第7話 地下水道の魔獣

 魔術ペンで術式を描くのと指先で描くのとでは、出来栄えが全然違う。魔術ペンのほうが描きやすいし綺麗に仕上がる。道具というのは実に便利なものだ。


「おらっ」


 武器というのは有用な道具だ。自力では敵わないような外敵に対しても、有効な攻撃を与えることができる。素手では危ないし、武器があれば牽制になって相手のほうからは近づきづらい状況にすることもできる。身を守るための道具というのは、魔獣のいるこの世界では必須なのではないかと思う。


「うっとおしいな」


 ミレイは武器を使わないのだろうか。鳥モドキを殴り飛ばした時も拳だったし、今も蹴ったりはたいたりして小さな魔獣を蹴散らしている。小さいといっても、その大きさは僕の頭よりも大きい。あくまでも魔獣の中では、ということらしい。


 ミジンコのような魔獣はミレイによって宙を舞う。壁に叩きつけられてそのまま動かなくなったり、通路の奥のほうに飛んでいって消えてしまったりしている。


 地下水道は当然明かりがなく、些細な光もない暗闇だった。目の前に壁があるのか無いのかさえ分からない。


 ライトやランプがなければ活動できない暗さだったが、ミレイが明かりを灯してくれた。手のひらから光の球を出したことで、光が地下水道に生まれた。


 たしか、日常で必須の魔法くらいは使えると言っていた。ゆらめく火の光では、夜を過ごすのに心もとない。この魔法の光はこの世界で、夜を克服するために必要なものなのだろう。発火や水の生成と同じく、修めていなくてはならない魔法のようだ。


 ミジンコ魔獣が現れたのは、光が生まれてすぐのことだった。床や壁一面にびっしりと張り付いた状態で、僕らを待ち構えていた。おそらく水の中にいたところ、急に水が引いたからそれに抗おうとしてこうなったのだろう。そこにいきなりやってきた外敵に対して危機感を覚えたミジンコたちは、総出で襲いかかってきたのだ。


 ミジンコ魔獣の群れはとても大きく、その数は百はありそうなほどだったが、魔獣でも所詮はミジンコ。どれだけいようがミレイの敵ではなかった。まるで蚊を手で払うような感覚で、次々と跳んでくるミジンコを倒していく。


 途中から面倒になったのか、ミジンコを殴り飛ばして他の個体に当ててさらにそれが別のに当たるようにと、ビリヤードやボウリングのように倒していくようになった。その手際は鮮やかで、ミジンコ倒しという競技があれば間違いなく優勝できるような腕だ。次々と玉突きで無力化されていく。


「なにやってんだ?」


「え?」


 その後ろで僕は清掃をしていた。散らばったミジンコたちがこのままなのは気持ち悪い。帰りにここを通ることを考えるとちょっと気分が良くない。ということで、別空間に吸い込むことにした。コントローラーにあらかじめ付属している収納空間に、掃除機のように強力な吸引力を持たせて放り込んでいた。杖になりそうないい感じの木の枝の先に穴を開けることで、とても楽に掃除ができている。吸い込んだミジンコは検体にする予定だ。魔獣のサンプルはまだなかったからちょうどいい。


 ミレイは怪しいものを見る目つきだったけど、すぐになにも言わずにミジンコ倒しを再開した。


 ミジンコの姿がなくなったところで、下へと続く階段を見つけた。そこはまだ水抜きが終わっていないから浸水している。この地下水道に入っている水を一気に全部抜くことはできるけど、それだと探しているペットのマスタングも一緒に流されてしまう危険があるし、勢いのある水流に強力な魔獣も放水先の川に流されると生態系に影響が出てしまう恐れがある。だから小さいワープゲートで少しずつ抜いていくしかない。


 階下へ降りると、またミジンコがいた。さっきよりも少ないけど、だからってこんな大量なのは中々見慣れないだろう。


 同じように処理する。その下の階も同じことを繰り返した。さらに何度か同じ作業をしていくと、段々とミジンコの数も減っていき、五回も下りるころには一匹も見なくなった。


 地図で見た時よりも深く感じる。これでもまだまだ下があるのだから、奈落の底にまで通じているんじゃないかと錯覚する。どうしてこんなに深くする必要があったのか。ミレイの聞き込みでは、分からなかった。一時的な貯水槽だとか鉱石を掘っていたとかの噂はあったけど、本当のところは誰も知らなかった。世界を滅ぼすような魔獣を封印しているなんて都市伝説もあったようだ。水が詰まっていたから勝手に誰かが入ることもできなかったから、何がいるのか分からない恐怖と想像力で様々な噂ができたみたいだ。


