#6 幽霊はいる?

 その日から、すみかはたまに瑠以と一緒に屋上に行った。何をするでもなく、無線をする瑠以のとなりで星を見ていた。一緒に過ごす時間が増え、すみか達の距離はさらに縮まった。勉強をみてもらったりして、すみかの成績が少しアップしたりもした。無利子の奨学金生はレベルがちがう。

 二限と三限の間の短い休み時間、すみかはトイレの個室の中で、若干途方に暮れていた。用を足していたら、外から数人の騒がしい声がトイレに入ってくる。会話に混じってカチャカチャとプラスチックがぶつかる音が聞こえる。話はどんどん盛り上がり、彼女たちがトイレを立ち去る気配はなかった。扉の向こうで派手な女の子達が洗面台を占領してメイクをしている光景がありありと浮かぶ。「ちょっと使わせて」と一言言えばいいだけなのはわかっているが、すみかがそれをする決心よりも、彼女達がメイクを終えていなくなるまでの時間の方がおそらく短いとすみかは便座に座り、ため息をついた。

「そういえば知ってる?」

 さっきまでサッカー部員の序列と能力の反比例に関する考察を述べていた生徒Aが、ドアの向こうでそうつぶやくのが聞こえた。

「先輩に聞いたんだけど、第三寮の屋上、出るらしいよ」

「出るって、何が?」

 聞き返したのは、サッカー部に幼馴染と弟がいる生徒Bだ。

「幽霊に決まってるじゃん」

「でも、屋上ってたしか立ち入り禁止でしょ?」

「そうなんだけど、実際に物音を聞いた人がいるんだって」

 すみかは直感でわかった。

 たぶん瑠以のことだろう。

「なんか、ノイズ音? みたいな音が聞こえるらしいよ。真夜中にTVをつけたときの砂嵐みたいな音。それに混じって、たまにピーピー電子音も聞こえるって」

 間違いなく瑠以だ。ノイズ音も電子音もどちらもモールス信号の無線の音。

「それで、幽霊は身長二メートルの太ったおじさんの姿をしてるんだって」

 瑠以かな?

 それ、ただの体の大きな警備員さんじゃない?

「夜の暗い時間にだけ現れるらしいよ」

 絶対瑠以だ。

 まさか噂になっていたなんて。もし誰かが好奇心で忍びこんで、あの無線局を見つけてしまったりしたらどうしよう。

 だが、生徒Aの話には続きがあった。ボリュームを落としてささやく気配に、すみかも思わず立ち上がり、扉に耳をくっつける。

「でもね、それ全部ウソで、本当は上級生のカップルが密会場所に使ってるんだって。だから、絶対近づかない方がいいよ!」

 やだぁ、なにそれぇと黄色い歓声が上がるのを聞き、すみかは噂の発信地にピンときた。あのあと何度か瑠以に着いて屋上に行ったが、一度としてその上級生のカップルとやらに遭遇したことはなかった。

「あ、でもさ」

 そこで、今まで静かだった生徒Cが初めて口を開いた。

「安全チームのラウンドで見つかっちゃうんじゃない? 次のチェック、五月二日だっけ」

 すみかはそれを聞き、すぐに個室を飛び出した。女子生徒達に驚かれるのも気にせず、トイレを出て、まっすぐ瑠以のいるC組の教室に走って向かう。

 瑠以は自分の席で人文美術学のフリーダ・カーロについてのレポート課題を仕上げていた。屋上の幽霊の噂について訊ねると、瑠以は手を叩いて笑った。

「いいアイデアでしょ。肝試しには来る奴らも、他人の情事は見たくないもんね」

「情事って……。まあ、幽霊だけだったとしても、わざわざ来る人は少ないとは思うけど。怖いし」

「そう?」

「瑠以は幽霊、怖くないの?」

「幽霊なんて、その死を受け入れられてない人間が脳に見せられる幻覚でしょ。ブレイン・ハルスネーション・ショー。観客になるつもりはない」

「そっか」

 そのあと、すみかが安全チームのラウンドについて話すと、瑠以はキーボードから手を放し、眉をひそめた。

「なるほど……ゴールデンウィークの中日を狙ってくるなんて、姑息な奴らめ」

 翌五月三日から日曜日の七日まで、今年は五日間の大型連休だ。帰省する生徒も多い。すみかは両親が祝日も仕事のため、週末だけ帰ろうと思っていた。

「すみか、ありがとう。何か打つ手を考えなきゃ」

「私も……」

 そう頷いてみたものの、妙案は浮かばなかった。




 次の古文は教師が休みで自習だった。すみかは図書室で中間テストの勉強をしていたが、集中力が切れたので、近くの本棚を適当に見て回った。書店で売られているのはほとんど電子書籍なので、こんなにたくさんの紙の本を目にするのは図書館くらいだ。ジャーナリズムの本棚のとなりに祖父母の家にあったのと同じ古い検索用PCが置かれているのをすみかは見つけた。マウスと呼ばれる、入力装置がくっついた旧式だ。言われてみればころんと丸いそのフォルムは、ネズミのように見えなくもない。

 すみかはコンピュータの電源ボタンを押し、センサーに小指をあてた。しばらく待っているとモニターに検索ポータルが立ち上がる。学園の生徒であれば誰でも、世界中の大昔の論文から地方の小さな雑誌のコラム記事まで閲覧可能だ。

 すみかは試しに検索窓に「アマチュア無線」と打ってみた。英語の論文が二百万件ヒットし、すぐに「戻る」ボタンをクリックする。

 考え直し、今度は「ケパロス五十二号」と打ってみた。すると、今度は新聞記事がいくつもヒットした。類似ワードにサジェストされた「ケパロス五十二号 悲劇」という文字の羅列が目に止まった。

「悲劇……?」

 ざわつく胸に不安の影を覚えながら、おそるおそる記事をクリックする。そこには、火星探査を行うために六千万キロ以上の長い旅へと飛び立ったケパロス五十二号が、一年間の火星基地滞在を終え、再び半年の長い帰路に着こうとした最中に、火星の軌道を外れ、忽然と宇宙の暗闇の中へ姿を消したことが書かれていた。さらに別の記事を読むと、その後、チリの宇宙航空ベンチャーの衛星が、偶然、脱出ポッドからの緊急信号を見つけたと書いてあった。調査の結果、探査船は突然起こった大規模太陽フレアによる宇宙嵐の影響か、空間に何らかのねじれが生まれ、二光年先の太陽系の外まで飛ばされたという仮説が立てられているとある。

 すみかはさらに検索を続けた。すると、バンクーバーの新聞記事を見つけた。発行日は今から二年前で、ケパロス五十二号のカナダ人クルー二名の合同葬儀にカナダの首相が参列したという記事だった。脱出シャトルはいまだ見つかっていないが、クルーとの連絡が途絶えてからすでに一年以上が経過しており、その他の観点からも現時点での生存の可能性はほぼ無いに等しく、遺族の意向もあって葬儀の実施が決められたと記事には書かれていた。

 すみかは、見晴らしのいい緑の丘の墓跡に百合の花をたむける女性の写真をマウスで拡大した。その背後に映る、黒い服を着たの二人の女性らしき人影。一人は黒いワンピース姿の、東アジア系の見た目をした中年女性で、もう一人は黒いスーツを着た、クルーの片方と同じ黒人系の、まだ幼い顔を涙で歪ませた少女ーー

 拡大した画像がゆっくりと鮮明になるにつれ、すみかはその少女の顔が、頭の中に浮かぶ別の誰かとどんどん重なっていくのがわかった。

「瑠以……?」



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