孤独の定義

水沢妃

孤独の定義

「孤独だなあ」


 そのつぶやきに、画面をスクロールする手が止まった。


 ぼうっと見ていたTwitterのタイムライン。いつものゲーム仲間のつぶやきに紛れたそれは誰かがいいねをして割り込んできたのか、知らないアカウントのどうでもいい発言のはずだった。


 そのアイコンに見覚えがあった。

 加工してあるけど、同じ学科の女子が鞄に着けているくまの人形だ。


 うちの学科で一番賑やかなやつら。つまりはカースト上位集団の女子たちが遊園地に行って買ったと見せびらかしていた人形だ。色違いのブローチやなにやらで装飾している姿を教室で見たことがある。


 どの女子の人形だったかは忘れたが、毎日のように見ているとつい覚えてしまう。

 

『――さーさんどしたー?』

「あー、始めます? つぶやこうかなと思ってて。」

 

 ヘッドフォンからディスコードの通話音が聞こえてきた。

 スマホから顔を上げる。

 画面のはじっこのアイコンがぴょこぴょこしている。


『わたしまだ始めないからご自由に!』

「はーい。」

『途中からガムシロさん合流するって言ってたから伝えとくねー。』

「了解でーす。」


 通話はいったんミュートになった。

 YouTubeの配信画面を開く。とりあえず配信を開始して、Twitterでつぶやく。

 すぐにメンバーシップの会員さんたちの名前がチャット欄に並び始めた。


「おはようございまーす。……あ、通知で起きました? ごめんなさいねー。」


 日曜日の朝。陽は上ってるけどまだテレビで子ども向けアニメがやってる時間。

 私はデスクトップのパソコンとゲームの周辺機器が集まった自分の机に向かって座り直す。

 そろそろちゃんとしたゲーミングチェアほしいなあ。


「今日はねー、ちょっと新作の練習を……そうそう、新しいコース出たから。まいちゃんと、後からガムシロさんも合流してね、いっしょにやりますよー。」



 ダウナーで低めな声。だいたいダルそうな声。

 アイコンだけは清楚系女子。チャンネル登録者はもうちょっとで銀盾ぐらい。


 私、稲葉さつき。もちろん偽名。20歳のプロゲーマーでYouTuber。

 ゲーム配信でいちおう生計をたてている女です。




 

 

 朝からゲーム。何なら夜通しやってるときもある。


 大学にも行ってるけど、リアルの友達はほとんどいない。

 いつも地味目な格好で(ファッションとかわからない)、講義に出て、課題やって帰るだけ。サークルにも入ってない。

 

 だから同じ講義を受けている彼女を覚えていたのは奇跡みたいなものだった。


 平日の朝。自分の動画がちゃんと上がってるか確認するついでに、他の大人の配信者さんが作業配信やってるのを見ながら登校する。

 いいなあ、私もこの時間からゲームしたい。

 

 とはいえせっかく入った大学だし。ちゃんと卒業までは行きたい。

 

 元々ゲームは年の離れた兄のやつを横から見ている派だった。

 それが兄が社会人になってやらなくなって、私が代わりにやるようになって。よくオンライン対戦していた人がたまたまゲーム配信者で。


 「ねえさつきさんうまいからさ、今度の大会出てみない? 挑戦するならエントリーとかやるよ?」


 高校一年生の夏休み。軽い気持ちで「お願いします!」って言った。

 その大会でいい成績を出したのをきっかけに、他の配信者さんと知り合いになって、ノリで配信を始めた。

 1年くらいは鳴かず飛ばずだったけど、徐々にコラボが増えて、私の視点を見に来てくれた人がチャンネル登録してくれるようになって。

 

 それなりに、界隈で名前が知られるくらいにはなったかな。


 私が配信者だって知っているのは家族と友人一人だけ。

 高校から一緒で大学も同じ学科の安井京子。今日も朝から同じ講義だ。


 適当に席についてスマホをいじっていると、5分前くらいに京子がやってきた。


「おはよー。」

「おはよう。今日は起きれた? ていうか寝た?」

「昨日はそんなに遅くなかったから、まあまあ。」


 最近はコラボ配信が毎日のようにあるけど、終わるのは24時前後だから二次会さえなければスパチャ読んですぐ終われる。学生だってばらしてあるから無理に誘われることもないしね。

 

