美しき凶王の邪なる花嫁 過激な18禁乙女ゲーの舞台である退廃王朝に転生したので、ふつうの悪役令嬢なんてやっている場合じゃありません。

@KusakabeSubaru

第1話

「サリカ姫!」


 幾人かの侍女たちとともに白薔薇宮の宝石回廊を歩いていたところ、背後から声をかけられて、わたしはおもむろに振り返った。


 そこにっていたのは、不似合いに豪奢な純白の毛皮をまとった初老の男性だった。


 痩せた小男で、その容姿は、現実を歪めることに卓越した宮廷画家ですら美化しようもないであろうほど醜い。


 それはおそらく、単なる顔かたちの造形の不格好さに留まらず、かぎりなく残虐で醜怪な内面が発露したものと見るべきだろう。


 毛皮に刻み込まれた幻獣と長槍の紋章を確認するまでもなく、不快な顔に見憶えがあった。


 この薔薇王朝クリムゾンローズ・ダイナスティの大貴族の一人であるアンセスター侯爵だ。


 〈悪徳侯爵〉という不名誉な異名を取る人物である。


「おひさしぶりですな、姫。今日は国王陛下のお見舞いで?」


「ええ」


 可能であるならこのような奸悪な人物と会話を交わしたくはなかったが、まさか無視するわけにもいかない。わたしは最小限の返事を行った。


 その言葉をどう受け取ったものか、侯爵は何度も大きくうなずく。どうにも大袈裟で不愉快な態度である。


「どうやら陛下のお加減はよろしくないようですな。しかし、婚約者である姫が可憐なお顔をお見せになれば、陛下もきっと持ち直されることでしょう。わたしは陛下のご快復を信じておりますぞ」


 これが目的か、とわたしは悟った。昨夜から発熱し政務を休んでいる陛下の病状を知るため、わたしに鎌をかけているのだ。


 老獪な手管というべきか。否。卑劣な小細工というほうがふさわしい。


 わたしは心中、強い嫌悪を感じたが、それを表に出しはしなかった。あくまでも感謝に堪えないというかおで礼を述べる。


「ありがとうございます、陛下も侯爵の厚い忠誠をお喜びくださることでしょう。ですが、ご心配には及びませんわ。陛下のお身体は壮健そのもの。ただうっかり夏風邪をこじらせて寝込んでしまっただけなのですから」


「それはそれは」


 侯爵はごまかされて何となく不愉快そうだった。もう地が出ているわよ、下郎。


 この程度の腹黒さで、陰謀が渦巻く宮廷を乗り切っていけるのだろうか。もちろん、仮にこの人物が自業自得で破滅したとしても、わたしの関与するところではないが。できれば、いますぐにでも破滅してほしいくらいだ。


 かれの〈悪徳侯爵〉の異名にはそれなりの理由がある。


 かれには、その城に侯爵領全体から何十人もの美少年を集め、散々に凌辱し、拷問にかけ、挙句の果てには殺害してその血を啜ったという忌まわしい噂がわたしの耳にまで届いているのだ。