「片付けたと思ったら次から次へと、ここはほんとに多いな」


 次に僕たちの行く手を阻むべく現れたのは、ミミズの魔獣。ムカデのように身体中から伸びている触手で天井に張り付き、点滅を繰り返す発光がイルミネーションのようだ。見た目は気持ち悪いのに光は綺麗で、不気味な印象を受ける魔獣だ。


 天井に張り付き、鎌首を上げてこっちを見下ろしている。目も口もない顔では、敵意があるかどうかもわからない。


「ミフレス! なかなかお目にかかれない大物だぜ!」


 ミレイが叫ぶ。ミフレスと呼んだその魔獣を、口角を上げてにらみつけていた。


 ミフレスの頭の先端が口を開けるように開くと、中から触手が湧き出し殺到する。イソギンチャクのような無数の触手が襲い掛かってきた。


 とっさに瞬きをした次の瞬間には、僕の体はミレイによって後ろにとびのいていた。


「下がってろ!」


 恐怖で固まっている僕を置いて、ミレイは突貫した。ミフレスは今までの魔獣とは一味違うようで、振るう触手は石壁を砕き、本体も巨体に見合わず身軽な動きだ。


 足手まといどころじゃない。近づいたら余波で死にかねないぞ。


 命の危険を感じてさらに下がった。さっきまで通ってきた道と比べて、ここは広い。しかも複雑な形をしているから物陰が多く、隠れる場所があって避難がしやすい。近くのちょうどいい感じの大きさの壁に隠れた。ここなら身を守れる。


 いったいこの地下水道はどうなってるんだ。こんなに大量の魔獣がいるということは、僕らが入った入口以外にもどこかに外へと通じている穴があるはずだ。入り口が街中にあるものだけでは、こんな惨状になるとは考えにくい。だけど解析してできた地図にはそれらしいものはなかった。自然に湧いてきたとでもいうのか? 魔獣の生態はよく知らないが、雑草だってなにもないところから突然生えたりしない。必ず種があり、原因があるはずだ。


「うわっ」


 瓦礫が飛んできて、側で土煙が上がった。ここでも安心できないようだ。もう少し奥で身を潜めることにする。


 完全な死角になるところに隠れた。もうここならいいだろう。


 一息ついたところで、ちょうど目の高さと同じところの壁に文字があるのがわかった。人の気配どころか痕跡もなかったのに、いきなり人がいた証拠を見つけた。


「なんだこれ?」


 不思議なことに、この世界の言語は僕の母国語と同じだ。外の世界では違う国でも言葉の壁があって不便なのに、ここは違う世界なのにそういった壁がない。だから壁の文字が意味することもすぐにわかった。


『魔法だけでは、足りない。文明の復活が必要だ』


 わかったが、理解ができなかった。文章の意味はわかっても、それが意図することはわからない。魔法だけでは足りないというのはなにに対して足りないのか。いったいどんな文明があったというのか。どうしてこんなことを、魔獣が蔓延る地下水道の壁に書いたのか。僕にはわからなかった。


「っ!」


 今までずっとあった戦闘音の中で一際大きな音が響いた。怪獣大決戦がすぐそばで行われていたのを思い出す。そーっと覗いてみたら、動かなくなったミフレスと右手を高く掲げたミレイが立っていた。終わったみたいだ。


「久々に骨があるやつだったぜ」



「お、おつかれー」


 改めてよく見てみると、本当にでかい。動いていなくても迫力があって怖い。本能的な身震いを止められない。


 早く離れたかったからミフレスのサンプルの回収はしなかった。


 ペンダントはまだ見つからない。もう一つ階段を下りることにした。


 下の階層になるほど、魔獣の強大さが上がっていっている。さすがにミフレスを大きく上回るほどの強さを持つ魔獣はいないが、同格か少し強いのならわんさか現れた。それに対処するのはミレイ一人だけだ。疲れも溜まってきているようで、少し息が乱れている。小さな傷も戦うごとに増えている。


 僕は戦っていない。実力が足りないというのは、言い訳だ。武器ならあるんだ。世界を思い通りにできる強力な武器が。だけど、それを扱う手が震えて使い物にならない。その場にいるだけでも足がすくんで動けない。


