配られたカードでなんとやら

空殻

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「配られたカードで勝負するしかない」というセリフの通り、持って生まれたもので人間は生きていくのだと思う。

ただ、もちろん、それが全てだと思っているわけではない。

自分の能力を磨こうとする行為は、カードを引き直す行為に似ている。


もし、トレーディングカードゲームなら、自分のデッキを作り直す行為に似ているのかもしれない。

環境に合うように自分の能力を調整する。

自分の弱点を補うのは、メタカードを加えるのに似ているかもしれない。

でも、時代は移り変わっていくので、自分の能力が時代に合わなければ、能力を磨いても生き辛いかもしれない。

ゲーム環境が移り変わって、前環境のTier1が淘汰されるようなものだ。

幸運にも環境デッキを握っていた人は、うまく順応できるだろうけれど。


カードゲームの競技性を高めていくと、どんどん勝ち負けにこだわるようになってきて、サレンダー、つまり『降伏』する方がいい場面というのがある。

自分のデッキの中に、今の苦境に対する解答札が無いのであれば、これ以上ゲームを長引かせるのは無駄だということだ。

時間の無駄。これ以上、嫌な思いをしたくない。

それは冷徹で合理的な判断だと思う。


ただ、人生でサレンダーした方がいい場面があるかというとそれは微妙で、少なくともカードゲームほど軽々には判断できないと思うのだ。

自分のデッキ、つまり自分の可能性が分からない状態で、解答札が無いと決めつけることはできない。

それに世の中が、自分の予想通りに動くとは限らない。自分に見えている明確な負け筋を、正確になぞるとは限らないはずだ。

だから、人生における『対戦相手』が何なのかは分からないけれど。

それが運命なのか、不幸なのか、悪魔なのか、よく分からないけれど。

まだサレンダーしなくてもいいかなと思って今日も生きている。

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配られたカードでなんとやら 空殻 @eipelppa

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