第33話 【実在する呪いの儀式】マクンバ(A Macumba)

 マクンバとはブラジルの黒魔術である。筆者は、ブラジル滞在ひと月目に偶然それに出会った。思い返すと本当に不思議な出来事で、それは何でもないある日に訪れた。


 ある日のこと、サンパウロ郊外こうがいのオフィスで働いていた筆者と、ブラジル人の同僚どうりょう数名でランチに行くことになった。ブラジル人たちは、楽しいランチタイムにウキウキしながら、ポルトガル語で何か楽しそうに語らっていた。彼らは男女数名の若いスタッフだったので、まるで学生がランチタイムを楽しむかのように笑いながら、オフィスからレストランまでの小さな住宅街の道を歩いていた。筆者は、そんな様子を見て、ほのぼのとしていた……。


 やがて、普段はタバコの吸殻すいがらとか、野良犬の落し物などが散乱している汚い裏通りに差し掛かった。ふと見ると、女性ものの黒いドレスが落ちていた。どこからか風に飛ばされてきた洗濯物かと思われたが、近づくと、どうも様子が違う。というのも、感じだったのだ。


 その黒いドレスの周りには、貝殻が円を描くように敷いてあり、ドレスの首の部分には、黒い透明な宝石ともガラス玉ともつかないような首飾りがあしらってあった。なんだろうと思ったが、ブラジル人たちは、それに気が付かずにキャッキャッとはしゃいでいる。さすがに不審に思ったので、筆者はドレスを指さし、彼らに尋ねた。


「おい、あのドレスはなんだい? まるで特別な意味があるみたいに置いてあるではないか?」


 するとブラジル人たちは、はたと足を止め、そのドレスを見るやいなや……。


「ギャーーー!!!」


 そう騒ぎ出して、蜘蛛くもの子を散らすかのごとく四方八方に走り出した。


 独り取り残された筆者は彼らを追いかけ、1人を捕まえてたずねた。


「あれは何だ? なぜみんな逃げるのか??」


「アワワ……、あれはマクンバです!!」


 捕まえたブラジル人がガタガタ震えながら答える。


「マクンバ……? それは何だ? 説明してくれ!」


 ただならぬ様子なので、何事か問いただした。


「あああ、つまり、あれは magia negra です!」


「マジーア……ネーグラ……?」


 一体何のことかと思っていると、そこへ小学校まで日本で暮らした日系ブラジル人の女の子が言葉を付け足した。


「つまり、日本で、木に人形を付けるのと同じです!!」


 なんということだろう、マジーアは魔法、ネーグラは黒……。黒い魔法、黒魔術か!


 そして木に人形を付けるのと同じだなんて! つまりは呪いの藁人形ではないか!


 色めき立つ筆者、震えるブラジル人……。


 筆者は、またとない機会と思い喜び、この決定的瞬間を記録しようとカメラを探したが、あいにく持ちあわせていなかった。そこで、ブラジル人でカメラ付き携帯電話を持っていた男性に写真を撮るように頼んだ。


「そんなことをしたら、呪われる……」


 彼は震えていたのだが、こちらも決定的瞬間を逃すわけにはいかないので、半ば強引に写真を撮らせた。


「これでいいですか?」


 1枚撮ったところで、彼が聞く。


「いいや、もっとだ」


 筆者は彼の携帯電話を取り上げ、幾枚も写真を撮った。実によい記録がとれたと満足し、そして昼食を済ませオフィスに戻った。


「さあ、さっそく俺のメールアドレスに先ほどの写真を送っておくれよ!」


 満足げな筆者であったが、当のブラジル人は携帯電話をモタモタといじりながら青ざめている。そして、動揺しながらつぶやいた。


「消えた……」


「え? 写真を消してしまったのか?」


 筆者は、どういうことかと問い詰めた。


「アワワ……、全部消えました……」


 ブラジル人が狼狽しているので、携帯電話を見せてもらうと、写真だけでなく、着信履歴も送信履歴も電話帳も全部消えていた。携帯電話の持ち主が、その後電話メーカーに問い合わせたところ、その事象は「工場出荷時にリセットされたもの」とのことだった。


 なんということだろう。せっかくの写真が消えてしまうなんて!


 次の日、諦めきれない筆者は、カメラを持参して同じ場所に行ったのだが、既にドレスは消えていた。


 なぜあのとき、カメラ付き携帯電話に保存された写真が消えたのか。それが彼の操作ミスだったのか、それとも……。


 これは不思議な不思議な実話である。

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