#4 アドリブは苦手
日曜の夜をすみかはルーティン化していた。八時になると、寮の一階の食堂に降りていき、大型スクリーンに映っている、誰も見ていない時代劇ドラマを観ながら夕飯を食べる。そのあと一旦部屋に戻って、お風呂セットと呼んでいるシャンプーやら泡立てスポンジやらタオルやらが入ったバッグを持って大浴場に向かう。入浴を終えたら、明日の準備をし、ダラダラしながら実家の家族と電話をするなどして余暇を楽しみ、就寝する。一週間の終わりの時間はできる限りリラックスしようと決めていた。
この日もすみかはいつものように夕飯と入浴を済ませ、部屋に戻ってきた。歯の裏に引っかかった味噌汁のワカメと格闘しながらドアを開けると、ちょうどリュックを背負った瑠以がベランダの柵によじ登っているところだった。
「鍵、開けたままにしといてね」
瑠以は身軽な動きで三階のベランダの柵を乗り越え、隣の非常階段に移動すると、カンカンという足音と共に消えていった。
机に置かれたデジタル時計に九時四十分の数字が並んでいる。寮の就寝時間の十時まではまだ多少時間があるが、いつも瑠以が帰ってくるのはすみかが眠ったあとだ。朝起きて確認すると、二段ベッドの上の段で、猫のように丸まって寝ている。
こんな遅くにどこに行っているんだろうと、一度気になって聞いてみたことがあった。だが、のらりくらりとかわされてしまい、結局わからずじまいだった。
なんとなく実家に電話する気にもならず、その日、すみかは早めに布団に入った。
瑠以は秘密主義だ。家族構成も、出身地も、誕生日すら教えてくれない。人見知りというわけではなさそうだから、言いたくない理由があるのだろうと、すみかも聞かないでいる。
いつか教えてくれるだろうか?
それっていつ? もっと仲良くなったら?
でも、相手のことを知らずにさらに仲良くなることなんて、できるんだろうか。
ひとり悶々と思考を巡らせていると、部屋のベルが鳴った。廊下に取りつけられた、来訪者を知らせるチャイムだ。
こんな時間に誰だろう。あわてて起き上がり、チェーンをつけたままドアを数センチ開けると、そこには腕章をつけた見知らぬ二人の女子生徒が立っていた。一人は学園指定のジャージ姿。ジャージの色が青だから、二年生だとわかる。もう一人はスポーツブランドのジャージを着ていて、胸に「明浜学園送球部」という刺繍が入っている。
「こんばんは。私たち、
「あ……」
この前、くじを引かされた例のアレだ。
「……お疲れ様です」
すみかはさりげなく部屋の中が見えないように頭の位置を調整しながら、挨拶を返した。もし今、窓から瑠以が戻ってきたりなどしたら、たまったもんじゃない。間違いなく悲劇、いや、そんなの悲劇を悠々と通り越して喜劇だ。
二年生の生徒は持っていた端末のリストに目を通しながら、すみかを見た。
「えーっと……」
「さ、佐藤です。佐藤すみか。あの……同室の工藤さんはもう寝てます」
さすがに夜間に許可なく外出中です、窓から、とは言えないので嘘をついてごまかす。すると指定ジャージの先輩は「新学期はやっぱり疲れちゃうよね」と優しく目を細めた。うっ、そんなリアクションをされたら、胸が傷む。
今日は見回りではなく、挨拶に来たのだと生徒たちは言った。
新入生リストに貼りつけられた顔写真と実際の顔を見比べているようだった。写真は中学のときに撮った入学願書の写真だから、髪型や雰囲気がちがう生徒もいるのだろう。
「見回りではたまに抜き打ちチェックとして、部屋に入る場合があります。少し慣れてくると、門限を破る生徒が出てくるからね。ただし、何も問題がなければすぐに出ていくので、そのときだけは我慢してください」
「あのー……」
「何か?」
「も、もし寮の規則を破ったら、どうなるんですか」
「寮の規則は校則の一部だから、校則を破った時と基本的には同じ。リトレーニング室に呼ばれて、先生たちから指導を受けることになると思います」
リトレーニング室……?
