#9 キャラバン・オア・ヒューマン?
検査のあと、すぐにすみかが呼び出されたリトレーニング室は、二つの円環の重なり部分、職員室などがある管理ゾーンの四階にあった。
打ちっぱなしのコンクリートの壁に囲われた十畳ほどの部屋で、天井の真ん中に取りつけられた天窓から入る太陽の光が、向かい合うように置かれた二脚のソファを照らしていた。
すみかの目の前には、込山が座っていた。珍しくスーツを着ている。艶やかに磨かれた先の尖った革靴、パリッと糊のきいたブルーのシャツ、皺一つないアイロンのかかったネイビーのスーツ。いつものくたびれた姿とは別人みたいだ。服装だけじゃない。込山は堅く唇を引き結び、じっと靴の先を見ていた。いつもの親しみやすさはどこにもない。
すみかはひどく落ち着かない気分だった。
そわそわして、何度も後ろの扉を振り返った。込山以外の誰かにも見られているような気がして。
「どうして自分がここに呼ばれたかわかってる?」
込山はついに口を開いた。意外にもそれは、普段と同じ優しい声色だった。
「検査で異常値が出たから……です」
「うん。昨日、アーラを使ったんだよね?」
単刀直入だ。すみかはその問いに、はいともいいえとも言わなかった。ここで首を縦にふってしまったら、そのあと何が起こるのか、あまり考えたくない。わかっていることは、やむを得ない場合をのぞいて、街中で力を使い、他人やその所有物に危害、損害を与えて罰に問われないわけはないということだけだ。
「……心当たりがありません」
「昨日、駅前で市民団体の集会があって、その様子を撮影してた人達のデータが消えて、ちょっとした騒ぎになったらしいんだけど、それは知ってる?」
すみかは黙って、首を横にふった。
「知りません」
「そっか……」
込山は立ち上がると、大きく伸びをした。息をつき、困ったように少し微笑むのがわかったが、すみかは目をそらした。
「佐藤は実家、県外だよな」
「はい」
「びっくりするよな、駅前。何にもなくて」
「んー、はい」
「国道沿いの方に行くと、いろいろあるんだけどな。回転寿司とか焼き肉屋とか整体とか。……高校生は整体、別に興味ないか」
まあ、はい、と適当に返事をする。じりじりと間合いをはかられている感覚だ。
カチカチと、壁の時計の針の音がやけに気になる。時計は一限がすでに始まっている時刻をさしていた。
「さっき、工藤にも話を聞いた」
「えっ」
思わず動揺の声が出て、すみかは慌てて咳払いをした。
駄目だ、こんなことで動揺してちゃ。それに瑠以が、すみかが不利になるようなことをそう簡単に言うはずがない。
「一緒にどっか出かけてたのか? 工藤はずっと部屋で寝てて何も知らないって言い張ってたけど」
すみかは内心ほっとした。やっぱり瑠以は何も言わなかったんだ。
「行ってません」
「意外と強情だな」
込山は頭をかくと、ため息をついた。
「なんで朝の検査でワイズ値が高かった生徒がここに呼ばれるかはわかる?」
「……警察に通報するため」
「まあ、ことと次第によってはそういうこともあるかもな。でも基本的に学園は生徒を守る。ここはトリデだと思っていい」
トリデ?
