第4話 再始動

4-1 週が明けて

 土日が明けて月曜日になり、何時ものごとく、葵は電車と地下鉄を乗り継いで、桜田門に向かっていた。

 葵は、土日は、まあまあ、休めたようである。職場からの

 「登庁願います」

 の連絡もなかった。そして、真江子からの連絡もなかった。もっとも、真江子については、金曜の就寝前に、スマホの真江子の電話番号を着信拒否にしたので、当然だったのであるが。土日の休日を真江子に干渉されてはたまったものではなかった。そのうち、人の心中にて募ったイライラが、捜査に支障をきたすかもしれないとさえ思った。その意味では、母とはいえ、真江子は当分は消えてもらうべき存在であった。

 通勤途上、電車内のつり革につかまっていた葵は、真江子によってもなされた先日からのイライラにとらわれてはならない、と心中、自身を叱咤した。

 「おい、葵、少し、しっかりせいや」

 今回の斉藤良雄の件は、葵にとっての初の大仕事である。この件でコケたら左遷であろう。そして、それを何処かで聞きつけた真江子が、

 「だから、あんたって子は・・・・・」

 等の非難の台詞を吐き、またしても訳の分からない「お見合い」とやらを持ち込んでくるかもしれない。

 斉藤良雄殺人の件は、既に、テレビ、新聞、インターネットニュース等で報じらている。マスコミの関係者等は、この件を

 「日常の生活」

 の中で時々起こる事件の1つとして捉えているのであろうか。又、多様な媒体を通して今回の事件を見る「社会」の担い手たる多くの人々にとっては、所詮、他人事であろう。 

 しかし、もし、本件をまかされた葵が、何らかの失態を犯し、捜査ミスで半ば、本件の捜査が長引いたり、所謂「迷宮入り」になってしまったとしたら?

 マスコミは大々的に葵を叩き、葵は今後のキャリアどころではない大騒動に巻き込まれるかも・・・・・。

 このように感じると、今から何かしらの恐怖を感じるのである。換言すれば、失態は、自分で自分への

 「日常の生活」

 の破壊に他ならなかった。

 葵は、心中、再びつぶやいた。

 「ほんっま、しっかりせいや、あのあほな毒母の真江子に負けたないやろ」

 このような心中でのシミュレーションをしている間に、地下鉄は桜田門前に到着し、葵は、地下鉄を下車した。何時ものごとく、改札を出、地上に出た。

 警視庁本庁舎に入り、エレベーターで自身の職場に向かった。斉藤良雄殺人の本件を

 「怨恨」

 の線から捜査する以上、まず、斉藤鉄工所での外国人を含む労働者との斉藤良雄の普段の付き合い、又、取引先との関係等について洗い出す必要があるのは無論である。

 自身の世界に耽溺しがちな葵である。それが私的な方向に進むと、先程のように、自分自身の人生についてにある種のシミュレーションにもなるのである。

 しかし、刑事ともなると、捜査にその能力を生かし得るようなのである。その意味では、警察官を職業としたのは、やはり、間違ってはいないようであった。

 葵は、自身の職場に入った。上司の本山と目が合った。

 「おはようございます、本山警視」

 「ああ、おはよう、山城君。塚本君と共に、例の件で、怨恨の線でがんばってく

 れ」

 「はい、警視」

 葵は、自身のデスクに座って、職場の自身のパソコンを起動した。


4-2 遺留品

 「おはようございます、山城警部補」

 正面から、わざとらしい楓の声が届いた。

 正面は、楓のデスクである。普段は同期の友人関係であり、同じ警部補という階級もあってか、この挨拶は何かわざとらしく、というか格好をつけたような響きがあった。

 あるいは、先日の廊下での捜査本部に向かっていた時とは逆に、気を引き締めよう、という警鐘かもしれない。通勤途上、心中でのシミュレーションをしていたことが、却って、葵の表情を妙なものにしていたかもしれない。

 「おはようございます。塚本警部補」

 葵も返した。

 「本件の遺留品については、専用のZIPファイルにまとまって、各関係者に鑑識

 から届けられています」

 「見えます?」

 「ちょっと待って、今、開くから」

 ZIPファイルを開くと、本件の各遺留品の一覧が、エクセルに記載された一覧表となっており、又、葵が現場で証拠資料の1つとするように指示した鉄バールの他、斉藤自身のスマホの他、事件当時の斉藤の着衣等の写真等が、資料として送られて来ていた。