 私は今日も一番後ろの席に座っている女子連中をちらっと見て、Twitterの例のアカウントを開く。


「ねえ、これってさ。」

「うん?」


 京子はアイコンを見てすぐに「あー、ね。」と理解してくれたようだ。


「なにこれ、裏アカ?」

「鍵ついてないから普通のアカでは。」

「でも絶対に同じグループの子たちに知られないようにやってるでしょこれ。愚痴とか書いてるじゃん。」

「そもそもあんなキラキラした女子たちがTwitterに生息してると思う……? 時代はインスタかTik tokなんでしょ……?」

「やめろ、陰キャが露呈するぞ。」


 そもそも真実が視えていない時点でネット弱者な気がする。

 これ以上言うと自分にブーメランにしかならないから詳しくは言わない。


「なんかさ、思ったのよ。」

「うん?」

「あんなに友達多いパリピも弧独なんて感じるんだなって。」

「ふうん。」



 話が途切れると同時にチャイムが鳴った。いつの間にか教卓に教授がいた。 



 その日の夜。

 相変わらずゲームをした。今日はソロ配信。

 ちょっと趣向を変えて名作と呼ばれるやつを初見プレイしてみた。平日の夜のはずなのに、同接の人けっこういたな。

 放送を切ってしばらくぼうっとしていると、一時をまわっているにも関わらずLINEの通知音が鳴った。

 京子だ。

 送られてきたのは、あるインスタのアカウント。


「……あ。」


 私がTwitterを特定してしまったあの子だ。




『ryonたちとオシャレなカフェに来た!』


 くまさんの形をしたケーキとオシャレなティーカップ。


『今日はずっと気になってた飲み屋さんに連れて来てもらいました!

 初めて会ったお兄さんにおごってもらっちゃった』


 顔を隠した男の人とのツーショット。


『あっついですね~。

 ふわふわかき氷食べに来ました!』


 接写された氷の山。


『見て! 絶景! 感動した!』


 どこかの湖。



 鮮やかな写真と、いろんな人と写っているあの子。

 一体どれだけの人と交流があるんだろう。 


 きらびやかな世界にめまいがした。



「本物のパリピや……。」


 私の返信に京子は大量の草を生やしている。



「でもなんであんなついったやってんだろ。」

『溜まってるんじゃない?』


 そうなんだろうか。

 毎日こんなに楽しそうなのに。

 

 少なくとも私なんかよりリアル充実してるのに。



 そんなことを考えて、舌打ちと共にスマホをベッドに放り投げた。





 次の日、珍しく学食に行った。

 うちの学食は学食っていうのもダサいぐらいオシャレな施設で正直私なんかは場違いなんだけれども。

 京子とならんで入ると、どこからか視線を感じる気がした。

 自意識過剰なだけだと信じたい。


「ごめんね付き合わせて。」


 京子も私もいつもお弁当だから、ゼミ室でいっしょに食べることが多い。今日は昨日夜更かししたからか寝坊したらしい。

 

「いいってことよ。」

「……なんか上からやね……。」


 頼まれた側だから好き勝手言わせてほしい。


 先に席を取っていようと周りを見回すけど、座れるところのほうが少ない。運よく向かい合って座れる場所を見つけたのでどっかり腰を下ろすと、聞き覚えのある笑い声が聞こえた。


 ちらり、とそちらを見る。

 例のグループがけっこう近くに座っている。

 そのうちの一人と目が合った。明らかに嗤われている目でクス、とひとにらみされた。


 振り返るんじゃなかった。

 ため息を飲みこみながらスマホを取り出した。


 どんなに集中しようとしても、甲高い彼女たちの声は聞こえて来てしまう。

 さいきんできたカフェが、とか、あの俳優さんのインスタの投稿が、とか、まるで異国の言葉を聞いているかのように流れていく。

 

 件の彼女の声も聞こえてはきていたのだけれど。

 他の子よりは少ない気がした。

 そうだねー、という相づちや、通りがかった知人へのあいさつ。

 必要最低限のこと以外喋っていない。


「お待たせ―。」


 学食のトレーを持った京子が帰ってきた。


「お、なんにしたの?」

「オムライス。」

「好きだねえ。」

「え、あると頼んじゃわない?」

「気持ちはわからないでもない。」


 そんなたわいもない会話がやっぱり安心できた。

 けれど、さっそく食べ始めた京子はどこか浮かない顔だ。


「どうしたの?」

「ん。……後で話すわ。」



 やっぱり席どり間違えたっぽいな。

 




