#3 恋人がほしい!
世界史教室はいつも人がまばらで、今日も先客はノートPCで仕事をしている担任と、前の方の席でカップラーメンをすする男子生徒の二人だけだった。入ってきたすみかと瑠以を見て、男子生徒はちらっと眉を上げたが、ラーメンを食べ終えたあとは大きなヘッドフォンをつけ、静かに本を読みだした。すみかたちは後ろの方の席を陣取った。
「私、ヨガクラブに入ろうかなー」
すみかは昼食をすませ、中庭でやっているヨガクラブの青空ヨガを眺めていた。隣で瑠以が薄型VRメガネをつけ、シューティングゲームをしている。例の生ハムどら焼きパンは膝の上に放置されている。
「この校舎ってさ、中庭側にしか大きな窓がないの、なんでかな」
「んー」
「瑠以、さっき、私のこと、見かねて話に入ってくれたんだよね」
「あー」
「瑠以、口にジャムついてるよ」
「そー、かも、ね。よしっ、勝った!」
拳を突き出してくる瑠以に、同じようにグーパンチを合わせると、
「だって、ああいうのってどっちかを選んだ時点で地獄行き確定でしょ?」
と瑠以は顔をしかめた。ちゃんと聞いていたらしい。
「瑞己くんがいいのぉ? やだぁ、佐藤さんてば面食ーい、えー田中がいいのぉ? 田中ぁ、佐藤さんが好きだってぇ。そんで仲間内で、あの子を瑞己や田中が相手にするわけないじゃん、キャークスクスってやるオーラ出てたじゃん。ビシバシ感じたね」
「瑠以、性格悪いよ」
「信じてないね? すみかはのんきすぎるから、心配だよ」
実家の母のような瑠以の声色に、すみかはクスクスと笑った。瑠以は見た目に反して意外と優しいのだ。
「優しいといえば彼もだけどね」
「彼って?」
「中田瑞己のこと。だって彼、中等部からの持ち上がりでしょ?」
瑠以は、すみか達の寮の安全チームの話は、内部進学の瑞己には関係のない話だと説明した。
ここ明浜学園は小学校から大学まであるエスカレーター式の学校で、寮に入るのは主に中高の生徒だ。
高等部の寮は全部で三つある。中等部からの内部進学生とすみか達のような外部進学生との比率は七対三で、三つの寮のうち、すみかと瑠以の住む第三寮だけが高等部からの入学生のみで構成されている。瑞己はまず間違いなく、第一か第二寮に住んでいるはずだと瑠以は言った。無関係の寮の話が、新参者のすみかに話しかける口実だったのだとしたら、優しさにあふれてる。たしかに佐伯の言う通り、瑞己は完璧なのかもしれない。
「中田くん、やっぱり人気者なんだろうなぁ」
「中田瑞己、彼女いるよ」
教室の前の方の席で一人で弁当を食べていた男子生徒が、突然ふり返り、忠告するような口調で言った。長い前髪とメガネのせいで顔の上半分が全然見えない、小柄な男子生徒。そしてそのまま彼は教室を出て行った。
ヘッドフォンつけていたから、てっきり聞いてないと思っていた。
「みんなしてさ、女子が男子の話してたら、すぐ恋愛に結びつけるの、やめにしない?」
「でも、瑞己くん恋人いるんだ。そっかぁ」
いいなぁ。
思わずそう呟く。
すみかも、高校生になったし、恋人の一人くらい欲しい願望はある。
でも、恋人どころか友達もまだ少ない。
「ねえ、すみか、聞いてる?」
「え、何」
するとなぜか瑠以はゲームをやめ、改まった様子で咳払いをして姿勢を正した。
「だからね、来週の水曜日の話。すみか、駅前まで舞台を見に行くって言ってたじゃん。そのとき、私の電動キックボード、使うかなって」
「本当!?」
すみかは思わず声を弾ませた。
水曜日、すみかは知り合いがやっている劇団の公演に行く予定だった。小さい頃に数年間、子役として活動していて、そのときお世話になった人だ。舞台を観る機会の少ない地方の学生のために、積極的に全国を回っている。すみかが子役を辞めたあとも、定期的にチケットを送ってくれていた。
開演は午後四時半から、場所は駅前のシアターだった。明浜学園は町の中心部からかなり離れた場所にあり、駅まで出るのに自転車で四十分はかかる。授業が終わってすぐ出ても間に合わないと思っていたが、電動キックボードなら遅れずに着くはずだ。
「でさ、代わりにすみかの自転車を私に貸してよ。私も駅前に用事があるんだ。それでもしよかったら、舞台が終わったあと、ご飯でもどう?」
「それ、最高。誰が思いついたの?」
「最強最高、工藤瑠以だけど?」
舞台は六時頃には終わる。寮の門限は九時だから、食事に行っても余裕で間に合うだろう。
すると、担任の込山がPCから顔を上げ、
「出かけるなら、私服に着替えてからにしろよー」
と言った。
「あ、コミー、いたんだ」
「ずっといたよ。あと、先生って呼べ」
「はーい、コミー先生」
「ったく」と込山は肩をすくめた。
込山修吾は、痩せ形で、見た目にはあまり頓着しない方なのか、体育教師でもないのに常にジャージ姿だ。髪の毛のパーマはとれかけているし、靴もお世辞にもキレイとは言えないノーブランドのスニーカーをいつも履いている。歳は三十代くらいに見えるが、大人の男の人の年齢はよくわからなかった。くたびれているだけで、実際はもっと若いのかもしれない。
「最近、アーラアタックとか言って、うちの学園の制服を着た生徒を狙って、わざと喧嘩を売って、反撃してきた様子を動画に撮ってモザイクをかけてネットに流すっていう迷惑行為を働いてる輩がいるんだと。だから気をつけろよ」
「ふーん」
すると、瑠以がクンクンと鼻を嗅ぎ始めた。
「煙草くさい。コミーさ、授業の前に消臭スプレーした方がいいよ」
「煙草なんて、身体に害しかないのに」と眉間にシワをよせる。瑠以は何気に健康マニアだ。
禁煙しなよという瑠以の言葉に、込山は「ワシはもう先が長くないからいいんじゃ」と笑った。
ふざけている老人込山に、すみかはロッカーの上にあった誰かの消臭スプレーを持っていってあげた。
「おお、佐藤。ありがとう」
「あの……」
「ん?」
「こ、この前、本で読んだんですけど、電子タバコでも身体に悪いのは同じらしいですよ」
「へえ。でも俺、紙煙草派なんだよね」
そう言って込山は二本指を立てた。
ぶい?
「ピースね」
「は?」
意味のわからない込山を無視して瑠以の隣に戻ったすみかは、スマートパッチを二回軽く叩いてARモニターを呼び出すと、早速来週の予定を書き加えた。半透明の「水曜日」の文字を目線で選択しながら、ふと訊ねる。
「ねえ、そういえば瑠以の用事って何?」
「んー、ちょっとね。買い物」
「そっか」
瑠以はあまり自分の話をしない。出会って二週間、すみかがこのルームメイトについて知っていることといえば、おかしなパンを毎朝自分で作って持ってくることと、ゲームが上手なこと、制服はスラックス派なこと、見た目の割に優しいこと、そして、毎日夜になると、寮の部屋を抜け出し、どこかへ行くこと、それだけだ。
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