自室に殺される

@imann

自室に殺される

 「・・・後・・・・・・もうちょっと・・・」


自室に置かれているパソコンに、目が充血しながらもにらめっこする男が一人。男がにらめっこしている土俵になっている机の上には、山積みになっている書類、飲みかけのブラックコーヒーのペットボトル、無造作に置かれたスマートフォンと、この男の唯一といってもいいリラックスできる空間が、会社での彼のデスク周りを彷彿とさせる残滓によって、侵食されていたのだ。


そのにらめっこは仕事から帰ってきて、約二時間ほど続いており、そのうえ、今日のこの男は早朝出勤という不運にも見回されている。会社自体は、ノー残業デーとい言葉を高らかに、謳い文句のように会社全体に浸透させているが、実際に蓋を開けてみればこうだ。タイムカードを早めに切らせ、残った仕事は、自宅に帰ってから遂行するようにと。いわゆる、ブラック企業という所に働いている男。今日も今日とて、眠い目を擦りながら、パソコンに面を合わせている。


   「ああ!!くそ!!!後、もうちょっとっていうのに」


秒針よりも速い速度で動く心拍。いつもなら、数分で終わるという最後の締めくくりの場面になって、数十分もの間悩んでいる。あぁ、今すぐにでもベットに身を預けたい。目を休ませてやりたいと、頭の中で描いている最高と今の現状との乖離に、思わず、机下にあるごみ箱を蹴ってしまった。中身に入っていた少量のゴミが机下で散乱し、自室には、カランカランと、ごみ箱が横になって円を描く際に出している音が響き渡る。いつもの男なら、物に当たるなどといった行為はしない。何故なら、この空間は男にとっての最大の癒しであり、身を休められる場所なのだから。したとしても、男なら直ぐに謝って、散乱したゴミを丁寧にゴミ箱に戻し、元あった位置に戻しておくだろう。それだけ、この空間における残業というものは、予想以上に彼の心を蝕んでいたのだ。






   「お・・・わった・・・」


プシューーという効果音と共に男は全体重を椅子の長い背もたれにかける。短針と長針が再び重なるその前に、今日の全ての業務を終わらせたのだった。男は喜びのあまり笑みがこぼれ、誰かに見られていないか急に心配になり、思わず顔全体を右手で覆い隠す。


   「こりゃ、今日一日でだいぶ頭の方がやられちゃったな」


覆い隠していた右手の指と指の間の隙間から見える照明の光を、最大限目に入れながら苦笑する。もたれかかっていた姿勢を戻し、先程、散乱させてしまったゴミ達をゴミ箱に詰め込むといった作業は、今の男の体力では、到底かないそうにない。男はそのまま、椅子から立ち、流れるようにして、ベットに着地していた。


   「はぁ~....やっと寝れる~」


その言葉を最後の動力源だと、すぐ横にある電気のスイッチに手を伸ばし、部屋の灯りを消す。後は、瞼を閉じて、植物のように静かに身を休めるだけ。そう思っていたのだが...


   「ね・・・ねれない」


灯りが潰えた瞬間に、眠気覚ましに飲みまくったブラックコーヒーの効力が発揮し始めた。何度も眠るのに効果的な姿勢を秒単位でとったり、心地よく眠れるように、夏だというのに、ふわふわのぬいぐるみに抱き着いていたりしたが、一向に効果は得られない。男は「眠るのに意識しているからダメなんだ。もっと、こう無意識に」を念頭に置いて、暗闇の中、無意識に自室を一望し始めた。


   「うぅー・・・何にも見えないよ~」


一望と言っても、暗闇の中なので物がまともに見えるはずもなく、頭にあるイメージを元に、部屋全体を構築する。真正面の上に設置されているエアコンからは、ひっきりなしに冷風が送られ、熱のこもった体を冷やしてくれる。しかし、ずっと冷風に充てられていては風邪をひくもので、それを防ぐためにドレンパンが、上へ下へと動き、男にスポットライトを当てるのではなく、部屋全体へと冷風を行き渡らせていた。それを補助する形で扇風機が、首を横に振って、部屋全体の空気を循環させている。隅っこに置かれた観葉植物は、光合成の役目を無事に終えており、後は呼吸に集中するだけと、暗闇の中佇んでいる。ベットの真後ろに置かれた縦一メートルほどの額縁はゆらゆらと、風にさらされながら揺れている。まるで...



     ―――――部屋全体が躍動しているようだ―――――




それを感じた瞬間に、背筋に悪寒が走った。さっきまで見えていたものが、忽然おぞましい物へと変化したような。エアコンのドレンパンは生命体の口のように動き、この部屋全体に命を行き渡らせ、それを補助するように、扇風機が壊れたおもちゃのように首を振り続け、命が行き渡っている状況に拍車をかけていた。隅っこに置かれた観葉植物は「はぁーーーはぁーーー」と必死になって、一人でに呼吸し、ベットの真後ろに置かれた縦一メートルほどの額縁はぐらぐらと、後もう少しすればこちらに降ってきそうな勢いだ。



    「...ぁ......はぁーー.....」


呼吸が乱れる。リラックスできる空間からは程遠いこの空間に吐き気を覚える。机の上に置かれているスマートフォンがチカチカと、誰かに合図を送るようにひかり、業務で使用していたパソコンのファンがいきなり回転し始めたような音がする。そんな多動な自室の中、男だけが、金縛りを受けたように硬直していた。


    「――――――――――ぅ...」


何も見たくないし、何も聞きたくない。もう、部屋全体の景観は男の知っているものとは程遠いものになってしまっていた。無意識で行っていた行動がとんでもない禁忌だったのかと、男はひどく後悔した。いつしか、左手が顔全体を覆っており、それはこの部屋との隔絶した空間を作り出していた。こうすれば、物を無意識に見ることも、この空間の空気さえ、吸わなくてすむのだ。


    「―――――嘘」


そう安堵していたところに悪魔はやって来た。今横たわっているベットにも命が吹き込まれ、キシキシと音を立て始めた。間違いない、この部屋の物全てが、今は生きていると、その音を聞いた瞬間に、無意識でいた頭のスイッチが切り替わり、意識を持つようになっていた。何故、部屋がこんな風になってしまったのか。何故、動くもの全部にこんなにも恐怖感を煽られるのだろうと、五感を全てシャットダウンし、この部屋全体のイメージを意識だけで紐解く。



    「あ」



その時、男は思った。あぁ、今日はこの部屋に対しての愛が足りなかったのだなと...そう思った瞬間に、軋んでいたベットはいつしか二つ折りになっていた。

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