 すべては侯爵城で秘密裏に処理された出来事であり、いわゆる風の噂のほかには、罪状を問えるほどの確証はない。


 しかし、その狂気に濁った双眸を見下ろしていると、間違いなくこの男はやったのだ、と思えてくる。


 あたかもその黒々とした眼球に、すすり泣く血まみれの少年の顔が映っているかのようだった。思わず顔を背けてしまう。


「それでは、急ぎますので、これで失礼します」


 わたしは大振りの絹扇で表情を隠しながら、その場を立ち去った。


 背中に、侯爵のねばりつく視線を感じながら回廊を急ぎ、白薔薇宮の最奥に位置する一室にたどり着く。扉の鐘を鳴らし、サリカであることを告げると、室内から返事があった。


「入るが良い、サリカ。あなたのまえで扉を閉ざしたりはしない」


「失礼します」


 わたしはみずから扉を開け、侍女たちをその場に待たせて室内に入った。


 そこに、〈かれ〉がいた。いくつもの美々しくも過剰な装飾がほどこされた大きな寝台に寝そべった美貌の若者。人はかれを今生こんじょうの薔薇王メラドネス三世と呼ぶ。


 その白皙の頬が発熱のためかほのかに紅潮していることが何とも痛々しい。ただ、それでも、その秀麗を究める容貌は完璧なまでに美しかった。


 かれこそは薔薇王朝の何十代にも及ぶ血統が産み落とした美の最高傑作なのだ。むろん、その内面も、また。


 しかし、連綿と続く近親結婚の負の遺産なのか、どうか、かれの肉体は国王の激務に堪えないほど脆かった。


 侯爵に夏風邪をこじらせたに過ぎないと云ったのは云うまでもなく嘘だ。メラドネスはいま、大きく体調を崩し、満足に立ち上がることすらできない状態にある。


「おからだの具合はいかがですか、陛下」


「ああ、いつも通りだよ。いつも通り、最悪だ」


 メラドネスは小さく苦笑した。じっさい、ちょっと喋ることすら楽ではなさそうだ。わたしは、かれの傍らの椅子に座ると、蒲団の外に出されたそのほっそりした指をてのひらで包み込んだ。


「むりにお話しにならないでください。そのうち、魔法薬ポーションが効いてきます。雑務に関しては、わたしが陛下の名代として処理しておきますから」


「すまない。わたしが弱いばかりに、きみにばかり負担をかける。ほんとうなら、わたしこそが批判と敵意の矢面に立つべきなのに」


「良いのです、陛下。わたしはあなたの婚約者であり、恋人なのですから、あなたが背負っているものを半分だけ背負わせてください。陛下はこのような時代に最善を尽くしておられます。わたしはそれに少しでも協力させていただきたいのです」


「時代か」


 メラドネスはふたたび苦く微笑した。


「すべてを時代のせいにできれば簡単ではあるだろうな」


 そう、いま、薔薇王朝はその名も仰々しく〈遺灰の世紀〉と呼ばれる退廃の時代を迎えている。


 ぬるい気候が果実を熟ませるように、長い平和が国の鋼紀を頽弛たいしさせたのだろうか。


 人々の心はあるいは乱れ、あるいは腐り、いまではだれもが健康な倫理と正義とをあざ笑うかのようだ。


 いまでは健やかな理想は忘れ去られ、善なる神々の彫像は路傍に打ち捨てられている。


 その代わり信仰されているのは生きた赤子を燃えさかる祭壇の生贄に捧げさせる悪神崇拝の邪宗であり、兄弟姉妹で交わることを良しとするような淫らで堕落した迷信である。


 本来であれば清き行いによって人々を導くべき聖職者たちですら、否、彼らこそが率先して奇怪な淫欲に耽っているありさま。貴族たちのなかには最も美しい奴隷たちの心臓を抉り出してそのままに食すことで長寿を目ざす者すらいるという。


 すべての歯車がどこかで狂っている。多くの人が弱者への穏やかな優しさを捨て去り、その代わり弱肉強食の原理こそが人類唯一の真実だと信じ込んだのだ。


 道徳と良心は失われ、ありとあらゆる残忍な風習ばかりが流行していた。わずかに神と正義を信じつづける者は、次々と拷問にかけられ、さらには冤罪で火刑に処せられてしまった。


