その4

 一週間後、俺はその会場にいた。

 東京湾岸にある、巨大なスポーツアリーナである。

 少なく見積もっても、一万は入るだろうと言われている。

 

 それほど大箱というわけでもないが、人気がウナギ登りと言われる団体だ。 

 このアリーナを抑えるのは、造作もなかったろう。

 団体のオーナーは、不動産や株式投資で財を成した、やり手のビジネスマンらしい。

 格闘技好きだというのは、まあそれなりに評価も出来るが、お世辞にもあまりいい噂を聞かない男だというのも承知している。


 試合が始まる前、控室に顔を出してみると、英五郎はだだっ広い中の片隅に、大きな身体を縮めるようにしてベンチに座り、着替えをしていた。

 彼の元いた団体から参戦しているのは、彼一人だけだ。

 顔にわざとらしく毒々しいペイントを施し、ヒョウ柄のワンショルダーのコスチュームに、妙な毛のついたブーツ。

 

 一目見ただけで、ヒール(悪役)と見分けがつく格好だ。

 元来正統派だった英五郎にとっては、どう考えても嫌だったろうが、しかしこれしかメシのタネがない彼には、たとえ屈辱的な契約であっても、承知せざるを得なかったというのが本当のところなんだろう。


 他のレスラーや関係者たちは、時折彼の方を見て、憐れみと蔑みをこめた眼差しで見ているのが、傍観者である俺にも分かった。


『・・・・彼女、来てましたか?』俺が傍に行くと、英五郎は小さな声でそう言った。


 一昨日、俺は件のライブハウスに出かけ、松下京子嬢に、

”しつこいと言われるのは承知の上だが、一度自分の試合を観に来てほしい”

 という伝言を伝えた。


 京子はそれについては、ただ”分かりました”という返答は返したものの、必ず行くとは確約しなかった。

 席は最前列から二列目、ほぼリングサイドと言ってもいい。

 

 さっき俺が開場して間もなくの席を覗いてみたが、そこだけぽっかりと穴が空いたままだった。

 俺は見たままを正直に伝えた。

 英五郎は、

『そうっすか・・・・でも、仕方ないっすよね』とだけ答え、そのまま身支度を整えた。

 

 試合が始まった。前座から次々と試合が進み、いよいよ彼の出番になった。

 彼はセミ・ファイナルのすぐ前、三番手くらいの試合が組まれた。

 対戦相手は向こうの団体の若手選手。

 ベビーフェイスで目下売り出し中、なかなかのハンサムで、女性にも大人気だ。


 俺は客席に戻り、花道を見渡せる位置に陣取った。

 片側から相手が入場してくる。

 スパンコールの入った、ド派手なガウンを身に着けていて、周りから黄色い歓声が乱れ飛んでいる。


 俺がいる場所から少し離れたところに、リングとは別にステージが設けられ、そこにはバンドがスタンバイしており、生の演奏を聴かせていた。

 如何にもやまっけのある演出を望むオーナー氏のやりそうなことだ。

 だが、俺はそのバンドを見て、一瞬目を疑った。

 しかし、間違いはない。

 そこにいたのは・・・・そう、間違いない。松下京子率いる、

”シャドーズ”だったからだ。


 少し間を開けて、俺の真横の花道から、大前田英五郎が現れた。

 毒々しいペイントを顔中に塗りたくり、頭には不似合いなカツラまで被り、何やら訳の分からない雄たけびを上げながら、彼に向かって罵声を浴びせてくる観客に向かって反撃を試みている。

 

 しかし、俺からすれば気の毒で仕方がない。

 自分の意思でやっているというより、”やらされている”という表現の方が正しく思えたからだ。


 彼はギミックに従って、悪の団体から乗っ取りにやってきた魔人という設定になっているらしい。

 身体一つで喰ってゆくというのも、楽な話じゃないな。

 


 

 

 

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