その2
英五郎が中野にあるライブハウス。
『スパイダーネット』
にやってきたのは、陸自を退職し、俺が紹介したプロレス団体に入ってすぐの事だった。
デビュー戦を見事な勝利で飾った英五郎は、先輩レスラーから、
”お前もたまには息抜きでもしないとな”ということで、連れて来て貰ったのだという。
元来、堅物の英五郎の事だ。
音楽なんてものに、全く関心が無かったのだが、そこで聴いた彼女達・・・・バンド名は”シャドーズ”の演奏を聴いて、夢中になってしまったのだそうだ。
とりわけ、リードボーカル兼リードギター担当の彼女。
名前を”松下京子”といったが・・・・その彼女に一目ぼれというわけだ。
『正真正銘、初恋って奴なんす』
彼は照れもせずに、俺が出してやったコーラを一気飲みし、二杯目を要求してから言った。
『だがな・・・・俺は恋愛と結婚・それから離婚に関する調査は原則的にしないことにしてるんだが・・・・』俺はわざと意地悪そうに答えを返し、自分もコーラをぐっとやった。
『そこを曲げてお願いします。俺は先輩以外、頼むところがないんす!』
俺も人が悪いな。
真面目な人間をからかうなんて。
こういう時、
”その程度の事なら、自分でやればいいじゃないか”っていうべきなんだろう。
しかし彼の性格を知っている俺には、とてもじゃないがそんなことが出来るような性格ではないってことくらい察しがついた。
『分かった分かった・・・・頭を上げてくれ。特別サービスだ。受けてやるよ』
俺はそういうと、事務机に手を伸ばし、立てかけてあった書類ケースから一枚抜き取って彼の前に置いた。
『契約書だ。良く読んで納得出来たらサインしてくれ。料金は一日6万円と必要経費。あと万が一拳銃が必要になったら、危険手当としてプラス4万円だ。他に聞いておくことは?』
彼はないと答え、俺が渡すより早く、ポケットからボールペンを取り出し、素早くサインをして寄越した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一度目のステージが終わると、客席から拍手が起こった。
彼女たちは深々と頭を下げると、アンコールに応え、
”my bonnie"
を演奏する。
それが終わるとまた拍手。
もう一度深々と頭を下げ、別のバンドと入れ違いにステージを降りた。
楽屋に向かう狭い廊下に立っていると、向こうから彼女たちがやってきた。
先頭にいたのが松下京子だ。
肩まで伸びた黒い髪。
黒いタンクトップに黒いレザーのパンツ。
遠目にはワイルドで近寄りがたい雰囲気の彼女だったが、近くまで来ると、日本的な美人だ。
俺は彼女に声を掛け、
京子は何だかひどく戸惑ったような表情をしていたが、英五郎が書いた手紙を受取ると、
『分かりました。お返事は本人にすればいいんですね?』そう言って、わざわざご苦労様でした。と、丁寧に頭を下げた。
たったこれだけだ。
たったこれだけの仕事で、一日分のギャラ6万と実費。
”随分楽ちんな仕事だな”だって?
何を言ってやがる。
それだけで終わったら、君たちも面白くないだろ?
お楽しみはこれからッてやつさ。
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