 まさに夜の時代、悪徳と暗黒と猟奇がすべてを統べる時世だ。


 そして、そのくらやみの時代の頂点に座しているのが、わたしの婚約者にして第三十三代の薔薇王であるメラドネスなのだ。


 むろん、メラドネスは酒色に耽溺する残酷な暴君などではない。しかし、この腐敗と大乱の時代に倦んだ人たちの敵意と害意は、一に国王であるかれに集中していた。


 かれは〈凶王〉とまで呼ばれ、すべての責任を一方的に課せられている。打ち続く天災も悪疫も、すべては君主であるメラドネスの問題とみなされているのだ。


 愚かと云えば愚かな話である。だが、それほど民は暴虐貴族や淫祠邪教に追いつめられているということでもあるだろう。


 メラドネスはどうにかしてかれらを救おうとしている。とはいえ、この、時代という凄絶な暴風に対して、たとえ王であっても個人はあまりにも無力だ。


 だから、わたしが助ける。わたししかかれを助けられる者はいないのだ。


 わたしは、メラドネスのほとんど病的なまでに華奢な指先に口づけた。


「愛しています、わたしの陛下。何も、ご心配なさらないでください。わたしがすべてを良いように差配いたしますから」


「すまない」


 メラドネスが沈痛な表情を浮かべる。


 しばらくそのようにして会話を続けたあと、かれは疲れたのか、寝入ってしまった。わたしは部屋の外に出て、王の執務室へと向かう。


 わたしはメラドネスから、正式にかれの代理として振る舞う権利を与えられているため、その部屋に入ることができるのだ。


 本来はメラドネスのものである豪奢な椅子に座ると、侍女に警察歩兵団長を呼びに行かせた。


 警察歩兵とは、この王都の治安を維持することを目的とした国家組織である。しばらくすると、背の高い中年男性が一礼して入って来た。直立不動で命令を待つ。


「王命である」


 わたしはかれに告げた。


「今日、〈キマイラのあしおと亭〉という酒場の二階で学生たちが集会を開いている。かれらは王朝に対する反乱をもくろんでいる。その全員を捕縛し、投獄せよ」


「はっ。拝命いたしました!」


 警察歩兵団長がふたたび一礼して出て行く。その後ろ姿を見つめながら、わたしは考えていた。これで良いでしょう。あの子には悪いけれど、王朝を亡ぼす革命の計画は阻止させてもらうわ。


 ◆◇◆


 翌日。


 わたしはひとり、わずかな洋燈ランプの灯かりばかりがかよわく照らし出す暗い地下の路を進んでいた。しばらく歩くと、突きあたりの部屋にたどり着いた。


 部屋とは云っても、それは鉄格子が嵌められ、錠が下ろされた牢獄である。


 そのなかに、ひとりの、このような場所に見るからに不似合いなほど可憐な少女が入れられていた。


 わたしがゆっくりと近づいていくと、彼女はうな垂れていた顔を上げて、わたしを睨みつけた。


「サリカさん! やっぱりこれはあなたの指図だったんですね」


 わたしのことを凝視するまなざしにはまだ力がある。彼女に対する乱暴は禁じていたが、どうやら兵士たちは命令を守ってくれたらしい。


「そうよ。すべてわたしが命令したこと。エリーゼ、あなたと仲間を捕らえるためにね」


「なぜです? わたしたちが何をしたと云うの?」


 わたしは顎に指先をあてて考え込んだ。


「そうね、擾乱罪、あるいは国家反逆罪というところかしら。あなたたちがあの店で革命の計画を練っていたことは知っているわ。王朝への反乱は計画しただけで重罪。捕縛されてもしかたないでしょう?」


 エリーゼはきつくわたしを睨みつづけた。


「どうして、わたしたちの計画を知っていたんですか?」


「さあ」


 わたしは酷薄にほほ笑んだ。


「どういうことかしら。もしかしたら情報を流した裏切り者がいるのかもしれないわよ」


「それは――」


 エリーゼは、ほんの一瞬だけ、うな垂れて思い迷う表情を見せた。しかし、それはまさに刹那のことに過ぎなかった。彼女はすぐに顔を上げ、わたしの顔を屹然きつぜんと見つめた。


「わたしは仲間を信じています。裏切り者なんているはずがない。それに、あなたはいままでも時々、まるで未来を知っているような口ぶりで話すことがありました。サリカさん、あなたはいったい何者なんですか? そして、何を知っているんです?」


「さあ。何のこと?」


 わたしはとぼけた。


 危ない、危ない。どうやらいままでもいくらかしっぽを出してしまっていたらしい。これ以上、彼女に悟られないようにしなくては。


 わたしとエリーゼは王立学院の級友だ。彼女は平民出身でありながら、公爵令嬢にして王の婚約者であるわたしと対等の、否、わたしをすら上回る人気を誇っていた。


 彼女の言葉には不思議な力があり、だれもが聴き入ってしまうのだ。それはわたしも例外ではなく、いつも彼女とは友人として、王朝のあり方について活発な議論を行ってきた。


 エリーゼの理想主義は、この背徳の時代にあって、危険なまでに正しかった。云わば、彼女はくらやみにともったたったひとつの灯かりのような存在だっただろう。


 だからこそ、彼女の存在は王朝にとって危険なのだ。このままでは、いつかエリーゼは王朝を亡ぼす。わたしは、そのことを知っている。彼女こそは、〈物語の主人公〉なのだから。


