囲碁部

 蒼は囲碁部の部室のドアを少し緊張しながらノックした。

「あら、森田さんと園山さん、また来てくれたのね。」

 南さんが優しい笑顔で迎えてくれた。

「あの、この本ありがとうございました。」

 蒼が借りていた詰碁の本を返そうとした。

「あら、もう読んだの。まだ返さなくていいよ。詰碁は何回も繰り返すのが大事だから。」

 南さんは一度受け取った本を、再び蒼に返してきた。


 そのあとノックもせずにドアが開き、北崎さんが部室に入ってきた。

「園山さん、きてくれたんだ。打つ?」

「打ちましょ。今度は負けませんよ。」

 この前と同じように二人で打ち始めたので、蒼も南さんに囲碁の入門講座をうけはじめた。


「囲碁は形が大事だから、いい形、悪い形を覚えておくといいよ。」

 南さんは、碁盤の上に石を並べながら『アキ三角』や『陣笠』といった悪い形を説明してくれた。

「新入部員って他にいます?」

 講座もひと通り終わったところで、蒼は気になっていたことを聞いた。

「岡本君って子が、昨日見学に来たよ。今日は5限目まであるって言ってたから、後で来るかもよ。」

 南さんは他の部員と打ち始めたので、蒼はその間入門書を読むことにした。横では園山さんが難しい顔をして対局を続けていた。

 蒼は本を読みながら、横目で南さんの対局風景をみていた。蒼に教えてくれているときの優しい表情も良かったが、背筋がピンと伸び真剣な表情もまた美しかった。


 ノックの音がしてドアが開き、一人の男性が遠慮がちに部室に入ってきた。

「岡崎君、いらっしゃい。ちょうどよかった、他の1年生も来てるよ。」

 対局中の北崎さんが入ってきた男性に声をかけた。

「初めまして。経済学部の岡崎信也です。」

「工学部の森田蒼です。こんな格好だけど、男です。」

 岡崎君のあいさつに続き、蒼は挨拶を返した。大学に入って以来、自己紹介するたびに誤解させるのもよくないと思い「こんな格好だけど、男です。」と付け加えているが、口にするたびに恥ずかしい感じがする。

「南さんから聞いていました。ハクジョ男子がいるって。」

「『ハクジョ男子』って知ってるの?」

「うん、妹が白石高校に行ってるからね。今2年生で、クラスの男子がスカート履いてきたって言ってた。」

 同級生で4年間付き合うことになる岡崎君にも、蒼のことを抵抗なく受け入れてもらえたことに、ほっとした。


「ここのキリは、ちょっと強引でしたか?」

「そうだね。コスんで守ってくるかと思ったから、急に反撃されて驚いた。見かけによらず攻撃的だね。」

「よく、言われます。」

 北崎さんと園山さんが、対局が終わり感想戦といわれる反省会をやっている声が聞こえる。

「もう、7時半か。そろそろご飯でも食べ行くか。1年生も一緒に行く?」

 北崎さんは碁石を碁笥とよばれる碁石を入れる容器にしまいながら、蒼たちを夕ご飯に誘ってきた。

 園山さんも岡崎君も行くようなので、蒼も一緒に行くことにした。母親に夕ご飯は食べてくるとメッセージを送り、みんなと一緒に部室をでた。


 大学近くの定食屋に入った。ここは食券制のところのようで、入り口に食券の販売機が置いてあった。北崎さんは自分の分の唐揚げ定食のボタンを押した後、お札を追加で入れた。

「1年生は入部祝いということで、奢りだ。ちなみに、この店は大盛にすると後悔するぐらい多いから、やめとけ。」

 北崎さんは誇らしげに蒼たち1年生の方を向いて言った。

 他の二人は遠慮してなかなかボタンを押さなかったが、後から他の人たちもやってきたので待たせるのも悪い気がして、意を決して蒼は遠慮がちに一番安い日替わり定食のボタンを押した。

 他の二人も遠慮がちに、日替わり定食の食券を買っていた。園山さんがお釣りを北崎さんに返しながらお礼を言っていた。

 そうだ。年上の人に奢られるのが初めてで動揺していたが、お礼を言わないと。

「北崎さん、ありがとうございました。」

「まぁ、入部祝いだ。気にするな。」

 北崎さんは誇らしげな笑顔を見せていた。

「北崎君、女子部員が入って嬉しいのよ。」

 南さんが小声で園山さんに言っているのが、蒼の耳に届いた。


 注文した定食が揃ったところで、みんな食べ始めた。日替わり定食は、生姜焼き定食で濃い目の味付けでご飯がすすむ。学生向けの定食屋ということもあり、標準でもかなりのボリュームだった。

 蒼の前の席に座った南さんは、アジフライ定食を美味しそうに食べている。

「ところで、森田さんは高校卒業しても女の子のままなんだね。もともと女の子になりたかったの?」

「トランスジェンダーの人たちみたいに、女の子になりたかったわけではないですけど、男に戻るタイミングを逃したというか・・・」

 高校時代は校則ということと、まわりもみんなハクジョ男子だったので特に何も思わなかったが、大学以降も女の子でいることの理由を改めて聞かれるとちょっと困って言葉を濁してしまった。

「わかるよ。女の子って楽しいからね。」

 毎日通学の服選びで悩んでいるのも、いろんなコーデの組み合わせを楽しんでいる一面もある。ハクジョ男子になってから性格も変わり、明るく外交的になったような気がする。

「他の男子からもチヤホヤされるから、女の子の方が得でしょ。」

 横の席に座っていた園山さんも会話に加わり、蒼が工学部の男子からモテている話を始めた。たしかに工学部の男子に大事に扱われて嬉しい自分がいる。

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