第8話 龍の鱗
太古の昔に生きていたという恐竜はものすごく強かったと思う。身体は大きく、硬質に発達した肉体を鎧や武器にして戦っていたらしいのだ。生身の人間は敵わないし、現代の兵器でも威力が低いものでは倒すことは難しいに違いない。
それでも、想像ができる常識の範囲なんだ。今までの魔獣も、言ってしまえば見た目通りの強さで、常識はギリギリ逸脱していないように感じた。
だけどこいつは違う。常識外で非常識。生物とは思えない暴力と能力。本来ならこんな形に進化するのはありえないという考えが、ここが外の世界とは異なる環境であることを再認識させる。こいつの祖先がどんな環境下でどうしてこの形になったのか非常に興味がそそられるけど、そういうのは標本で十分だ。生きている状態では見たくもない。見た瞬間に自分の生命の補償はされないから。どんな頑丈なケージに入れていても、どんなに弱らせていても、その悉くを振り払い、薙ぎ払う力を持っているから、容易に殺される距離にいたくない。
常識外の獣、最上位危険指定魔獣ガレプトはハエでも払うかのように、突進するミレイを弾き返していた。ミミズの魔獣ミフレスよりも反応速度は上で、力も強い。龍のような身体を覆う触手が硬い鱗のような役割をしているのか、動く度に床が削れている。ミレイも同じように削れていっている。
立ち向かうほどに傷が増えていく。
宙に舞う血の雫が増えていく。
ミレイの肉体だけが擦り減っていく。
動揺してはいけない。頭の回転が鈍くなって時間がかかってしまうから。そうしたらミレイを助けることもできなくなる。
平静を装っても心臓は正直だ。キーボードを叩く早さよりも、全身を叩く鼓動のリズムのほうが早い。
僕は血を流していないのに、全身の血液が足りなくなっていくような感覚がする。指先が冷たくなって血が通っていないのを感じる。
この世の生き物とは思えない、冒涜的とすらいえる相貌のガレプトが怖い。ミレイが傷ついていくのが怖い。生命を失う根源的な恐怖と、親しい人を失う恐怖が僕の身体を蝕んでいる。
敵に役立たずがいるのを察したのか、ガレプトが特大のあくびをするように、大きく口を開けた。徐々に喉の奥から光が込み上げてきている。
いったいなにをするつもりだ? いや、まさか。本当にそんなことありなのか? そんなのフィクションだろ?
非常に嫌な考えが浮かんできた。
口はこっちに向いていて遮るものもないから、込み上げている光がよく見える。
「タカミ!」
ミレイの悲痛な叫びが届く。
光はすぐにいっぱいになり、ガレプトの大口からこぼれた。それは極大の光線となって、石床を削りながら突き進んでいく。行き先はもちろん、僕だ。明確に照準を定めて狙ってきた。
幸いなことに、ミレイは射線から外れているみたいだ。こんなのがそっちにいかなくてよかった。
後の行動は完全に反射だ。逃げなければ、なんて思考はなかった。それでも、なんとか倒れるようにして光線から逃れることができた。なにか考えがあってそうしたわけではないけど、なんとか命だけは助かった。だけど、そう感じた瞬間に衝撃が走った。光線は避けはずなのに、なにが起こったのかわけがわからなかった。
身体ごと、僕は宙を舞う。雑な宙返りをして、地面と熱い抱擁を交わした。
地面とぶつかって全身が痛いが、身体に感じた違和感でようやく気づいた。左足が少しだけ光に当たったんだ。ほんの少し、掠めただけなのに勢いよく弾かれた。
焼き切れたり蒸発したりはしていなかった。あれはレーザーやビームといった光学兵器みたいなものじゃない。激流のようだった。大雨の時の激しい川の流れをもっと強くしたようなものだった。焼かれるようなものではなくてよかった。
光が当たったところが青くなっている。骨折していそうだ。よし、これならまだマシだろう。少なくとも原型はとどめているし、今はアドレナリンが出ているのか痛みもあまり感じない。
気づけば、いつの間にか息が切れていた。九死に一生を得たせいか、少しだけ頭が回るようになった。
まだ、ラッキーだ。次は避けられないけど、痛くはない今のうちにコードを完成させよう。元々、地下水道に入るころにはあと少しの段階だったんだ。すぐにできる。
立つこともままならないから、倒れた姿勢でキーボードでコードを入力する。
山賊との戦いを反省して、考えていたんだ。使いやすくてパワーのある、システムを用いた技を。環境に左右されるようなものではよくない。安定した威力が出なければ使い勝手が悪い。一々座標を設定したり、標的をロックオンしなければいけないのもダメだ。発動条件はできるだけ容易に、けれどうっかり暴発しないくらいには複雑に。
