第33話 友だちと恋人④
「高嶺くん。私を抱いて」
唐突の展開に俺は踏み止まる。
これは現実か。夜桜さんからそんなことを言うとは思えないが、間違いなく目の前にいるのは夜桜さん本人で間違い無かった。
「夜桜さん? 何を言って……」
「あ、今日走ったから少し汗臭いかもだけどいいよね?」
「いや、そうじゃなくて何を言っているか分かっているの?」
夜桜さんは友だちの顔から女の顔へ変わっていく。
嘘や冗談ではなくマジなやつだ。
「一線を越えるってことでしょ。分かっているよ。そんなこと。私から言わせるつもり?」
「でも、俺たちは友だち同士じゃ……」
「これが私と高嶺くんがずっと仲良しでいる方法だよ。もしこの一線を超えたら私と高嶺くんははれてカップルだよ。どう? 良い提案だと思わない?」
「いや、でも……そんな簡単にカップルになってもお互いの気持ちがあるだろうし」
「私はいいよ。それに私の賭け事に対してのお願いを高嶺くんは断れない。これはもう言い逃れができない決定事項なんだよ」
夜桜さんは抵抗する様子を見せず、その身を俺に委ねる。
いつでもどうぞといった感じだ。
賭け事のお願いに抱くと言うのはつまり俺に拒否権はないことを意味していた。
夜桜さんをこのまま抱いてカップルになる以外に選択肢はない。
友だちになってから距離が近いはずだったが、こうして改めて見ると夜桜さんはスタイルがよくて発情してしまうような、いやらしさを感じる。
友だちから恋人へ?
別におかしな話ではない。俺だってそれはどこかで想像していたこと。
考えないようにしていること無理だったんだ。
「そうだ。やる前に言っておくけど、私、初めてなんだよね。だから優しくしてくれるかな?」
「え? そうなの?」
「だって今まで彼氏なんて出来たことないし。それとも彼氏がいなくても遊んでいるように見えた?」
「いや、そういう意味で言った訳じゃなくて」
「まぁ、そういう訳だから優しくしてよ」
「で、でも俺も初めてだし、どうしていいか分からない訳で」
「ふーん。栗見さんと遊びでそういうことしていないの?」
「あ、あいつはただの幼馴染だし」
「へーそこは頑なにブレないんだね。まぁ、お互い初めて同士だし、ゆっくり知っていけたらいいよね」
この一歩で俺と夜桜さんの友だち関係が終わるとともに深い関係に変わることを意味していた。
「来て。高嶺くん」
「よ、夜桜さん」
手と手が重なった。
夜桜さんは今、何を思っているだろうか。
不安か。嬉しいか。それとも怖いのか。どちらにしても俺のことしか考えられないだろう。俺がそうなのだから。
夜桜さんは顔を真っ赤にして俺を見つめていた。
夜桜さんってこんなに可愛いかったけ。いや、元から可愛い。
それ以上に可愛くなっているのだ。
手を重ねた次に唇を重ねようとした前屈みになった直後である。
ガチャッと玄関が開く音が聞こえた。
「やばい。母さんが帰ってきた」
「私、帰った方がいい?」
時刻は十八時を回っていた。
明日も学校があるこのタイミングは都合が悪いと言える。
「ごめん」
「何で高峰くんが謝るのよ。またいつでも出来るし。ね?」
「あ、あぁ。近くまで送るよ」
「いや、玄関まででいいよ」
「そっか」
夜桜さんが帰る支度をする姿が寂しく感じた。
帰らないでくれと言いたい気持ちをこらえて玄関まで送る。
「今日はありがとう。また遊ぼうね」
「う、うん」
「そんな顔しないでよ。また続きしよう」
「続きって……」
「ちなみにまだ一線を超えていないから友だちだけど、越える前提で接していいよね?」
夜桜さんは念入りとも言える確認を施した。
「も、もちろん」
「嬉しい。じゃ、これは前借りということでとっておいて」
「え?」
夜桜さんと俺の唇が一つに重なった。
不意打ちとも取れる行動に一瞬、何が起こったのか理解に数秒を要した。
「これが今の私の気持ち。受け取ってくれた?」
「うん。しっかり受け取ったよ」
「ふふ。良かった。じゃ、また明日。高嶺くん」
良い笑顔を見せながら夜桜さんが帰っていく。
そう、まだ正式ではないが、夜桜さんは俺の彼女として候補に上がった。
キスしてしまった。たった今、夜桜さんと。それが好き以外の何だというのだろうか。
好き以外の何ものでない。
さて、部屋に戻ってゆっくりと寛ごうとしたその直後である。
「どういうつもりですか!」
家の前の道路から怒涛が飛び込んだ。
何事だ? 喧嘩? トラブル?
それに今の声はどこかで聞き覚えがあった。
二階の窓から丁度、道路が見えるので俺はその声の正体を確認しようと覗いた。
夜桜さんが棒立ちになっているのが見えた。
その正面に誰かいる? 誰かと喋っているのか。
それにしても今の声ってもしかして。
「十六夜ちゃん。今、どこから出てきたの?」
「見ての通り、高嶺くんの家からだけど」
夜桜さんと言い争いになっていたのは葵だった。
一番見られてはまずい場面に出くわしていたのだ。
考えても見れば今の時間は葵が丁度、部活動から帰宅する時間帯だ。
鉢合わせてもおかしくない。
「夜桜さんがピンチだ」
俺は階段を駆け下りて外に向かった。
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