すみかはすぐに漢字に変換できず、一瞬首をひねった。
「ああ、砦……」
最後の砦、みたいな言葉か、となんとか思い至る。
込山はすみかを安心させるように優しく言った。
「佐藤、俺は警察に連絡する気はないよ。幸運にも大ごとにならなかったからな。だから、自分の体について考えてほしいんだ。アーラにとって、力の使用が脳に与える影響については佐藤もわかってるよな?」
すみかは素直に頷いた。
ケアルックが治療に使われるわずか二十年前まで、アーラの平均寿命は一般的に二十歳前後だったと言われている。感覚器以外の臓器や体の構成物は他の人々と何も変わらないため、身体の方が感覚器の過剰暴走に耐えられないのだ。その結果、脳血管が出血し、脳卒中を起こしたり、脳の萎縮のスピードを加速させ、認知機能に大きな影響を及ぼす可能性もある。二十四歳で死亡したアーラの脳を死後解剖したところ、八十歳の人間のそれと変わらなかったという研究結果もある。
現在わかっている症状の進行を防ぐ手立ては、できるだけアーラを使わず、きちんと薬を服用し、脳神経の過剰暴走のトリガーを踏まないようにすることだけだ。コップに入っている水を減らすことはできないが、蛇口から流れる水の量を調整することができるというわけだ。
「……軽々しく力を使うなって、何百回と聞かされてきました」
「そうだな。そして、みんな言うんだ、はいわかりましたってな。この部屋で、力を使いましたと素直に言う生徒を俺は見たことがない」
……じゃあ、意味ないじゃん。顔に出ていたのか、込山は苦笑した。
そして「悪かったな」と頭をかきながら言った。
「なんで先生が謝るんですか」
「そりゃまあ、佐藤の担任だからだよ」
「で、でも、そもそも制服のまま出かけてた私が悪いし……」
あ、言っちゃった。
思わず口に手をあてたが、込山は真相についてはどうでもいいのか、特に言及せず、かぶりをふった。
「佐藤は悪くないよ。っていうか、制服を着て出歩くなとかさ、こっちだって言いたかないんだよ。なんだよそれ、高校生が自分の学校の制服着て、街をブラブラ歩けないとかさ。そんな世の中の方が間違ってんだよ、絶対的に」
言われてみればその通りだと思った。すみかも含めてみんな、おかしな状況に慣れすぎているんだと思う。
取調べのような重苦しい雰囲気は消え、いつしか雑談タイムになっていた。
「おかしなって言えば、あのドローンって、なんだったんだろう」
「ドローン?」
すみかは、突然やってきてステッカーをばらまいた謎のドローンについて話した。すると込山は「たぶん公共シテイだな」とつぶやいた。
「トーキョーシティ?」
「公共シテイ。詳しくは知らないけど、最近よく分離主義の人達に対して嫌がらせみたいなことをしている団体があるらしい」
「じゃあ、これ、気持ち悪いから先生に渡しときます」
そう言って昨日拾ったステッカーをテーブルの上に放り投げる。
「お前なぁ、なんでもかんでも持ってかえってくるんじゃないの。その……デジ……デジタルステッカーだっけ?」
「バーチャルステッカーです」
「そうそう、バーチャルバーチャル」
込山はスマートフォンを取り出して、ステッカーの写真を撮った。すみかはそれを物珍しそうに見つめた。それはすみかの親世代が若い頃に流行ったデバイスだったが、まだ使っている人はいないこともない。ちょうど去年から二◯二十年代のリバイバルブームも来ているし、銀塩カメラ愛好家や紙の本を愛する人たちと同じように、それぞれに手に馴染んだ質感があるのだろう。
「はー……こりゃすごいな。『俺たちはカザマヨシノじゃない』」
「え?」
「ほら」
スマートフォンの四角い画面を覗くと、ショッキングピンクのゴシック体の文字列が、画面いっぱい飛び出すように表示されていた。タップすると、クリスマスのイルミネーションのようにチカチカ光るモーションも加わり、こんなのがセルフィーを撮ったときにたまたま写り込んでいたら、めちゃくちゃ邪魔くさいだろうなとすみかは思った。
「カザマヨシノって、何でしたっけ。なんか、昔のヤバい事件を起こした人……?」
「昔……まあ、佐藤からしたら、大昔だよな」
込山は苦笑しつつ、事件について説明してくれた。
八年前、国会に立てこもり、百人強の国会議員を人質に取った前代未聞のテロリズム事件が起きた。その犯人が当時わずか十八歳の高校生たちで構成されたアーラのグループだと明かされると、マスコミは何ヶ月にも渡って、そのセンセーショナルな事件を報道したという。すみかは幼かったから詳しくは知らないが、その事件を境に、アーラをめぐる社会の風向きが厳しくなったというのは聞いたことがある。カザマヨシノは、事件当時唯一、十八歳で成人を迎えており、氏名が公表された犯人の名前だ。
