第50話 長い夜

「朝比奈さん?」


「タヌキだった。返り討ちにしたけど」


「返り討ち?」


 そこには気絶したタヌキが横たわっていた。

 そして朝比奈さんの手にはスタンガンが握られていた。


「朝比奈さん。それって……」


「護身用。私、よく男に絡まれるからさ。ちなみに今まで二回くらい使ったよ」


「はは。恐ろしいや」


「さて。この近くにはもう動物がいないようだし、奥で休もうか」


「う、うん。そうだね」


 そのスタンガンを将来、俺に向けないことだけを祈った。

 狭い空間に二人だけ。何も起こらないわけがない。

 だが、逃げるにしても俺たちは現状、遭難している立場だ。

 下手に動き回ることはできない。


「起こってしまったものは仕方がない。大人しく助けが来るのを待とう」


「素直だね。高嶺くんのことだからずっと嘆いているのかと思った」


「嘆いて何とかなるのならずっと嘆くさ。でも、慌てても体力の無駄だ」


「分かっているじゃない。でも、私は少し嬉しいんだ」


「嬉しい?」


「理由はどうであれ、こうして高嶺くんと一緒に居ることは何よりも嬉しい」


「遭難していなかったら尚更良かったんだけどな」


「遭難した男女がこうして助けを待つ状況って愛が芽生えると思わない? お互いを励まし合ってその先にある愛を確かめ合うの」


「そんな余裕、俺にはないよ。今は一刻もこの状況を抜け出すことしか頭にない」


「今の状況を楽しむことは大事だよ」


「そう言われても難しいよ。お腹も減ったし」


「あ、そっか。じゃ何か食べる?」


「あるの?」


「確かリュックの中に缶詰が入っていたはず」


 朝比奈さんはリュックから二つの鯖缶を取り出す。


「おぉ! ナイス。朝比奈さん」


「好きになった?」


「いや、別に」


「じゃ、あげない」


「なっ! この状況でくれないとかある?」


「別にあげないとは言っていない。私に正当な方法で渡させてみなさい」


「正当な方法?」


「高嶺くんの私に対する思いを言って。話を逸らさず真剣に」


「思いって言われても」


「何もないわけないでしょ。今日までの私との付き合いで思うことはいくつかあるはずよ」


「それは確かにそうだけど」


 俺は朝比奈さんを実際にどう思っている?

 好きなのか、嫌いなのか。よく分かっていないところがあった。

 だが、それを含めて俺は自分の気持ちを言葉で綴ってみる。


「朝比奈さんと喋る前の印象はクラスの人気者で一番可愛いって言うのが正直なところだった。でも、十六夜を通じて喋るようになって友だちになってから普通の子だなって思った。アイドルのような遠い存在が近くで見れば特別な人ではなく普通の人。そんなイメージに変わった。でも、それが嬉しい。手の届かない存在じゃなく近くで笑い合える存在が何より俺を変えてくれた。それは今までの俺では考えられないくらい新鮮で関わりを持てて良かった。でも、好きか嫌いかで言えばまだ分からない。一つだけ言えることは十六夜が居なかったら間違いなく好きになっていたかもしれない。けど、十六夜が居なければそもそも朝比奈さんと仲良くなる機会はない。結局は好きにまでなれない関係だったかもしれない。それが俺と朝比奈さんの正しい関係性なのかもしれない」


 下を向いてボソボソ喋っていた俺は不意に顔を上げて朝比奈さんの顔を見た時である。

 朝比奈さんの顔は悲しみの表情で大粒の涙が溢れていた。

 気が緩んだのか、持っていた鯖缶を手から離し、地面に転がっていた。


「…………朝比奈さん?」


 初めて見る朝比奈さんの泣き顔に俺はどうすればいいか分からなかった。


「あ、ごめん。どうして私、泣いているんだろう。気にしないで。何でもないから」


「でも……」


「はい。正直な君にこれを授けよう」


 朝比奈さんは落とした鯖缶を拾い上げて俺に渡した。


「……ありがとう」


「私、フラれることって初めてかもしれない。これだけ攻めても落ちなかった男は高嶺くんを置いて居ないよ」


「ごめん」


「攻めている訳じゃないよ。こんな私でもフラれることってあるんだなって思っただけ」


「じゃ。このゲームは俺の勝ちだな」


「いや。まだ期間は残っているよ。たとえ気持ちが動かないとしても悪足掻きはさせてよ」


「別に構わないけど」


「じゃ、早速失礼するよ」


「へ?」


 朝比奈さんは開けた鯖を自分の口に運び、そのまま俺に口移しをした。

 唐突のことに俺は力が抜けてしまい、後ろに倒れ込んだ。

 これは……恋人同士でも躊躇する高等技術では?

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