Enterキーを押して、完成間近だったコードが完成した。
今回のは指向性を持った衝撃波だ。拡散することなく、一方向に真っ直ぐに直進していく銃弾だ。空気の弾なら水中や真空では使いものにならないけど、これならどこでも使用可能だ。遥か彼方の宇宙で起きた爆発の衝撃波が、地球に伝わることもある。海に棲むテッポウエビという小さなエビは、衝撃波を放って狩りをする。ただの力の波動は環境を選ばない。
「構え」
まずは安全装置を外す合言葉。これで撃鉄を起こす。この言葉にしたのに意味はない。いい言葉が思いつかなかった。緊急事態だ、なんだっていい。
右手を前に出し、親指は上にして人差し指をガレプトに向ける。他の指は握り込む。指鉄砲の形だ。
ミレイと目が合う。これで何が言いたいのかは伝わったようだ。お互いに頷き合って、ミレイはガレプトとの対角線上から離れた。攻撃が当たってしまう心配もなくなった。
そして、引き金を引く言葉を口に出す。
「放て」
衝撃波の弾丸が指先から射出された。
これはただの圧力だから、目に見えない。あんな怪物でもそう簡単に避けられるものじゃないはずだ。
おそらく真っ直ぐ進んだ衝撃波は、ガレプトを貫く。そのはずだった。
信じられないことだが、見えているかのように回避した。長い身体を活かして、弾丸を中心に渦を巻いて、空中で横向きにとぐろを巻くようにして避けやがったのだ。
(見えてたとしても、そんな避け方あり!?)
弾丸はガレプトを通り過ぎて、向こう側の壁を粉砕していた。我ながら強力な攻撃だったみたいだ。だからこそ惜しい。当たれば有効打になりうる、十分な威力だったのに。
回避に成功したガレプトは、瞬時にこっちに跳んできた。攻撃が来た方向、つまり僕のほうに、とぐろを巻いた状態で、バネのように驚異的な瞬発力で襲いかかってきた。
「っ!」
咄嗟に体が動いたけど、足の痛みで怯んでしまった。脳内物質のアドレナリンの効力がもう弱まってきたみたいだ。痛みを感じ始めてきた。
ミレイもこっちに走ってくるけど、間に合いそうも無い。
絶体絶命というやつだ。
目前まできた死を脳が認識したのか、感覚だけが加速して全てがゆっくりに感じる。迫ってくる剥き出しの牙の鋭さもよくわかる。
食い殺すつもりだろうか。死ぬのならば、できれば苦しまず即死がいいけど、あの牙が身体を貫いたら痛そうだ。
ついさっき光線で死にかけたばかりなのに。なかなか命の危機からは抜け出すことができない。
だけど、やっぱりラッキーだ。ちゃんとくぐり抜ける穴はある。
ガレプトは俊敏だ。アナコンダよりも大きいのに、ミレイと同じかそれ以上の身軽さで、飛ぶのも速い。
それでも、この距離なら二言くらいは喋れる。このスローの世界でなら考えた上で喋れる。この窮地を脱する言葉を。
「過装填」
一言目。
リロードの合言葉。ただし、過剰装填だ。前の弾丸よりも威力を高めることができる。二度目以降は、手の形を崩すまで安全装置は外れたままだ。装填と同時に撃鉄も起こされる。
「放て」
二言目。
二度目のトリガーが引かれた。さっきよりも、大きな衝撃波が放たれる。一回目のが拳銃だとしたら、過装填での二回目は大砲だ。威力も当たり判定も跳ね上がる。
目の前まで近づいていたガレプトに衝撃波の砲弾が直撃する。大きく口を開けて襲ってきていたから、文字通り攻撃を食らうことになった。
ガレプトは一瞬にして僕の眼前から姿を消した。バットで打ち返された野球ボールみたいに、あっという間に吹っ飛んでいった。もう視界の中にはいない。あの恐怖の化身のような化け物を返り討ちにできた。
「はぁ、はぁ」
ようやく、見えてる景色の動きが通常の早さになってきた。スローの世界から戻ってこられたみたいだ。
こんな短い間に、二回も九死に一生得たのは僕ぐらいだろう。
安心したら力が抜けた。
「っ! 痛った〜」
麻痺していた足の痛覚がもう完全に解けてきた。ほんとに痛い。ちょっともう我慢できないくらい痛い。転げまわりたいくらいだ。
それにしても、ギリギリだった。かなりヤバかった。過剰装填は始めから考えていたわけじゃなかった。とっさの思いつきで組み込んだものだ。肝心のベースはできていて、付け加えるくらいの余裕はあったからできた。スローの世界に入れたのもよかった。あれがなかったら思考が追いつかず、なにもできずにやられていた。
「無事か!?」