 使い勝手は悪いけど、創造システムはこの世界では無敵だ。だけどその使い手がこんなのでは話にならない


 あれに立ち向かうには勇気がいる。


 僕には勇気がない。怪我をするミレイを治療することしかできていない。


「ごめん。足手まといだ」


「なに言ってんだ。お前がいなきゃここに入ることもできなかったんだ。助かってるよ」


 ミレイはそう言うが、戦力はあるに越したことはないはずだ。


 どうかこれ以上強い魔獣が出ないようにと、祈った。


 だけど、それは叶うことはなかった。願いを聞き届ける神は不在だからだ。当然だ。この世界を創り出した神は自分自身で、神の願いを聞いてくる存在は外の世界でも僕は聞いたことがない。


 地下水道という地獄の最下層に着いた時だ。異様な気配を感じた。野生の勘だとか、優れた五感がない僕でもはっきりとわかった恐ろしい存在がいる気配。隣を歩くミレイに冷や汗が浮かんでいた。


 どうして僕らは帰るという選択をしなかったのか、後悔が絶えない。ミレイが傷ついていくのにその提案もしなかった。選択肢にもなかった。頭のどこかで、大丈夫だろうという楽観が住み着いているのだ。早く追い出さなければいけなかったんだ。


 ここはまるで深淵だ。入った者を奥へ奥へと引き摺り込んで返さない怪物の口の中。


 今までの魔獣とは一線を画す存在であることが、何もしなくても肌で感じる。全ての魔獣に共通する気味の悪い触手が蠢いている。水中で生きるのに適したヒレと尻尾を持った大きな図体。ミフレスも大きかったが、こいつはそれよりも二回りは巨体だ。蛇のような姿であるが、頭のあたりは空想の生物を想起させる見た目になっている。


 龍だ。鹿のような角が触手の間から生えていて、いくつもの大きな牙をそろえている。目の前にいるのは、神格化されるような幻想的で荘厳なイメージの類なんかじゃなく、神であるなら邪心や祟り神に違いない相貌だ。


「これは見えんかったな」


 ミレイがなにを言っているのか、頭に響くアラームがうるさくて聞き取れない。コントローラーの危機察知機能だ。鳴るのが遅すぎる。そんなに警告しなくても絶体絶命だってことくらいわかる。


 アラームを切って、ようやく周りの音が聞こえるようになった。もうアラームをオフにしておこう。まだ二回しか使っていないが、この機能は役に立たないようだ。見直すか、改修をしなきゃいけない。


 少しの現実逃避をしてしまったが、この状況はなにも変わらない。


「最上位危険指定魔獣ガレプトだ。かなりヤバいな。タカミ、援護してくれ」


 冷や汗が止まらない様子なのに、こんなにも恐ろしいのに、ミレイは肩を回しながらガレプトにもとに向かった。


「魔獣に出会っちまったら、殺すか殺されるかだ。見逃してくれはしないんだ。やるしかねーだろ?」


 それを聞いて、止めようと手を出しかけた手を引っ込めた。


 ウォースバードに来る道中で聞かされた、全ての魔獣に共通する特徴。全身から生える触手を持つことと、人間に大して極めて攻撃的であることだ。魔獣は一度出くわしてしまえば、どれだけ傷をつけようと逃げずに襲い掛かってくる。絶命するまで諦めない。極端に人間と敵対している生物らしい。僕がこれまで遭遇した魔獣も、例外なく襲いかかってきた。このガレプトも同じだ。この階層に下りてきた時から、ずっと目を離さずこちらを見ている。他の魔獣と違ってすぐさま襲い掛かってはこないが、暗闇に浮かぶその目に宿る敵意は変わらないように見える。


 一歩でも後ろに退けば僕らの命を食らいにくるだろう。それがわかっているからミレイは前に進んだんだ。


 強い恐怖が僕の体を硬直させる。今までの怖さなんて子供だましだと思えてしまう。この足では後退も前進もできない。


 どこかに隠れることもできない僕に、ミレイは振り返って言った。


「頼んだぜ、相棒」


 足は変わらず動かない。だけど、恐怖で凍り付いていた頭は少しだけ動くようになった。


 僕の一番の武器は創造システム。一々命令コードを書き込まなければ満足に使えないものだが、無敵の力だ。こんなのでも援護くらいならわけないはずだろ。


 僕はコントローラーを起動してキーボードを叩いた。

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