第3話 清貧(1)
侍の武士道において、清貧、すなわちお金などの資産を多く持つことなく、清い心根を持つことは重要な思想であった。新渡戸稲造氏の「武士道」においては、次のように述べられている。
「どんな仕事に対しても報酬を払う今日のやり方は武士道の信奉者の間では広まらなかった。なぜなら武士道は無報酬、無償であるところに仕事の価値があると信じていたからだ。精神的な価値にかかわる仕事は僧侶にしろ、教師にしろその報酬は金銀で支払われるべきものではなかった。それは価値がないからではなく、金銭では計れない価値があったからである。」
しかるに、現代のエンジニアリングについて考えてみよう。現代のエンジニアリングは、様々な道具を必要とする。所有するPCなどのコンピューター資源に始まり、様々な道具を用いる。ここにおいて費用がかかることは言うまでもない。しかし、侍においても、刀等の物品は必要であったと思われるから、侍と全く異なるという訳でもない。現代では、例えばプログラミングによるプログラムアプリケーションの開発を納品を行う時、頭脳労働としての報酬を請求している。これは市場原理の中で、受注者がその価格を決め、価格を決めている。
市場原理の中では、供給の少ないものについては高い価格をつけることができる。一方、価格自体は供給者に決める権限がある。
現代においても有名なメーカーの一つであるヤマハは、その創業者である山葉寅楠は十七歳で鳥羽伏見の戦いに出陣したといわれているが、ピアノ製造を志すにあたって次の言葉を残している。
「自分は品物を販売するに掛引をせぬ。生産費を控除して代価を定め決して暴利を貪らぬ、而して品質に対しては絶対的責任をかぶるを信条として社会の信用を博する覚悟である」
このことは、製品の価格を市場原理に合わせて上げたり、下げたりしないことを意味している。また、それとは別に品質におけるこだわりを精神的な働きとみなし、またそこから金銭を取り出さぬということを決めていると言える。現代の資本主義社会においては、このことは非常に狂った思想のように見える。ともすれば転売などの事業のように、より高く販売できるものはより高い値段をつけて販売すべきであるという思想が現代の中心に占めているように思われるからである。
しかし、このヤマハが明治より現在へと続くメーカーとなっていることから、この思想についてもよくよく考えるべきものであるように思われる。
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