「さぞ居心地が悪いだろうけれど、しばらくここにいてね、エリーゼ。一生とは云わないわ。わたしが、すべてに片をつけるまで申し訳ないけれど投獄させてもらう。恨んでも良いわよ」


 そう告げると、エリーゼは一転して哀しそうな目つきになって小さく嘆息した。


「サリカさん、わたしはいままであなたのことも信じていました。立場や考え方は違っても、同じようにこの時世を憂えている同志なのだと。でも、それは間違いだったみたいですね。残念です」


「――いいえ」


 わたしは言下に否定した。


「いいえ、わたしたちは同じ目標を抱いている。ただ、わたしが往く道にとって、あなたが邪魔だというだけのこと。これ以上は云えない。さあ、おとなしくしていてね。むやみに反抗しないなら、ちゃんと食事も運ばせるし、いずれ仲間とも逢わせてあげるわ」


「サリカさん、あなたは――」


 わたしは彼女の言葉を無視して、きびすを返した。ゆっくりとその場から歩み去る。背中に、エリーゼの叫び声がたたきつけられた。


「赦さない! わたしは絶対にあなたを赦しません!」


 もはやその声に応えることは、しない。エリーゼがわたしを赦さないことは当然だ。わたしこそは、彼女の気高い理想にとって最大の障害なのだから。


 そう、わたしたちは、互いにとって不倶戴天の宿敵同士なのだ。個人としては、彼女のことは大好きだ。だが、運命がわたしたちを相撃たせる。それはどうしようもないことだった。


 〈主人公〉と〈悪役〉、しょせん共存のしようもない関係ではないか。


 そうなのだ、この世界はひとつの物語の世界なのである。そのことを、この世界のなかでわたしだけが知っている。


 物語の名前は『ANGELIC KISS』。わたしの「前世」において破格の人気を誇っていた乙女ゲームだ。


 退廃と悪徳の時代において、清純なヒロインが仲間たちとともに戦いを指揮し、暴君を打ち破って世界に平和をもたらすという革新的なストーリーが評価された作品で、「前世」のわたしも思い切り嵌まってやり込んだ。


 まさか、何の因果か、自分がその世界に生まれ変わるとは知らないまま。


 わたし、サリカは、その『ANGELIC KISS』において、主人公エリーゼを散々にいじめさいなむ〈悪役令嬢〉であり、過激な描写が売りの18禁ファンディスク『DEMONISH SEX』におけるもうひとりの主人公なのだ。


 つまりは、わたしとエリーゼは、どこまで行ってもどこかで衝突し、対決する運命にあるわけだ。


 わたしは、ゲームの知識により、このまま放置すればエリーゼが薔薇王朝を滅ぼし、清廉な新国家を築き上げることを知っている。


 だが、彼女にそうさせるわけにはいかない。エリーゼの成功は、即ち、この時代における「悪の象徴」であるメラドネスの死と、その政治改革の挫折を意味しているからだ。


 メラドネスが長年にわたって少しずつむずかしい調整を重ねながら続けてきた改革を、そのような形でわらせることはできない。


 いずれ、夜の時代は明けることだろう。しかし、それはエリーゼの活躍によってではない。メラドネスの内側からの改革の成功によってこそ、時代は変わるのだ。


 メラドネスと初めて逢ったとき、わたしはかれが悪の独裁者だと信じていた。だが、すぐにそうではなく、真摯に王朝のことを憂う誠実な君主なのだとわかった。


 わたしはその率直でまじめな性格に惹かれ、いつしか愛するようになっていった。そして、本来の〈悪役令嬢〉の役割を逸脱してでも、かれのことを救うと決意したのである。


 だから、わたしはメラドネス陛下の婚約者として、かれを補佐し、物語を変えてみせる。たとえ、そのことでわたし自身が悪の象徴と化すとしても。


 それが、わたしが進むべきたったひとつのルート。愛する人のため、わたしは悪魔の道を往く。


 はたして、わたしがやっていることは正しいのだろうか。それはわからない。あるいは大きな過ちを犯しているのかもしれない。


 しかし、もはや引き返すことはできない。どこまでもこのルートを進んでいこう。病身に苦しむメラドネスに笑顔を浮かべてもらうために。ただそのためだけに。それこそがわたしの人生なのだ。


 わたしはサリカ。薔薇王朝の公爵令嬢。美しき凶王の邪なる花嫁と、人は、呼ぶ。

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