俺たちはカザマヨシノじゃない。
たぶん、そのメッセージに共感するアーラは多いだろう。
でも、本当にそうと言い切れるのだろうか。
すみかは自分の両手を見て、心の中でそうつぶやいた。
昨日、瑠以に手を引かれて人混みの輪から飛び出したとき、すみかは周囲の人々の顔がこわくて見られなかった。彼らはすみかのことをどんな目で見ていたんだろう。みんな思ったんじゃないだろうか。
あれは、カザマヨシノだ、と。
佐藤、と込山に名前を呼ばれ、すみかはハッとして顔を上げた。
まっすぐこちらを見る目とぶつかる。その真摯な眼差しを、すみかも受け止めるように見つめ返す。
「これからお前にも、どうしても力を使わなきゃならないと思うときが来る。教師に呼び出されて、しらを切りとおせるようなちゃちなもんじゃない、もっと強く、大きな力を使わなければならないときが。そのときお前は悩んで、ぎりぎりまで迷って、そして力を使う方を選ぶかもしれない。でも本当はな、自分の命とほかの何かを天秤にかけてはいけないんだ。それがたとえ、ものすごく大切な何かだったとしても、だ。それでも、もし万が一そのときが来てしまったら、俺の言葉を思い出せ。絶対に戻ってこい」
込山は眉間にしわを寄せたまま、何かを思い出すように少し遠くを見つめた。
その顔を見て、すみかはもしかしたら、戻ってこなかった誰かが込山の心の中に入るんじゃないかと思った。だが、口には出して聞くことはしなかった。
「みんながアーラを嫌っているわけじゃない。外野からいろんな声が聞こえてくるだろうけど、佐藤のことを大切に思っている人の言葉以外、大事になんてしなくていい」
部屋を出るとき、すみかはちらりと後ろを振り返った。
「なに。まだ言い足りないことでもあるの?」
「再教育っていうから、もっと怖いものを想像してました」
「怖いもの?」
「頭に電気ショックを当てられたりとか」
込山は一瞬戸惑った顔をして、でもすぐ柔和な笑みを浮かべた。
「そんなことはもうしてないよ。それに、そもそも俺は医者じゃないし、アーラもショック療法が必要な病気じゃあない」
「ありがとう、込山先生」
すみかは後ろをふり返らず、飛び出すようにリトレーニング室を出た。視界の端に映った込山の顔は、少し照れたように笑っていたように見えた。
廊下に出ると、驚いたことに瑠以がそわそわした様子で壁に寄りかかっていた。
「瑠以……。あ、いると思わなかった。トイレ我慢してるの?」
瑠以は答えず、ただ顔に力の入り過ぎた表情で、すみかを睨むように見た。眉間に力が入りすぎて、金剛力士像みたいな顔になっていてビビる。
「な、なに」
いかつい顔の瑠以は、突き出すようにして、ラップに包まれたパンを見せた。
「だから、なに?」
「交換しよう。イチゴとシーフードのハムサンド」
「え、絶対やだ」
すると瑠以は両手で顔を覆って、「よかったぁ、いつものすみかだぁ」とその場にしゃがみ込んでしまった。
「すみかがリトレーニング室に連れて行かれたって聞いて、もし電気ショックを当てられて、別の人格に再構築されてたらどうしようって、心配で心配で……」
「瑠以、泣いてるの?」
泣いてるわけないじゃん、と瑠以は顔を上げず、涙声で言った。
「心配してくれてありがとう」
「心配しかできなくて、ごめん」
「なんで謝るの?」
そうだね、と瑠以は涙を手の甲で拭って、立ち上がった。
「私の方こそ、もう一緒にいられないかと思ってた」
「あり得ない。すみかのこと、大好きだよ」
「私も。瑠以のためなら、なんでもする」
心の底から、すみかはそう言った。
すると瑠以は、五月二日の日に手伝ってほしいことがあると言った。
「ねえ、瑠以……」
本当は知ってるんじゃないの? あなたの大切な人はもう……
すみかは無線のことを聞こうとして、やっぱりやめた。
訊かなくていいことのように思えたからだ。
たとえ瑠以が本当に非科学的な妄想に囚われているのだとしても、すみかは瑠以のとなりにいるだけだ。となりで手を握り、背中をさすってやるだけ。
だが、瑠以は、すみかの気持ちなどまったく気づかず、ケロッとして、
「すみか、今、なんでもって言ったよね?」
と訊ねた。
鼻の回りこそ赤かったが、瑠以の顔にはすでに涙の跡はなく、あの変なパンを作っているときと同じ笑みを口元にたたえていた。なんだか嫌な予感がする。
「すみか、不良になったことある?」
「は?」
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