第5話 互助組合
5-1 更なるシミュレーション
翌日、当然のごとく、職場に出勤した葵であった。
いつもと同じく、電車出勤の彼女であった。
「それにしても」
車内で昨日の斉藤鉄工所の外国人労働者達の姿を思い出していた。捜査を担当する刑事として、当然のことと言えば、当然のことではあるものの、その思いの中で多少の怒りが湧いて来ていた。
「苦しい生活の中で困っている人がたくさんいる。それでいて、どこぞのバカ息子
が贅沢に遊んでいるとは」
そういう「社会」の不条理故に、
「そうした不条理に怒りを覚えた者の中から、大学等で過激派に走る者が出て来る
のはおかしくないことかもしれない」
葵は、そのように考えているうちに、半ば、自身が過激派に感情移入したような感じであった。
「いかん、いかん、しっかりせいや」
葵は、自分に注意せねばならなかった。
「だから、公安も捜査に参加しているんだ。自分だって、捜査の一員なんや」
と改めて、刑事の姿に戻ったのであった。
自分の職場に入ると、いつも通り、
「おはようございます、警視」
と上司の本山に挨拶すると、これまた、いつものごとく、自身のデスクについた。
葵に続いて出勤して来た楓もデスクについた。今日も1日の始まりである。
彼女等は、何時もの如く、デスクのパソコンを開き、自身への電子メール等を確かめた。
現場周辺の住民等からの情報提供等を確認してみたものの、未だに有力な情報は入っていないらしい。有力な情報が有れば、あっさり、事件解決といった展開かもしれない。しかし、そうでもない以上、葵等は刑事として、聞き込み等、情報収集に努力せねばならない現実があった。
果たして、斉藤良雄殺害の本件は、事件発生以来、ホワイトボードに記載されている
① 怨恨
② 物盗り等
のどちらか。先日から記載がほとんど変わらないホワイトボードをにらみつつ、葵は思った。
「本山警視」
葵はやはり、本山に声をかけた。
「昨日の聞き込みで、斉藤鉄工所の経営は、その地区一帯の企業の多くが参加して
いる互助組合が代理して管理しているそうです」
「その件は、君から昨日、聞いているが」
「ですので、その互助組合に聞き込みに行きたいのですが」
「その件については、午後からだ。塚本君も同行するように」
「はい、警視」
楓は返答すると、改めて、自身のパソコンで現場一帯の企業等が参加しているという「互助組合」を確認すると、2部印刷し、1部を葵に手渡した。
この「互助組合」は、大企業のような企業ではなく、中小規模の企業が集まって組織しているものらしかった。資金が苦しい時等に、何らかの融資をする等の援助をするらしい。
これ等の情報を確認し、葵と楓は午後からの聞き込みの準備した。
5-2 訪問
電車を乗り継ぎ、葵と楓はインターネットで調べた互助組合の事務所を訪れた。現場への電車乗り継ぎによる訪問はもはや、ルーティンワークと化した感がある。
事件現場となった地区の一隅にあるその事務所は、古ぼけた建物が多い中で、やはり、古ぼけた建物の1階にあった。建物全体が何となく、灰色にくすんでおり、如何にも古さというか、暗さが感じられてしまう建物である。このあたり一帯のそうした建物は、如何にもそのあたり一帯の経営の苦しさを象徴しているかのようであった。
葵と楓は、互助組合の事務所に、正面のガラス戸を押して入った。
事務所内の職員達は、突然の訪問者に少しく驚いたようであった。
葵は、
「突然のことで、恐れ入ります。私、警視庁捜査一課警部補の山城葵と申しま
す。こちら同じく、捜査一課の塚本楓と申します。先日起きました斉藤良雄氏の
殺人の件でうかがいたいことがありまして、突然ですが、お邪魔しました」
応対に出た男性職員は、2人が警視庁の刑事と知ると、上司の者を呼ぶと言い、2人に少々、待つように御願いした。
職員は、奥の部屋に入ると、
「カンザキさん」
と声をかけた。
葵が、先日、牛丼屋で聞いたバカ息子と同じ苗字である。ひょっとしたら、その男であろうか?
