3月
私はこの一年で間違いなく成長した。
それは彼女も同じだ。――そう信じたい。信じてもいいと思う。
「どうしたの? 早く行こう! そう――ドーナツが私を待っている!」
「そうだね――遥香」
ほんの少し冷たい空気が頬を撫でた。遥香の髪は、風に舞い、まるで重みなんて感じない。
「――私さぁ、最近思うんだよね」
「何を?」
「人間ってなんでこんなに長生きするのかなーってさ」
「またこれは、重いテーマだね」
「ふははは、千恵なら面白がってくれるでしょう」
二人で一緒に思考の海に体を沈めていく。
これは、大人でも子供でもやっていること。
それが仕事なのか遊びなのか、という違いはあれど、大きく異なっている訳じゃない。
「一般的にいえば、人間が医学を発達させたからってことになるけど……そういうことじゃないんでしょ?」
「そう。子供より大人で過ごす時間が圧倒的に長くて、生きても生きても、死ぬことへの恐怖は拭えなくて――死のうとしても救われることを強制されて――死んでもなお、人の心で生き続けようとする人間」
「そこまで生に執着するってのは、怖いよね」
「うん、怖い。死ぬときに死にたくないって思うのが一番怖い。だから――だから、死ぬときは、誰にも看取られず、誰にも惜しまれず、だからといって死ぬことを望まれても死にたくない」
「そんなこと言わないで。私が看取るよ。惜しむよ。最期まで生かすよ……医者じゃないけど、精神的になら生かせるかもしれない」
「……変だなぁ。こんなこと言ってる人間が、千恵にそう言われて嬉しくなるんだよ。矛盾だらけだね」
「矛盾があるのは、大人も子供も一緒だよ」
憂いのある表情は、いずれ散ってしまう自分の人生を想っているようだった。枯れない花なんてない。だから、枯れることを恐れてはいけない。
「遥香が死んだらきっと、世界が衝撃を受ける」
「千恵もだよ。世界が衝撃を受けなかったら、私が世界分驚いてやるし!」
二人で一緒に笑うことの幸せは、噛みしめるだけではとても足りない。どれだけがんばっても、心から溢れ出して止まらないこの感情に、人々はなんて名前をつけたのだろう。私の語彙力では表すことができない。
これほどの温もりを与えてくれた彼女に、どれほどの言葉を贈れば返せるのだろう。
「遥香」
「なあに?」
「もう死にたいなんて言わないでね」
「……当たり前でしょ、もう」
遥香は苦笑いで目を伏せた。
「もう言わない。一生言わない。子供になりたくなったら千恵に言うから」
「私が海のように広い心で受け止めてやろう」
「海水って地球と比べたらちょっとしかないんだよね……」
「こっ……こいつ、この理系脳! 文系の語りを台無しにするな!」
「大丈夫、赤い花火を見てもリチウム……とか思ったりしないから」
「思ってるよね⁉ それ思ってるふりだよ⁉」
「大丈夫、君と花火のどっちがきれい? って聞かれて、君の方がきれいだよって言える」
「それはそうしないと関係にひびが入るよ」
「卵の白身と黄身のどっちが好き? でも黄身が好きだよって言える」
「それはネタだよ」
「君がすしだーっ!」
「…………」
遥香は笑い出すことも、すべったことを恥ずかしがることもなかった。
「私は、千恵のことが好きだよ」
「……」
ふへへ、と照れ笑いをして、こう続けた。
「友達になってくれて、ありがとう。私を救ってくれて、ありがとう」
三月の桜の蕾が揺れる。まだこの花びらは散ることを知らない。それでも、いつか花開くために、全身全霊で自分を守っている蕾。
咲いてしまったら、いつかは散る。けれど、咲く前に落ちてしまうのはもったいない。
花が咲くことを諦めないように。蕾のままで落ちないように。
「私、将来の夢ができたんだ」
「どんな夢?」
「……スクールカウンセラーになりたい」
「そっか。千恵にぴったりだね」
遥香は何度も頷いた。私のことを全力で肯定してくれる。私の心強い味方。
そして、
「私は医者になる」
そう断言した。
「お互い、たくさんの人を救おうね」
文理が違う。見た目の美しさも違う。頭の良さも違う。けれど、根本的なところは同じだった。
「もちろん!」
目を合わせて笑いあった。
そういえば、この感動を与えてくれたのは、遥香だけではない――。
「おい、ちーたん、はるるん! 終業式にまでいちゃいちゃしてるのか!? バカップルめ、私も混ぜやがれ」
私と遥香の間に体をねじ込んできたのは、夏歩だった。後ろから、冷静で通った声の皐月のツッコミが入る。
「はるるんとちーたんの仲に夏歩が混ざれるわけないでしょ。諦めて後ろから見つめる係するよ」
最後に、一番はつらつとした唯の声が飛んできた。
「それいいな! よし、私達が見守ってやるから思う存分いちゃいちゃしろ」
そう、この三人も。
友達の形を見せてくれた。
私達は五人になった。
一人や三人のことは考えたのに、まさかこんなに増えるなんて。人生はわからない。うん、私みたいなお子さまにはわかるものではないんだろうな。
「今からドーナツ食べに行くんだけど、来る?」
遥香が尋ねると、三人の目の色が変わった。
「はっ、行かない選択肢があるか?」
「反語だね。夏歩、テストで間違えたからってここぞとばかりに使わなくてもいいんだよ」
「さつきぃ、余計なこと言ったら夏歩ちゃまがすねちゃまになっちゃうま」
「もう訳分からんことになってるよ」
「私が友達になるって言ったらいいんでしょー!」
「黒歴史っ!?」
五人みんなが笑った。いや、訂正。夏歩だけは顔を真っ赤にして唯を殴っていた。
「わー、お花畑が見えるー」
「誰かっ! 救急車っ! 唯がっ! 唯があああ!!」
「あは、あははははっ、お、お腹よじれるっ」
「よじれてしまえ!」
真っ赤になってそっぽを向く夏歩と、冗談めいて叫ぶ皐月、それを見てしゃがみこんで震えている遥香、不思議に舞い始める唯。
人間、いつ、何がきっかけで変わるかなんてわからない。
私たちは、まだ、生きてるんだから。
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