第2話 第1回捜査会議


2-1 ただならぬもの

 葵と楓が、会議室にて席に着くと、捜査本部長の本山が口を開いた。

 「全員、揃ったようだな。では、これより捜査会議を始めたい」

 本山、葵、楓、その他数人の列席者の他、男性刑事として、玉井康和警部の姿があった。玉井は捜査一課の所属ではなく、公安関係の刑事である。

 今回の件に公安関係者が参加しているとは、葵等には、何か、ただならぬものがあるように感じられた。

 本山が捜査方針について、口を開いた。

 「今回の斉藤良雄氏の件に関しては、2つの可能性が考えられる。つまり、怨

  恨、あるいは単なる物取りの件だ」

 これについては、葵は無論、認識済である。楓も同様であろう。

 葵は本山の話を聞きつつ、傍らのホワイトボードに目をやった。最上部に

 「斉藤良雄氏(65歳)殺人事件捜査」

 と赤字でタイトルが書かれてあり、タイトルの下には、


① 怨恨

 

② 物盗り等


 と書かれてある。又、現場で回収された鉄バールが、鑑識によって、凶器として認識されたこともその写真と共に、記載してある。

 「で、斉藤良雄氏の本件について、捜査本部としては、捜査方針を一定の方向に向

 かわせるべきかと思う。しかし、勿論、絞り過ぎるのも良くない。そこで参加の諸

 君の意見を聞きたい」

 本山は列席者に発言を促した。

 楓が発言しようとしたものの、玉井が先に口を開く形となった。本山は玉井の発言を認めた。

 「本山警視、本件につきましては、現時点ではどちらとも言えませんが、まずは、

 物盗りの線で行くべきと考えます」

 「なぜだ」

 本山は捜査本部長として、切り返した。

 「最近、日本は治安の悪化している、謂わば、無法地帯というべき場所も有りま

 す。ここ東京でも外国人の多い地区では、そうした傾向が見受けられますし、そう

 した地区では窃盗などの軽犯罪も少なくありません。軽犯罪の多発等を口実にすれ

 ば、こうした地区での大規模なローラー式捜査も可能かも知れません。治安の回復

 にも良いのではないでしょうか」

 この玉井の発言を聞いて、葵は、自分が捜査に行った地区を思い出してみた。

 確かに、外国人が多く住む地区は、ある種、不衛生で、住環境は良くない感があった。建物は老朽化し、以前、別件でこうした地区を訪れた先輩刑事によれば、電線がショートし、小さな火花を吹いている箇所もあった、と聞いたこともあった。

 そんな状況だから、葵としても、既に、ホワイトボード上にある


② 物盗り等

 

 を捜査の有力な線として、考えていたのであった。

 しかし、葵としては、公安にはべつの理由もあることを分かっていた。つまり、各「家庭」と称せられる私的空間を覗き見することによって、所謂「反権力」のあぶり出しを望んでいることを、である。

 所謂「過激派」は、その思想の如何を問わず、表向きは、

 「普通の一般市民」

 を、装っていることは、いつの時代にも洋の東西等を問わず、共通していることであった。又、そうした「過激派」は、憲法で「学問の自由」が保障されている大学構内等にも存在しているであろうことも、容易に想像できた。

 「過激派」を捜査、逮捕等できれば、公安の刑事にとっては大きな手柄である。故に、公安の刑事としての玉井が捜査一課の捜査会議に参加しているのであろう。

 この事件の背景に何があるのかはまだ、明らかではないのは当然である。しかし、本件の捜査を契機として、別件での大獲物となるかもしれない。

 公安刑事の参加は、葵にそんな心中でのシミュレーションをなしたのであった。


2-2 捜査一課員の立場

 「本山警視」

 先に発言をさえぎられる形となっていた楓が改めて口を開いた。

 「何だ」

 確かに、玉井警部の意見にも一理あります。しかし、怨恨の線も捨て難いのではな

 いでしょうか」

 楓は、ホワイトボードの


 ① 怨恨


 の記述を一瞥しつつ、言った。

 「斉藤氏に恨みを持つ何者かによる、それこそ、怨恨殺人ということも十分、考え

 られるのではないでしょうか」 

 葵が、捜査会議に参加する前、斉藤宅を訪ね、妻の佳子に質問したのも、そのためであった。

 葵も、ホワイトボードの


① 怨恨

 