 さいきん推理ゲームが流行っていて、コラボ配信はもっぱらそれだ。

 普段は和やかな人たちが画面の中だけで暴れて叫んで。たまに喧嘩っぽくなって。

 でも全部本当じゃない。倫理観はみんなあるだろうし、なにより「ここまでやれば面白い、それより先は問題になる」って線引きが私でもわかる。

 先輩の実況者さんと絡むときも失礼にならない程度にノリツッコミを入れる。

 ちょっとやりすぎたな、と思ったら配信終わった瞬間すぐチャットで謝罪。


『稲葉さんってマメだよねえ。』


 その日、これで三回目のコラボになる先輩実況者さんからそんなふうに言われた。

 配信終わり、残ってる人たちで雑談していた時だ。


「そうですか?」

『最初に一緒になった日も事前にメッセ―ジ送ってくれるし、終わった後も挨拶送ってくれたし。なんかそういうので次も呼ぶか決まったりするからさ。」


 そう。そのへんもちゃんとわかってる。

 芸能人じゃないけど、こういうところだって干されたらそれまでだもん。

 なるべく礼儀正しくやって損になることはない。


「いやあ、なるべく長くゲームやってたいんで。その方が人生楽しいですし。」

『わかるわー。』

『いや、それがわからない子もいるからね。』


 そんな話をして、適当なところでお開きになる。

 私は自分だけの配信になってから、放送中に来たスパチャのメッセージを読み上げて、リスナーとちょっと喋って終わりにした。

 こんな時間まで見てくれて、素直にうれしい。



 画面の向こうには私のリア友よりも多い人がいる。

 顔も本名も知らないけど、なにより私の話を聞いてくれる人たち。

 頻繁にスパチャ投げてくれる人、本当にうれしい。



 でも、「こんなのリアルじゃない」って、たまに言われることがある。 

 学校の先生とか、配信を始めたころの親とか。

 そんなことをするよりもっと将来的に役に立つことをしなさいってさ。


 でも、実際私は配信と動画投稿でお金を稼いでる。

 実家暮らしだから家に食費程度は納めてるし、なによりちゃんと大学に通って学費も自分で払ってる。


 役に立つかもわからない、周りの思い浮かべる「将来的に役立つこと」より今まさに生きることに役立ってる。これ以上のことってないでしょ?



 だからもう開き直って生きることにしてる。

 未来とか、将来とか。

 そんなの私たちの世代には最初からなかったんだ、と。





 京子はあの日、「写真撮ってないじゃん、うける~。」という声を聞いたらしい。

 おそらくあのグループの誰かから。

 それでちょっとしょげてたらしい。


 でも私も京子も別にSNSにそういう写真を上げるわけでもないし、写真を必ず取らなくちゃいけないなんてこともないんだから。

 私はそんなことより京子がしょげてることに腹が立って、「ダイエットアプリでもやってんのか?」ってキレ散らかしてた。

 そんな私を見て京子はけらけら笑ってた。




 でもやっぱりむかむかは治まらなくて。

 つい、あの子のアカウントを覗いた。

 インスタでは今日も放課後に遊びに行ったのか、シックなカフェの写真が上がっていた。ふつうにクリームソーダがおいしそう。


 でも、Twitterのほうはちょっと違った。


 もう暗い空に、街のネオン。

 ただそれだけの写真が何の言葉もなく投稿されている。

 ぶれもひどいし、たぶん加工してない。

 


 まるでこの街で独りぼっちになったようなさみしさが漂っていた。



 きっとこの近くには友達がいるのだろうし、他の友達から連絡が来ているかもしれない。

 彼女の周りにはちゃんと人がいる。



 でもきっと、誰にも気づかれないところで、彼女は孤独を味わってるんだ。


 陽キャだからとか、陰キャだからとか、そんなくくりはここにはない。

 


 私が画面の中に感じるリアルのように、彼女のリアルもここにあるんだ。


 

 怒りはもうなかった。

 私は告知用に使っている稲葉さつきのアカウントから、元々使っていた自分自身のアカウントに切り替えた。

 そして、彼女の写真にいいねを押す。

 ぽん、と音がしてピンクのハートが現れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

孤独の定義 水沢妃 @mizuhi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

同じコレクションの次の小説