「ああ、分かった、今行く」
そうした声に続いて、奥から、1人の男が出て来た。
「すみません、神崎です」
彼はそう言うと、会釈し、一枚位の名刺を名刺入れから、2人に手渡した。名刺には
「互助組合理事 神崎達夫」
とあった。
葵と楓も会釈し、自分等が警視庁の警部補である旨を記載した名刺を渡した。
神崎は、改めて、ソファに座るよう、2人に促した。
「失礼します」
葵と楓は、神崎の勧めに従って、ソファに腰かけた。
葵が口を開いた。
「お忙しい中、突然ですみません。私達、警視庁の捜査員として、先日の斉藤良雄
氏殺人の捜査を行っているのですが、斉藤良雄氏の殺害推定時刻に斉藤鉄工所の外
国人労働者から、斉藤氏のスマホ宛に電話がかかっているんですね。その外国人労
働者が言うには、同じ出身国の方から、そうして欲しいとの伝言を受けた、とのこ
となのですが」
「ええ、そうです」
神崎の返答である。
楓が口を開いた。
「すみません、私達、その方にお会いしたいのですが」
「いいですよ、彼は今、ある工場では働いていますので、お呼びしましょう。10
分から、15分程、お待ち来ただけましでしょうか」
「すみません、宜しくお願い致します」
楓と葵は御願いした。
神崎は、先の奥の部屋に戻って行った。その外国人のいる工場に電話するらしい。2人のテーブルには紅茶が置かれており、2人は、紅茶を飲みつつ待った。
10分程して、その外国人が先の書面玄関から入って来た。奥から出て来た神崎に促され、テーブルを挟む形で葵等と向き合った。
早速、葵は、
「事件当日、なぜ、斉藤社長に電話するように、貴方の友人に促したのか」
という内容の質問をした。彼は、たどたどしい日本語で、
「ここにいる神崎さんの指示です」
と答えた。それを受けて、葵が斉藤鉄工所で倉田に問うたのと同じように、神崎に
「恐れ入りますが、当日、なぜ、ご自身で、斉藤氏に連絡されなかったのでしょうか」
と問うた。重要な話であるならば、日本人同士の方が、確実に話はつながるはずだろうからである。それは、楓も聞きたいことであった。
神崎が答えた。
「斉藤社長にもプライドがあります。他の関係者に注意されたら、自分と自分の会
社、あるいは互助組合だとかから、馬鹿にされたように感じるでしょう。だからで
す。ですので、まだ、自身の身内と言うべき立場の自社社員から言われた方が、言
葉が通じにくいとはいえ、良いかと思いました」
神崎は続けた。
「各社のこの地区での円滑なお付き合いというか、ギクシャクしないようにするた
めには、そうしたほうが良いでしょうから」
それを聞いた葵は、
「斉藤良雄は周囲への当たりが厳しい」
とも聞いていたので、その点での配慮かもしれない、とも考えていた。葵がそのように考えていると、楓が口を開いた。
「すみません、他に斉藤良雄氏が殺された原因について、何か、心当たりになるこ
とはありませんでしょうか」
「さあ、何でしょう。私にもよくは分かりませんが、やはり、物取りかもしれませ
んね。すでに御存じとは思いますが、この辺り一体はかなり暗くなりますから」
月並みな回答である。やはり、物盗りの線による単純な事件のだろうか。
さらに、葵が口を開いた。
「恐れ入りますが、事件の翌日に開かれるはずだった会議の議題は何だったのでし
ょうか」
「今後の我々の互助組合の運営等についてです。少々お待ちください」
そう言うと、神崎は事務所内の事務用棚におかれたファイルを持ち出し、
「これが予定されていた議題です」
といって、ファイルの内容を見せた。
そこには、如何に、相互の協力を強化するか、予算決算の中間報告等、月並みな内容が記載されていた。
神崎が言った。
「月並みな内容ですが、我々組合の運営等には重要なことなんです」
葵等には、スマートフォンが斉藤鉄工所で会社から与えられたのかという疑問がまだ残っていたものの、そのことには敢えて触れなかった。
「外国人労働者に通信手段等を与える等すると、会社経営陣へのある種の反乱、ひ