「なんとか命はね。そっちこそ大丈夫? ミレイのほうがボロボロで血だらけじゃないか」
ミレイが心配して駆け寄ってきたけど、僕よりも見た目が酷いことになっている。頭から返り血を被ったみたいに、上から下までずぶ濡れになっていた。
「ほんとに大丈夫?」
「見た目は派手だが大したことない」
どうしたって大したことあるようにしか見えない。その出血量はよろしくないんじゃなかろうか。
「せめて止血するからこっち来て。シャリルさんから包帯とかもらってるから」
「大丈夫だって。血が乾けば固まる」
渋るミレイをなんとか無理矢理に治療することに成功した。持ってきている道具だと応急処置くらいしかできないけど、やらないよりはいい。本格的な医療道具があっても僕の知識では使いこなせないから、どっちにしても簡単な処置しか施せない。今はこれが限界だ。
改めて傷を見たけど、かなり痛々しかった。全身が切れたり削られていた。幸いにも深いものではなかったけど、帰ったらシャリルさんにしっかり診てもらわないと。
結果、ミレイは全身を包帯で覆われた。ハロウィンのミイラのコスプレみたいだ。僕の足の怪我は、光線が当たったところは青あざになっていて、ちょっとどうすればいいかわからないから放置することにした。
「あ、あんなところに」
ミジンコ魔獣を吸い取るのに使っていた、あのいい感じの木の枝が壁際に転がっていた。いつの間にあんなところに。あれを杖に使えばなんとか歩けるかも。
ミレイに取ってきてもらってなんとか立ち上がることができた。
早くペンダントとペットを探して帰ろう。
「そういえば、レーダーの反応ってどうなってる?」
「ん? アタシは持ってきてないぞ。タカミが持ってるんじゃないのか」
「え?」
「え……」
「……」
自分の服のあちこちを探すミレイだが、出てくるのは糸屑と紙の切れ端だけ。
僕もポケットの中を探してみるが、入れたことがない物が入っているはずもない。もはや懐かしく感じる、コンビニのレシートが乾いた音を立てるのみ。
そんな、まさか。持ってきてない? 苦労してここまで来たけど、もしかして途中の階層にペンダントがあったかもしれないのか。せっかくここまで来たのに。
「その辺に転がってたりしねーか?」
「だったらいいけど、探し回るのはちょっと辛い」
歩くための足は負傷しているし、ミレイもどう考えたって軽い怪我じゃない。気丈に振る舞ってるように見えるけど、相当痛いはずだ。
「ワープゲートを開けばすぐに来れるからいったん帰ろう。お互い治療もしたほうがいいよ」
「あぁ、そんなのあったな。先に言えよ」
(いい加減だなぁ)
ここはもう水に浸かってないし、魔獣もたくさん片付けた。ゲートを開くのに不都合はないだろう。さっきまでは完全に浸水していたし、強力な魔獣もいて危険だったから開けられなかったけど、ひとまずは大丈夫なはずだ。
「じゃ、開けるよ」
空中にコントローラーを展開した。
この時僕らは帰る、ということで完全に油断していた。確認なんてしていなかった。近寄りたくなかったという気持ちがあった。あれで死んだと安心したかった。ミレイが見に行かなかったのも、内心そういう気持ちがあったからなのかもしれない。傷を負っていて万全の状態ではないから、無意識に近寄らなかったのかもしれない。やっぱり、怪我はダメだ。身体能力が下がるし、思考も鈍る
気づいたときには、全身に痛くて動けなくなっていた。痛みだけじゃない。体が何かに埋もれていて拘束されていた。何が起こっているのかわからない。疑問符ばかりが頭を埋め尽くして、一向に状況の整理ができない。
(いったいなにが?)
くらくらする頭を押さえて、痛いのを我慢して身を起こすと、僕らがさっきまでいたところに倒したと思っていたガレプトがいた。
(は? なんでだよ。あっちで倒れてたんじゃないのかよ)
向こう側の壁では、崩れた石のブロックに埋まってミレイが倒れている。動きはない。やっぱり限界ギリギリだったんだ。
(これ以上は、無理だよ)
ガレプトの咆哮が地下水道全体を震わせる。
(あんなの、どうすればいいんだ)
人間では敵わない、災害のような存在。あいつは、きっとそういうものなんだ。目をつけられれば最後。出来ることは、祈ることだけ。降りかかる自然の暴力には誰も太刀打ちできないのだから。
僕は、絶望が底に見える断崖の上で、何かに祈った。
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