第7話 絶望は一瞬だよ

「俺に任せろって、あんちゃんに何が出来るってんだよ。黙って引っ込んでろ」

「あれを止めるくらい造作もない」


 ひったくりは右手に持ったナイフを振り回しながら、大通りを突っ切ってくる。刃物を振り回した人間に近づこうとする者は誰もおらず、彼の通る道をざぁーっと人波が避けていく。


「おい危ないぞお前!」

「馬鹿なことしてんじゃねぇ!」


 そこに立ちはだかる一人の少年。店主の制止を振り切って前に飛び出した俺に、民衆が心配するような声を投げかける。


 しかしそんなものは必要ない。求めているのは心配の声なんかではなく、俺の雄姿を称えるための言葉だけ。そして女性は俺に対して性的興奮を覚えてくれたら、なおよい。


 君たちが神と崇める〝ショード・バーン〟の力をその目に焼き付けてやる。


「くそっ、どけって! まじでぶっ刺すぞ!!」


 俺のような存在が予想外だったのか、ひったくりは錯乱した様子で声を荒げ、ナイフを振り回す。しかし、それでも足を止めることなく、まっすぐ俺に突っ込んでくる。


「お前程度では、傷を付けることすら出来ないさ」


 相手の挙動を完全に見切り、一連の動作に合わせてナイフを掬い取る。そして力の流れに逆らわず、あえてそれを利用する。


「―――へっ?」


 体が宙を舞う感覚。一瞬、夢でも見たような錯覚に陥ったひったくりに訪れた景色は、限りなく広がる青い空だった。


「すげぇぇええ!!!」

「やるじゃねぇか兄ちゃん!!」

「激アツだぜぇ!!」


 少しの空白の後、市場は歓声に支配された。

 まるでお祭り状態である。元からひったくりなんていなかったかのように、周囲の注目が俺に集まる。

 なんだか懐かしい感覚だ。前世で何度も浴びた歓声。その度に去来きょらいするぽっかりと胸が空くような虚しさ。


 ―――ふぅ、落ち着くんだ。前世とは違う。俺は生まれ変わったんだ。


 そう、以前までの歓声とは一味違う。純粋な感謝だけが含まれているわけでなく、そこには俺に対しての性愛が混じっているに違いない。


 民衆が俺の言葉を待っている。この熱の孕んだ市場をさらに盛り上げる一言を、俺はすでに用意していた。


「……大したことではない」


 完璧に決まったぞ! この素っ気なさに混じるミステリアスな雰囲気。前世のフロードを思い出して放った一言だが、我ながらかなりの出来だと思う。


 しかし、その反応は予想外のものだった。


「……お、おぅ。ほんと、うん、よくやってくれたよ」

「まぁ、相手も相手だったしね……」

「ひったくりを退治してくれたのは感謝だけど」


 俺を取り囲んでいた民衆が、徐々にその場から遠ざかっていく。受け入れがたい現実を処理しきれないまま硬直していると、既に俺は民衆の中に溶け込んでいた。


「て、店主。これは一体どういう状況なんだ……」


 額から流れる脂汗にも気付かず、ブリキの人形のようにぎこちない動作で問いかける。


「あんちゃんよぉ、今更そういう感じは?」

 

 ぐはぁ―――!!


 モテない、だと? 

 

 そ、そんなはずがない。俺に対する拒絶反応はミュラさんが異常だっただけで、今回の俺の対応は完璧だったはずだ。最小限の動きでスマートにひったくりを制圧し、最低限の言葉でミステリアスさを演出する。


「そ、そういえばこれをまだ返していなかったな」

 

 足元に転がっているショード様人形(笑)を取り上げると、覚束ない足取りで、未だわんわん泣き喚いている男の子の元へ近寄った。


「ほら、お前のだろ」


 平坦な口調で、ぶっきらぼうに人形を差し出す。

 すると、それを受け取った男の子は俺を見て一言こう言った。


「あ、うん。あす」


 あす!? 一体どういう意味だ。まさか『ありがとうございます』を略して『あす』なのか!? 


 こんなクソガキにまで冷たい態度を取られるなど、前世よりもひどいじゃないか……だが、俺の心はまだ折れていない。


「平気か?」

「あっ、はい。心配していただきありがとうございます」


 なぜなら、最初から俺の目標はひったくりの被害に遭った子供のお母さんだったからだ。

 第三者である女性からの性愛は、あくまで副産物。メインは自分の目の前にいる人妻。しかし安心してほしい。俺は紳士であるからして、人妻に手を出そうなどと邪な考えは持っていない。

 あくまで、今世において女性から性愛を向けられるだけの魅力が俺にあるのか、それを確かめたいだけなのだから。


 思い出すんだ、あの時村を助けてくれた冒険者の挙動を。俺のライバルであったフロードの言動を。

 

「ぁあッ、あの」

「は、はい……」


 緊張のせいか、第一声で躓いてしまった。思わず声が上擦り、人妻さんに要らぬ警戒を抱かしてしまったようだ―――いや待てよ。緊張? なぜ俺が緊張しているんだ。


「えっと、どうかされました?」


 膝を石畳につけて子供の背中をさすっていた人妻さんが、こちらを伺うように見上げてくる。


「あっ、いえ。ちょっと考え事をしていただけだ」

「ふふっ、それならよかったです。本当に息子のためにありがとうございました」

「と、当然のことをしたまでだ」


 口元を手で隠しながら微笑む上品な仕草に、思わず心と下半身がキュッと締め付けられる。母親にお礼を言うように促された少年が俺に何かを伝えているが、全く耳に入ってこない。この人妻さんを見ていると、甘酸っぱい感情が脳内を刺激しているような気がして、不思議な高揚感に包まれる。


 もちろん、この感情の正体に気付かないような鈍感な俺ではない。


 その感情の正体は『恋』


 『吊り橋効果』ならぬ『綱渡り効果』とでも言おうか。

 初対面の相手に嘔吐かれ、民衆からは冷めた目を向けられる。そんな俺にとって、この人妻さんが最後の希望なんだ。彼女に拒否されれば、俺は奈落の底に突き落とされてしまう。もしかしたら錯覚なのかもしれない。しかしそんなことはどうでもいいんだ。誰がどう言おうと、俺は人妻さんに『恋』をしてしまったんだから。

 手を繋いでテートをしたり、家で一緒にごろごろしたり、キッスをしたり、いずれはその先も……


 加速度的に妄想が捗る。気が付けば、目の前にいる鼻たれ小僧まで、なんだか愛らしく思えてきた。


「―――ふっ、我が息子よ」

「ぱぱぁ?」


 未来の息子の頭を一撫でした俺は、改めて人妻さんに向き直った。


「奥さん。もしよろしければ、この後お茶でもいかかですか?」

「いえ、夫がいるんで」


 この瞬間、俺はこの世で生きる気力を失った。




「……私の、王子様」


 少し離れたところから向けられる、情熱的な眼差しに気付くことなく。


 

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