 まず、葵が注目したのは、鉄バールである。鉄バールの写真資料には、解説文も添付されており、

 「鑑識課での調査の結果、鉄バールにわずかに付着跡として残っていた血痕と被害

 者・斉藤良雄氏の血液型、DNAは一致」

 という意味の内容が記載されていた。

 葵は思った。

 「事件当日、雨が降っていなくて良かった。雨天だったら、被害者の血痕もなくな

 ってしまって、血液型鑑定もDNA鑑定もできなかったかもしれない」

 正面の楓が

 「本件の凶器の鉄バールですが、どこの工場等でも見られるものですね。凶器が証

 拠として残っているのは重要ですが、この物証からでは、容疑者にたどり着くのは

 難しいかもしれない」

 確かにそうだった。葵は再度、自身に届いた本件の物証については、情報を確認してみたものの、凶器の鉄バールが、例えば 、

 「何処の工場で使われ、誰の所有物である」

 等の情報は記載されていなかった。もし、記載されていれば、容疑者につながる重要な情報になるはずである。

 葵は、

 「これは、もう一度、現場での聞き込みが必要になるな」

 と内心でつぶやいた。楓も、葵の内心同様に思っているのであり、

 「山城警部補、本件は再度、聞き込みの必要がありますね。我々のどちらかが、再

 度、現場での聞き込みに向かう必要がありますね」

 葵の心中を察したかのような台詞であった。楓もプロの刑事であり、それ故の台詞であった。

 「塚本警部補、私、昼食をとったら、午後からもう一度、現場に行って来ようと思

 う。貴女はここで情報処理等、してもらえる?」

 「分かりました」

 葵は、自身のデスクで彼女等2人の会話を聞いていただろう本山に向かって、

 「こういうことですので、警視、午後から再度、現場での聞き込みをしたいのです

 が、どうでしょうか?」

 「うむ、どこを中心に聞き込みをするか、だ」

 「まずは、再度、斉藤良雄氏の経営していた鉄工所ですとか、現場一帯の工場等を

 あってみるべきでしょう」

 「分かった。そうしてくれ」

 「はい、警視」

 そう言うと、再び、葵は自分のデスクのパソコンに向かった。昼食までにはまだ、時間がある。どんな新たな情報等が入るかも分からない。時間までは、デスクでの事務作業も無駄にしてはならないのである。

 楓がふと、思い出したように自身のデスクで作業しつつも、本山に問うた。

 「警視、公安からの情報はないのでしょうか」

 公安からの情報が入れば、本件の捜査も進展するだろう。しかし、

 「いや、まだ、何も入っていない」

 本山の回答である。

 公安は、エリ-トコースであり、また、同時に、日本という国家そのものを防衛していると言い得る部署である。他の諸課に比べ、人一倍、ガードの厳しい部署のはずである。

 「公安までもが参戦する本件は、どんな性格の事件なのだろう。今後、どのような

 展開になるのか?」

 先日も思ったことを心中で反芻しながら、昼食迄、デスク作業を行なう葵、そして、楓であった。


4-3 訪問

 「さーて、昼だ」

 午前の作業を終えた葵は、正面の楓を誘って、庁内の食堂にて昼食をとった。昼食時の話題は、やはり、斉藤良雄の件であった。話題の中心は、斉藤良雄のスマホの着信記録についてであった。着信記録については、既に捜査のため、電話会社等への開示請求がなされており、犯行推定時刻頃にあった


090‐××××‐〇〇〇〇


がポイントである。楓は、

「090‐××××‐〇〇〇〇から、早目に容疑者にたどり着ければ良いのだけど」

 と言った。事件解決の為には言うまでもないことである。同時に、公安とのセクショなリズムのようなものも、やはり気になるところである。

 昼食後、楓と別れた葵は予定通り、事件現場付近の聞き込みに向かった。現場近くまでは電車であり、その後は徒歩であった。

 地区を歩いていると、やはり、工場等が目立つ。いくつかの工場の壁の所々に、何かしら政治スローガンのようなものがあり、あるいは、新興宗教のものと思われるポスターのようなものが貼ってあるのが目についた。これもこの地区の特徴のようであった。

 日本国憲法でも「信教の自由」は謳われているので、新興宗教についてのポスター等が貼ってあっても法律上、おかしくはない。

 しかし、この地区では、何かしら目立っているのである。

 そんな地区を歩いて、葵は斉藤鉄工所に着いた。斉藤鉄工所は、その名となっている主の斉藤良雄をすでになくしてはいたものの、その広く開かれた正面入り口‐鉄工所等にはよく見られる建物構造と思われる-から見える内部では、多くの労働者たちが忙しく、動き回っていた。まるで、何事もなかったようにである。