② 物盗り等


を楓同様、一瞥しつつも、発言した。

「本日、現場近くの斉藤氏のご自宅で奥様の佳子氏にお会いし、いくらか、お話しをうかがったのですが、ご主人の良雄氏は、自身の鉄工所で雇っている外国人労働者、所謂、技能実習生も含まれていたそうですが、彼等に厳しく当たる多かったようで、その点では恨まれる事もあったようです。外国人労働者達には、日本語が不自由な方も多かったようですし、技能実習生ということであれば、低賃金で社会保険にも加入しないで酷使していたのかもしれません。それらが原因となって、感情的にこじれていたとも考えれれます」

 本山もこの説明に納得する者があったらしい。

 「うむ」

 と答え、ある種の同意の表情を示した。

 本山の表情を見た葵は、持論が通る可能性を感じ、発言を続けた。

 「物盗りの線も勿論、重要ではありますが、やはり、怨恨の線も捨てがたいでしょ

 う。それに、凶器の鉄バールがなぜ、現場付近に落ちていたのかも気になります」

 犯人はなぜ、凶器を現場付近に放置していったのか。物証は警察が犯人に近づくための重要な手がかりである。故に、例えば、何らかの形で、隅田川のような大河川に投棄してしまえば、物証を半永久的に隠滅できたかもしれないはずである。この点では、犯人があわてて逃げ去ったとすれば、


 ② 物盗り等


 の線にも一理あった。


 ① 怨恨


 であれば、証拠を残さないように、加害者はもっと計画的に行動していたのではないか。しかし、怨恨の線であったとしての、何らかの突発的犯行であれば、やはり、犯人はあわてて逃げ去った、と言うことも考えられる。

 「ですので、捜査一課としては、怨恨と物取りの2つの線を並行させるべきではな

 いでしょうか」

 そう言いつつ、葵は思った。

 「捜査一課の会議に公安が来ている、ということは、今回の殺人の件に過激派が連

 動しているのだろうか。過激派のあぶり出しと言う意味では、公安の面子を立てる

 こともできるし、我々の捜査を進展させることによって、過激派取締りを進めんと

 する公安方面からも何らかの有力情報が入るかもしれない」

 警察組織内部には、互いのセクショナリズムのようなものがありつつも、互いの面子が満たされれば、あるいはセクショナリズムも利用しうる存在かもしれない。葵や楓が今回の件で功績を挙げることができれば、或いは、セクショナリズムも

「怪我の功名」

であろう。

 しかし、「セクショナリズム」を「怪我の功名」にするためには、まずは、葵等が捜査の主導権を握る必要があった。

 捜査本部長として、本山が口を開いた。

 「うむ、本件に関しては、ホワイトボードにもあるように、怨恨と物盗りの2つの線がある。いずれも現時点では捨て難い。そこで、両者を山城君の言うように、並行させたい。物盗りの線については、玉井君からの先程の意見にもあったように、公安方面とも協力してやっていく必要もある」

 このように捜査方針を説明すると、

 「物盗りの線については、公安を中心に廻ってもらい、怨恨の線については、山城、塚本、両警部補を中心として動いてもらいたい」

 と述べた。

 「これが、まず、本件での捜査本部長としての私からの業務指示だ」

 捜査を主導する流れは、一定程度、葵等に廻って来た。活躍の場を求めるキャリア・ウーマンにとっての活躍の場が回ってきたのである。同時に、玉井にも活躍の場が与えられた。互いの「セクショナリズム」による面子を立てたと言えようか。

 「以上、解散」

 本山の解散宣言によって、第1回の捜査会議は終了した。


2-3 心中のシミュレーション

 列席者達は、次々とパイプ椅子から立ち、会議室を後にした。

 会議室の出入口を出た葵に楓が話しかけて来た。楓は、 

 「葵」

 と言いそうになるのを注意しつつ、

 「山城警部補、そろそろ退勤時間ね」

 葵は、左手を裏返し、腕時計を見た。時計の針は18時を既に廻っていた。

 「どうしました、塚本警部補」

 「今夜、一杯やらない?」

 「どこで?」

 「都内の飲み屋」

 「いつもの?」

 「うん」

 葵は思った。

 「う~む」

 明日からは又、忙しくなるであろうものの、今日はとりあえず一仕事終えた、といった状態なので、酒でも飲みたい気分ではある。

 しかし、今日の件は、重大な方向に発展する可能性のある事件である。居酒屋で楽しんでいる間に、ついうっかり、捜査について口を滑らせて・・・・・等のことがあったら、それこそ、それ自体が重大事案に発展しかねない。まして、公安が関与しているとなると、我々、捜査一課の刑事としても、別個に公安に尾行されるかもしれない。