いては、それらの会社をまとめる形になっている互助組合へのある種の反乱になる
のではないか?」
と問うても、まともな回答等が得られるはずもないからである。
以上のような会話の上で、葵と楓は神崎等に一礼し、事務所を出た。
5-3 斉藤鉄工所への再訪
互助組合の事務所を出て、暫く歩いたところで、葵と楓は一度別れ、葵は斉藤鉄工所を再訪し、楓は先の「会議」が本当に予定されていたのか、数か所の企業等をめぐって聞き込みした後、資料整理のため、本庁に先に帰ることになった。葵は、そのことを本山にスマホで連絡した後、斉藤鉄工所を再訪した。
「すみません、度々」
昨日に続き、斉藤鉄工所を訪れた葵は、やはり、昨日同様、事務所内から出て来た倉田に、葵はまず、詫びを入れた。
「どうされましたか?」
「あ、いえ、他の要件のついでに立ち寄らせていただきました」
「はい」
「本当に度々のことで、申し訳ないんですが、斉藤社長は外国人労働者の方々にと
って、どんな方だったんでしょうか」
葵としては、斉藤良雄の現実について、一方の当事者でもある外国人労働者等にも、その本音を確認しておく必要があった。
「さあ、どうでしょう」
倉田は困惑しつつ、答えた。
「彼等に聞いてみますか?」
「すみません、御願いします」
倉田は、昨日同様、ぱんぱんと手を叩き、作業中の外国人労働者等に集まるように指示した。合図に気付いた外国人労働者等は、葵の周囲に集まり出した。
ほぼ全員が集まったと思われるところで、葵は彼等の表情が何かしら明かるいことに気付いた。葵は、その理由を倉田に問うた。
「なんでも、互助組合からいくらかのボーナスが出たそうで」
「社会」を渡って行くパワーはやはり、Moneyのようである。
葵は昨日同様、余り自身のない英語で問うた。
Sorry for stopping your working. I would like to listen your opinions about how did you think of Mr.Yoshio Saioto as your president of this factory
皆、口々に
Good president
と言った。しかし、何か苦笑めいた表情である。この話については、これ以上、触れてくれるな、というものを含んでいるようなのである。何か、腑に落ちない者が感じられた。これは何か、事件を解くカギかもしれない。
葵は改めて、倉田に問うた。
「なぜ、急にボーナスが出たのでしょうか」
「組織の立て直しのための互助組合からの皆さんへの行為のようです。新しい仕事
仲間として、上手くやって行きたいとのことのようです」
「そうですか」
事件と関係があるのか否か。これについては、刑事として推理してみるべき部分もあるようである。
葵は昨日同様、皆に礼を言うと鉄工所を後にした。
葵は、電車を乗り継いで桜田門に戻る途中、互助組合の理事と先日のバカ息子の苗字が同じ
「カンザキ」
であることにひっかかっていた。
「しかし、世の中には色々な苗字が有るもの。私の山城っていう苗字だって、そう
多いほうではないかもしれないけど、まあ聞かない苗字でもないし。カンザキだっ
て、佐藤、斉藤、鈴木のように多くはないでしょうけど、そんな珍しい苗字でもな
いし。いきなり、何か事件に結び付くカギと考えるもの良くないかもしれない」
そう思いつつも、
「しかし、わずかな証言の聞き逃しや捜査ミスが事件の迷宮入りを招くこともあ
る。心の何処かには留めておくことね」
本庁に戻ると、楓から、やはり、斉藤良雄殺害の翌日の会議は確かに予定されていたことであり、斉藤良雄殺害によって、出席者がそろわなくなる、新たな事務処理が必要になろうとのことで、中止されたとの報告を聞いた。
いよいよ、事件は複雑さを増して来たようである。
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