7月

 期末テストが終わった。

 夏休みが見えてきた。

 梅雨が明けてから、気温も、周囲の夏休みに向かっての期待も、上限を押し上げていっているのを感じる。日々冷えていく私の心と相反するように。

 高校一年生でこんな状態になるなんて、早いよね。なんて、自分で自分を馬鹿にして、傷ついて、今日も一人でご飯を食べる。冷えた米は、私によく合っていた。ほんのちょっと温かいだけでも、今の私をやけどさせてしまう。胃のあたりでムカついて収まらない不快な何かを押し込むために、無理やり頬張ったご飯を飲み込む。

 今なら電車に飛び込む人の気持ちが分かるかもしれない。別に、どうしようもない絶望感を味わわなくても、死にたいなんて簡単に思ってしまうものなのか。

 はーちゃんは、その後も変わらなかった。前と同じように、私に笑いかけてくれた。けれど、私は唯一の希望を失ってしまって、笑顔を返すことすらできなくなってしまった。


『子どもになりたいんだ』

『子ども――』

『へへ、マジトーンでいきなりこんなこと言われても困るよね。でも、本心。大人になりたくない』

『あ、の』

『ずっと思ってたんだ。

 私は、

 天才じゃないんだ。

 こんなことを考えてしまう、

 社会不適合者なんだ。

 天才は世の中に貢献すべきだって聞いたけど、

 私はそんなことができない子どもでありたい。

 こんなこと考えてしまう私は、

 天才なんて』

『…………』

『子供に戻れないなら、大人になる前に――』


 死んでしまいたい。


 彼女は確かにそう言った。

 彼女の弱音は、私の心に強く響いた――食らいついて、離れて、毒を残した。

 彼女が今までどれほどの期待と羨望を向けられて生きてきたのか、それがどれほど重みかが、一分もない語りで私に流れ込んできた。遊具をぼんやりと眺めながら、うわ言のように弱々しい言葉を紡ぐ彼女は、今まで見た誰よりも幼かった。

 「私も子どもになりたいんだ」

このたった一言、言えてたら。――たらればの話をしたところで、過去も未来も変わりはしない。

 同時に、私は彼女の友達ではいられないとも思った。彼女の思いを受け止めきれない。友達は、なものであるべきだから。

 私の心と呼応するように、空には分厚い雲があった。

 きっと、この後、雨が降る。

 雨が降り出す前に、ぎりぎりで駅に滑り込めたらいいかな、と傘も何もない手を振って走っていた。鞄を背負ったまま走るのは嫌いだ。重い荷物が私の肩を抉る。

 それでも、雨に濡れる方が嫌だったから、走った。

 前を歩いていく高校生を抜かそうとしたとき、その後ろ姿に見覚えがあることに気がついた。すぐに後ろ姿と顔が一致する。私はこの人と話せない。

 無視して走り去ろうとした。だけど、神様はそれをさせてくれなかった。

 渡る寸前、目の前で信号が赤に変わる。足を止める。彼女も止まる。横に並んでしまった。

 ――彼女に、気づかれてしまった。

「ちーちゃん」

 息を切らして喋れない私を待ってか、いつものように、焦らせない沈黙が流れる。それでも、私の沈み続ける心が留まることはなく、もちろん元の位置に戻ってくれることもない。このまま心と連なって倒れ込んでしまいたかった。

 どちらも言葉を発することはなく、一緒にいることがマイナスになるような息苦しさ。

 私は何をすれば良かった?

 凡人未満の人間が、天才に何をしてあげられるのか?

 ――私ごときが、答えを出せるわけないじゃん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る