかったの?」

「これはその、ハルお嬢様が突然言い出した事でしてねえ」

「海辺でガラの悪い連中に絡まれているところを」

「ハン様に助け出していただきたかったのですよ!」

 ホッパー、ドス、ハルの順番に喋る。

「いや、全然説明になってないって」

 ハルが咳払いをし、声を少し低くして語り出す。

「朝日が昇ったばかりの砂浜で不良に絡まれる翠眼の美少女……。そこに颯爽と現れる同じ瞳の色をした美少年……。彼は不良をサブミッションにより僅か数秒で戦闘不能に追い込み」

「なんか急に血生臭い表現でてきたな」

「不良を撃退した美少年に一目惚れした美少女は彼の名前を尋ねようとするがその時には彼の姿はもう見えない。失意のまま帰宅する美少女。帰宅すると父親から食事会に誘われるが『今はそういう気分じゃないの……ごめんなさいお父さん……』と一度は断るが」

「この話長い?」

「落ち込む美少女に母親がかけた『若い頃はね、色んな人に出会っていっぱい恋をした方が幸せになれるの。女の子っていうのはそういうものよ、私みたいにね』。この言葉がきっかけで食事会に参加することにした美少女。そしてその晩、食事会の席で二人は運命の再会を果たすことなる」

「そんな入念に計画された運命の再会があるかよ」

「とにかく、私とハン様は今夜!偶然!運命の再会を!するのです!もう楽しみすぎて眠れません!」

「そりゃ朝だしな」

「そんな冷たい態度取らないでくださいよハン様。一緒のベッドで一夜を共にした仲じゃないですか」

「3歳とか4歳の時な!誤解を招くような言い方はやめてくれ。ていうか僕を勝手に美少年とかにしないでくれよ」

「ということは、私が美少女だということは認めてくださるので?!」

 詰め寄ってくるハル。

 反応に困るハン。

 確かに一般的に見てハルの容姿は非常に魅力的なものだった。

 大きな目に小さく整った鼻、枝毛とは無縁のサラサラした髪。

 村でも美人で名が通っている。

 「アハハハ!ハン様にかわいいって言われてしまいましたわー!今日も一日頑張りましょー!」

 砂浜を一人で叫びながら駆け出していくハル。ちなみに学校とは正反対の方向だ。

 置いていかれたハンとホッパー、ドス。

「そんなこと言ってないけど……」

 ハルの背中に向かって呟くハン。

「今日はいつにも増して元気ですね。はあ」

「まあ、それだけハン殿のお家にお邪魔するのが楽しみなのでしょう」

 途方に暮れているホッパーとドス。

「追いかけなくていいの?付き人でしょ?二人ともハルの」

「どうせ追いかけても追いつけませんよ、めちゃくちゃ足速いんですよお嬢様」

「ハン殿こそハルお嬢様のお気持ちに応える気はないのですか?村中のみんながお似合いだと言っていますよ。それに二人のご両親だって」

 ハルは見ての通り明確にハンに好意を持っている。

 ハンとハルは幼い頃からお互いを知っている仲だ。

 小さい頃にはよく一緒に遊んでいたし、一緒に木桶風呂にも入ったことがある。

 理由は今でもわからないがその頃からハルはハンの事を好きだったようで常日頃から

「私、ハン様のこと大好き!」

 とか

「将来はハン様のお嫁さんになるの!」

 とか

「他の女と結婚したら死ぬまで許さないから」

 など幼児としては少々重すぎるくらいの愛情をハンに向けていた。

「気持ちに応えるって言ってもさあ」

「やはり、親に決められた相手というのは気が引けるので?」

 ハルはハンは両方の両親公認の許嫁である。

 ハンとハルが物心つく前から、もっと言えばハンとハルが生まれた直後から全て決まっていたことである。

「まあ、それもあるっちゃあるんだけど……」

「では、ハルお嬢様に問題があると?あのような一途な女性に好意を向けられるのは男性なら誰もが憧れることじゃ」

 ホッパーとドスの質問攻めにたじろぐハン。

 ホッパーとドスはハンとハルが結ばれることを願っているようだ。

 ハルもホッパーもドスも不器用な人間なので、大抵の場合ハンとの距離を縮める作戦は今日のようにグダグダになって失敗するが。

「そうなのかなあ」

「そうですハン殿、ハルお嬢様と婚約することこそがハン殿に残された唯一の希望なのですよ」

「そんなに俺の人生、希望がないように見える?」

「まあ、それは冗談にしてもハン殿にとって決して悪い選択肢ではないはずですよ」

 朝から重たい話題で気分が下がっていたが時間はいつもと同じように流れる。

 もうそろそろ学校に向かわなくてはいけない時間だ。

 なぜわざわざ砂浜を歩いて登校したのか、ハン自身も忘れていた。

 

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