 「よしましょう。塚本警部補。まだ捜査は始まったばかり。何事も初めが肝心、

 気を引き締めていきましょう」

 仕事は

 「何事も初めが肝心」

 であり、

 「気を引き締めて」

 いかねばならないものであろう。このことは、社会の中の役割分担であるどんな仕事にも言い得ることかと思われる。

 しかし、たった今のこの台詞には、

 「本件では、最初から公安がマークしているかもしれない。最初から、油断はなら

 ない」

 という意味が暗に含まれていた。些細な失言から、捜査の主導権を公安に奪われてしまうかもしれない。そんなことになれば、今後の警察官としてのキャリアにも大きな悪影響が予想される。楓も警部補の階級を持つ刑事であり、警察組織の一員である。

 「了解」

 と言い、それ以上、このことについては、口にしなかった。

 葵と楓は、桜田門の警視庁本庁を出たところで別れ、葵はそのまま、地下鉄駅へと下りて行った。

 ホームで地下鉄を待っていると、ヘッドライトを照らした地下鉄が入線して来た。地下鉄は、ホームに立っている葵の前を何両か通過して停車し、葵の正面で扉を開いた。降車客と入れ替わりに、葵が乗車すると、地下鉄はすぐに勢い良く発車した。

 電車に乗って、職場に出勤し、又、定時が来れば、同じく電車に乗って帰宅する。多くの人々にとって、文字通り、

 「日常の風景」

 であろう。しかし、その

 「日常の風景」

 の中に、現在、葵が担当している殺人事件のような、ある種の信じられない、まさに、

「日常の風景」からすれば、他人事であるはずの

 「非日常」

 が発生するわけである。斉藤宅を訪問した際の佳子の表情はその具体例であったとも言える。しかし、そうした

 「非日常」

 も、やはり、「日常」の中から発生するのである。「非日常」の原因は「日常」の中に潜んでいると言えた。その

 「原因」

 とは何か?

 やはり、理由の1つとして挙げられそうなのは、

 「貧困」

 であろうか。人は生活に困れば、まして飢えなどに直面すれば、ある種、何でもしてしまうであろう。人間は

 「衣食足りて、礼節知る」

 のである。

 東京の街でもよく、ホームレスを見かける。よく見かける存在である以上、ホームレスは

 「日常の風景」

 であるとも言えた。

 しかし、葵もそうだが、それこそ、

 「日常の風景」

 と言えば、何らかの形で自身の家を持ち、

 「私的な時間、空間」

 をつむぐのも、又、

 「日常の風景」

 であると言えた。その意味で、路上にて、-ダンボール・ハウスをねぐらにして生活しているとはいえ-生活している姿は、ある意味では、

 「日常の風景」

 とは、必ずしも言い得ないものでもあった。つまり、

 「日常の風景」

 は、その者の「社会」における立ち位置によって、異なるものである。「東京」という大都会の「社会」において-或いは、東京のみならず、葵の出身地たる京都においてもそうだが-多様な

 「日常の風景」

 が雑居、又は、同居している姿でもある。

 そうした状況の中で、既存の体制に絶望している層が過激な行動に走るのであろう。今日の捜査会議で、公安刑事たる玉井が捜査一課の会議に参加していたのも、既成体制の側から、そうした層に対処するためであった。

 経済的に苦しいとされる一定程度の外国人の

 「日常の風景」

 に対し、何らかの過激思想が、もし、入っているとすれば、どのような形で浸透しているのだろうか。

 葵がここまで、心中でシミュレーションしていたところで、彼女の乗る地下鉄は下車予定駅に入った。扉が開き、それまで吊革につかまっていた葵は、そのまま下車した。




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