2月(2)

「目を瞑って」

 エレベーターから降りたら、はーちゃんにそう言われた。

 言われるがままに目を閉じると、安全に連れて行こうという気概が感じられる、肩をがっしり掴まれて移動するという方法で連れて行かれた。

「さ、目を開けていいよ」

 目を開ける。

 眼前に並ぶ、光、光、光。

「あの光の広がりが途切れているところから向こうが、海」

 光と闇の境界ををなぞるように空中を動く、はーちゃんの手。

「明るいときに来てもきれいだよ」

「……そっちも見てみたい」

「うん」

 手首をそっと握られた。

 お互い無言のまま、遠くを見つめる。

「ちーちゃんは――今が、好き?」

「――うん」

 私たちが生きているのは、今だけだから。

「千恵」

「――……?」

「千恵。いい名前だね」

「……遥香もね」


 *


「へーほーふーん。このお方が学年で最も優秀な浅井遥香様ですかー」

 あの次の日、遥香と帰ろうとしているところで、夏歩、皐月、唯の三人に出会った。夏歩は遥香の姿を見るなり、仁王立ちで進路を塞ぎ、まるで品定めをするように目線を上から下に走らせていく。

「……か、夏歩?」

 唯が見かねて呼びかけると、夏歩は更に激昂したように目を細め、早口でまくし立てた。

「美人で運動ができてお勉強も完璧なんだってね」

そこでようやく、夏歩はふ、と表情を緩めた。

「世の中ってのは不平等だよ」

 か細い声だった。道を譲りながら発したその声が聞こえていたのは一番近くにいた私だけだろう。皐月と唯は、夏歩にただ心配そうな眼差しを向けていた。

「あなたたちは、千恵の友達?」

「そうだけど――」

 夏歩が、臆することなく尋ねてきた遥香にたじろいだ。

 そこで、我慢できずに口を挟んだのは、皐月だった。

「浅井さん。夏歩は、クリスマスにちーたん……千恵を取られたのに嫉妬してるだけだから、これで夏歩を嫌いになったりしないであげてほしい」

 皐月が話すときは、必ずツッコミか誰かの言葉の補充だった。一番最初に駆け出した夏歩を見守るように、危なくなったら止められるように。自分から話し出すことはほとんどないけれど――足りないところを補い合う、理想、かもしれない。

「そう。――千恵、いつからこんないい友達がいたの?」

「なんで、そんなことを聞くの?」

「……私はクラスにそんな友達はいないよ」

 この場にいる全員が口をつぐんで、重々しい沈黙が流れた。私はただここから逃げ出したいような衝動に駆られ、唇の内側を噛んだ。けれど、その圧にも屈せず、夏歩が言葉を放った。

「クラスにいないんだったら、他クラスでも作ればいいじゃん。――いるじゃん、千恵が」

 ほんの一瞬置いて、皐月が口を開いた。

「違うな。夏歩が言いたいのはそうじゃない」

「……おおお、そうだね。きっと私たち三人、おんなじ気持ちだよ」

 皐月と唯は二人で目を合わせて、にんまりと笑った。

「ほら、夏歩さん。本心を隠すのは禁止ですよ」

 唯が夏歩のカバンをしつこく叩いた。鬱陶しいと、手を振り払ったが、まんざらでもなさそうに顔を赤くしてうつむいている。

 さすがに私も、この三人が何を考えているのかがわかった。

「ここで正直に吐いたらちーたんにアイスでも奢ってもらえ」

 唯がビシッと、私に人差し指を向けてきて、それに視線を吸われたけれど、戸惑いを消して、私も皐月と唯の勢いに乗るのがいいかもしれない。

「仕方ないな、奢るからほら夏歩言ってくださいな」

「なんで私が……ああもう、わかったよ! 言えばいいんでしょ、言えば! ちーたん、アイスは一番高いやつな!」

 みんなが微笑んで見守る中で、真っ赤になりながら叫んだセリフは、人気のないロッカー室を反響し、長く残った。

「私が! 友達になるって! 言ったらいいんでしょ!」

 北風が頬を刺す。アイスではなく、おでんをみんなに奢ったのは、また別の話。

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