 「ごめんください」

 葵の呼びかけに、広い鉄工所内のガラス張りの事務棟にいた女性事務員が気付いたらしく、戸を開けて出て来た。

 「はい、どなたでしょうか?どうされましたか?」

 「あ、恐れいります。私、警視庁警部補の山城葵と申します。先日の御社の社長の

 斉藤良雄さんの件で伺いたいことがございまして、」

 「分かりました」

 女性事務員は、そのように言うと、ぱんぱんと手を叩き、

 「みんな、聞いてちょうだい。この前の斉藤社長の件で、警察の方が来ています。

 少し休んで」

 そう言われた労働者等はそれまで、作業をしていた手を休め、葵と女性事務員のいる場所に集まり出した。葵も彼等の方向に向かった。女性事務員は、

 「どうぞ、何か、質問が有れば、聞いてください。但し、日本語のたどたどしい者

 が殆どですが」

 と葵に質問することを促した。

 葵はまずは、日本語で、

 「皆さん、お忙しいところ恐れ入りますが、私は警視庁警部補の山城葵と申しま

 す」

 と自己紹介してみた。

 葵を取り巻く労働者たちは皆、外国人達であった。所謂「技能実習生」もいることだろう。葵が来客であることは分かったようであるものの、やはり、所謂、

 「日本語の壁」

 があるようであった。思えば、女性事務員が、

 手を叩いて、労働者達に集合を促したのも、言葉が半ば通じないことによって、ジェスチャーによる合図が常用されていた具体例なのであろう。

 当然、日本語による聞き込みは困難なようであった。葵とて、外国語会話が左程に上手いわけではない。しかし、


 I am a policewoman of Metropolitan Police Department.I am investigating the murder of Mr.Yoshio Saito now. So I need your cooperation about this case.

I would like to ask you this telephone 090- ××××‐〇〇〇〇 number. whose telephone number is this?


 何とか、葵の質問意図は伝わったらしい。周囲の外国人労働者等の表情が変わった。

 葵は、再度、しっかりと質問すべく、鞄から、

090- ××××‐〇〇〇〇 number. Dou you know whose telephone number this is?


と書いて示した。葵を囲む外国人労働者の中のその1人が、

 「ソレハ、ワタシノデアス」

 とたどたどしい日本語で言った。


Are you owner of this smartphone?


「ハイ」


Do you pay telephone charge for the communications company by yourself?


電話代等は自身で払っているのではなく、会社から支払われているのだという。

 葵は1つの疑問を抱いた。外国人労働者等は、ある種の劣悪な状況に置かれていることもある。故に、通信手段を与えれば、外部への内部告発等の手段として使われることもあるので、労働者側がスマホ等を使用しないようにする等の事例も多い。それを費用まで肩代わりして、持たせていたのか。

 この疑問を抱きつつ、葵は更に、


 Why Have you called to Mr.Yoshio Saito at that day when he had been killed?


 別の工場に勤める同じ国の出身の友人から、その時間に架電するように頼まれたのだという。

 斉藤鉄工所の外国人労働者の中では、比較的言葉(日本語)が通じる彼から、「明日」(事件の翌日)になされるその友人の工場をも含む会議は、重要な会議であるので、遅刻しないように注意して欲しい、ということを言われたのであったとのことである。

 しかし、それならば、確実に日本語の分かる日本人スタッフに言いつけた方が良かったはずであろう。

 葵は、そのことについて、傍らの女性事務員に問うた。

 「さあ、その辺については、私もちょっと。私は簿記の資格を持っているということで、お金の管理を任されているだけですので」

 彼女は困惑した態度で答えた。

 「分かりました。今日はお忙しい中、失礼いたしました。最後に恐れ入りますが、

 お名前を頂いても良いでしょうか」

 葵の問いに

 「あ、これは失礼しました。私、斉藤鉄工所の簿記をしております倉田智子と言い

 ます」

 「わかりました、有難うございます。なお、御社の社長さんは今、どなたででしょ

 うか」

 「社長の地位は今、空席になっています。とりあえず、この辺一帯の各企業を取り

 まとめる形になっている、というか、うちも加入している互助組合が社長の代理に

 なっています」

 「新社長はいつ、決まるのでしょうか」

 「さあ、それは、私にはどうも。私は今、申しましたようにただの経理係ですの

 で・・・・・」

 倉田はやや困惑気味に答えた。

 「分かりました。今日は本当にありがとうございました。勝手ながら、今後もお世

 話になることもあるかと思います。今後とも宜しくお願い致します」

 そう言うと、葵は倉田他、集まってくれた外国人労働者一堂に一礼して、斉藤鉄工所を後にした。

 本庁に戻ると、葵は聞き込みの内容を上司の本山に報告し、その日は退庁した。

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