その3

 大前田英五郎元陸士長は、俺の事務所に再びやって来て、かれこれ2時間と少し、そのデカい身体を折り曲げるようにしてソファに座り、うなだれ、もう何度もため息をついた。


『もう一杯どうだね?』

 俺がコーラのボトルを取り上げて勧めるが、彼は何も答えず、首を横に振ると、

再びため息をついた。

『”ため息は悪魔を呼ぶ笛”そんな言葉を昔聞いたことがあるぜ。』

 俺は空になった彼のコップに、構わずに二杯目を注いでやる。


 ええ?

 彼は何でこんなに打ちひしがれているんだって?

 簡単な事さ。

 

 振られたんだ。


 俺は何度か二人の間を行ったり来たりして、何とか引き合わせるところまで持って行った。

 女に面と向かって告白するのは、この世に生を受けてから、英五郎に取って初めての経験。

 いや、彼だけじゃない。

 この俺、乾宗十郎にとっても、探偵稼業に入って、これが初めての経験だった。

 

 慣れない仕事は実に骨が折れる。

 俺は二人の間を行ったり来たりして、何とか引き合わせるところまで持って行った。

 松下京子と彼女のバンド、シャドーズのステージが跳ねてから、二人を”スパイダーネット”のすぐ近くの呑み屋(ほんとなら、もっと洒落て気の効いた店にすればよかったんだが、彼の懐具合がそれを許さなかったという訳だ。)


 それでも顔を合わせて直ぐはまだ良かった。

 お互い音楽の好み(60年代のオールディーズ)が合って、その点で話は弾んだのだが・・・・何せ英五郎はあの通り口下手で不器用な男であるから、女の子を上手くエスコートするすべに長けていない。

 勿論彼女の方は、男性に多くを望まない性質であったのだが、やはりああ不器用な性格の男とは歯車がかみ合わなかったんだろう。


”いい人なんでしょうけど、私にはやっぱり・・・・”ということで、ごめんなさいという次第に相成ったという訳だ。


『やっぱり俺って、駄目っすね』

 またため息。

『仕方ないだろう。世の中の半分は女で出来ているんだ。そうしょげることもないさ』

 俺の言葉に、彼は何も答えず、世話になりましたといって、キャッシュで5日分(ちょうどそれだけかかったんだ)を置くと、肩を落としてそのまま事務所を出て行った。


 彼が何度も洩らしたため息のせいか、それとも他の原因なのかは分からない。

  それから更に追い打ちをかけるような事態が起こった。

 英五郎の所属している団体が、とうとう解散する羽目になってしまった。

 まあ、無理もない。

 元来弱小団体で、選手も単独で試合が組めるぎりぎりの数、それもまるで櫛の歯が抜けるみたいに欠けて行き、遂には彼一人になってしまった。

 事務所に訪ねてきてから間もなく、俺が訊ねて行くと、彼はたった一人でがらんどうみたいになったジムでトレーニングをしていた。

『どうするんだね?これから』

 俺が言うと、

  ある中堅の団体から、誘いがかかっている話をしてくれた。

 その団体はどちらかというと、ショーアップしたスタイルを取って、このところのして来ている団体だそうだ。

『そこで俺にヒール(悪役)をやれっていうんすよ』

 彼は元々アマチュアレスリングで鍛え上げた男だから、チンドン屋みたいなレスリングはやりたくなかった。


 しかし、背に腹はかえられん。

『もう、こうなっちゃ、贅沢も行ってられないっすからね。こいつを最後の花道にしてやりますよ』


『つまりは引退しようという訳だな』

 彼はベンチに座って、重さ20キロのケトルベル(砲丸に取っ手がついたようなトレーニング器具の事だ)を片手に一顧づつ持って、そいつを上げ下げしながら頷いて見せた。

『一曹殿・・・・いや、乾先輩、御面倒かけてすいませんが、俺の最後の花道っす。頼まれちゃくれませんか?』

『いいよ』

 自分がまだ何も言う前に俺がそう答えたので、彼は目を丸くした。

『こうなったら、乗りかかった船だ。何でも引き受けてやるさ』

 俺はシナモンスティックを齧り、にやりと笑って見せた。

 

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