すると、疑問が顔に出ていたのか、送球部のジャージを着た生徒が教えてくれる。
「管理ゾーンの最上階の小部屋、知らない? 噂だとそこに閉じ込められて数時間、出てきた生徒は前とは人格が代わってるんだって」
人格?
指定ジャージの先輩が、送球部の先輩に向かって「新入生を怖がらせないでよ」と顔をしかめた。
「冗談だからね」
と、すみかに向かって念を押す。
たぶんね、と送球部の先輩はすみかだけに見えるように微笑みかけた。
「悪いんだけど、やっぱり工藤さん、起こしてきてもらえる? 確認が終わったら、必ずサインをもらわないといけなくて」
「え?」
すみかは素っ頓狂な声を上げた。
それはちょっと、できない相談だ。
「で、でも瑠以は一度寝ると朝まで何があっても起きなくて」
「そっか。じゃあ、明日の放課後にまた来るのでもいい?」
「そ、それがいいと思います!」
相談している先輩たちに、ブンブンともげるかと思うほどに首を縦にふる。それがいい。というか、そうしてくれないと困る。
幸運にも後日出直す流れになり、内心すみかがガッツポーズをした。だが、ドアを閉める前に、急に送球部の先輩が何かを思い出したように立ち止まった。
「でも明日はミーティングで部活が長引くかも」
「それなら、やっぱり今日のうちに……」
ヤバい。この流れはヤバい。
どうする? すみかは咄嗟に考え、妙案を探しだそうとした。だが、残念なことに何も思い浮かばない。
「る、瑠以はぁ! 途中で起こされると、寝起きの機嫌がメチャクチャ悪くてぇ!」
突然声を出したものだから、音量のコントロールが上手くいかず、想定していたよりずっと声が出た。そのことに一番びっくりしたのはすみか自身なのだが、二人の先輩たちも目を丸くしていた。
どうしよう。しゃべり出したはいいものの、次の言葉を考えていなかった。だいたい昔からアドリブは得意じゃない。でも、ごまかすしかない。勢いで。
「そうなの?」
「そ、そうですよ! 手当たり次第にそこら辺の物を全部投げてくるし」
「それは、危ないね」
「地獄の底から這い出た鬼みたいな形相で、ギャーギャー奇声を挙げるし」
「他には?」
「四つん這いのまま高速で移動して、部屋中の時計の針を十五分遅らせて地味な嫌がらせしてくるんです!」
「うわぁ、ぜひお会いしたいなぁ」
「見てきます!」
駄目だった!
すみかは素直にくるりと向きを変えた。
ベッドの近くまで行き、このときばかりは瑠以がズボラでよかったとすみかは心の底から思った。きれいにベッドメイキングされていれば言い訳のしようがないが、二段ベッドの上に無造作に置かれた布団は、中に人が寝ているように見えなくもない。
迷っている暇はない。もうどうにでもなれだ。
すみかは息を吸って覚悟を決めた。
安っぽい蛍光灯の光に照らされた、狭い五畳半の部屋が舞台。観客は
幕は開かれた。
すみかは何気ない様子で二段ベッドに近づくと、下の段にの柵に足をかけ、枕の辺りの朝起きた状態のままの布団を軽くめくった。 堂々と、本当にここに瑠以が寝ているように振る舞えばいいのだ。寝ている人を無理やり起こす必要はない。優しく、問いかける。幼子に聞く、母のような声で。
「瑠以、起きてる? ……寝てるか」
そのあと、どうにか怪しまれずに二人の先輩たちは帰っていった。
「危なかったー……」
すみかは速攻でドアを閉め、鍵を閉じ、その場でほっと胸をなでおろした。ベッドに横になっても、まだ胸のドキドキは収まっていなかった。でも、それはいつもの、ため息をつきたくなるような、焦りや苛立ち、羞恥から来るドキドキとはどこかちがっていた。すみかは穏やかに近づいてくる眠気に身を任せた。
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