第6話 モテイベント発生!

 見事、魔法を発動させることに成功した俺は、あの薄暗い小部屋から抜け出し、ひたすらにの中を進んでいく。あの部屋が暗くて助かった。


 俺が今世で獲得した魔法の正体とは―――影系統の魔法。

 なるほど、確かに前世の俺とは真逆の系統である。炎魔法がこの世のすべてを明るく照らすものならば、影魔法はその全てを喰らい尽くす冥暗。


 そんな見たことも聞いたこともないような魔法を、まるで自分の手足のように使えている現状を、俺はどこか俯瞰的に眺めている。これは比喩でもなんでもなく、文字通り俯瞰しているのだ。陰に潜んで移動する自分を中心に、周りの状況がぼんやりと分かる。どこに陰があり、人がいるか。それらがまるで手に取るように分かるのだ。

 

 一瞬、地面の下からスカートを覗けたら……と下種な欲望を抱いてしまったが、紳士である俺は、すぐに思考を切り替える。


「ここら辺でよさそうだな」


 陰に潜っている間、いくら俯瞰の状態とは言え、その景色が鮮明なわけでは無い。

 広い道をたくさんの人間が行き交っており、道の端で止まって何かやりとりをしている者もいる。視界にぼんやりと映る光景から推測するに、恐らくここは大通りの市場か何かだろう。

 

 人影や物陰を利用することで、通りに繋がっている細道に移動した俺は、周囲に人間の気配がないことを確認して魔法を解いた。


「はぁ……ふぅ、これは、かなり魔力を消費するな」


 陰から浮かび上がった俺は、壁に手をついて軽く息を整える。 


 陰へ潜む魔法―――いや、【陰歩法いんぽほう】と名付けたこの魔法は、俺が転生してから初めて使用した魔法であり、これからも様々な場面で助けてもらうことになるだろう。

 ついでにこの名前は決して下系のソレではなく、至って真面目に命名したとだけ釈明しておく。


「―――懐かしい空気の匂いだ。百年前と何も変わらない、【アプロ】の匂い。それにこの街並みも」


 細道に差し込む幾つもの光芒に誘われた俺を待っていたのは、転生前と何も変わらないダンジョン都市【アプロ】の光景だった。石畳の道の上を、たくさんの喧騒が飛び交っている。市場には食欲をそそるような匂いを燻らせた屋台や、小売商人がござや台の上に色々な物を並べて商売をしている。

 やっぱりミュラさんが言っていたことは出鱈目でたらめだったに違いない。なにがショード教だ、クソがッ。

 恐らく俺の気を引きたくて、あんなことをしたんだろうな。ふっ、そう思うと結構可愛らしいじゃないか。

 

 そんなことを夢想しながら、俺は街道を進んでいく。

 百年前と変わらない様子に、俺の心は踊る一方だ。何も変わっていない。前世の俺が神様になっているなんて、絶対にない!


 まさに世界一のダンジョン都市であるアプロにふさわしい……そう、ふさわしいはずなんだけど、そのはずなんだけどさ。


「らっしゃぁっせぇ!! ショード様煎餅せんべいはどうだい!」

「こっちはショード様の秘伝のたれを使った串焼きがあるよぉ!」

「そこの奥さん! このショード様人形をお子さんにどうですか?」

「ママー! 僕これ欲しい! 僕も強くなってショード様みたいなかっこいい冒険者になるんだ!」

「ふふっ、それじゃあ一つ頂こうかしら」


「い、いやいや。幻聴に違いない……」


 気が付いたら、俺は頭を抱えながら、市場の中心を歩いていた。足の裏が地面を踏みしめるたびに、『ショード様、ショード様』と、聞こえてはならない単語が鼓膜を通過していく。その言葉が耳に入り込んでくる度に、俺の足取りは泥沼に浸かっていくように鈍くなる。


「そこの綺麗なあんちゃん! 一つ買っていかねぇか」

「……俺のことか?」


 振り返ると、先ほどから「ショード様煎餅!煎餅煎餅!!」と呪われたように、叫び続けている屋台の店主が俺を手招きしていた。


「そりゃそうさ! お前みてぇにふにゃっとした奴は、他にいねぇさ! このショード様煎餅を食って元気だしな!」


 周りの喧騒に負けず劣らずの大声で、店主が唾を飛ばしながら俺に話しかけてくる。ゔっ、汚いな……俺の前世もこんな感じだったんだろうな。


「先ほどから『ショード様』という単語が聞こえてくるような気がするんだが、これは一体何なんだ?」


 明らかに罠であろう宝箱を開けるように、恐る恐ると言った感じで店主に問いかける。


「はぁ!? おめぇどんな田舎で育ったんだよ。ショード様と言えば、ショード教の主神であり、このダンジョン都市の英雄―――ショード・バーン様だろうが!」

「英雄……」


 店主が両手を広げて、自分のことを自慢するかのように、誇らしげに語りだす。

 雲の隙間から溢れる日差しを全身に浴びた俺は、一瞬目を瞑る。


「英雄というのは、一体どういうことだ」

「そりゃ、色んな冒険者が徒党を組んで挑んだダンジョンを、たった一人で攻略したんだ! 英雄以外の何者でもねぇだろ!」

「そう、なのか……」


 認めたくないけれど、認めざるを得ないのかもしれない。最初から分かっていたんだ。彼女が言っていたことが嘘じゃないことくらい。

 だっていくら気を引くためとはいえ、当人の眼前で嘔吐く奴なんているわけないんだから。

 しかし希望を完全に捨てたわけでは無い。間違いなく、二百年前まではフロードのような寡黙でミステリアスな男性像が、女性にとっての理想だったのだ。ダンジョンを制覇して得たこの価値観だけは、決して間違っていない。

 

 そう、ミュラさんが異常なだけなんだ! 彼女の敬虔さが常軌を逸しているだけで、たった二百年でモテの価値観がひっくり返るはずがない……はずだ!


「ど、どうしたあんちゃん。急に笑い出して」


 おっと、どうやら感情が溢れてしまっていたようだ。ミュラさんのせいで削られた自信が、希望が、再び湧き出てくるような感覚に襲われる。


「いや、ちょっと忘れ物をしてしまっただけだ」

「お前、忘れ物をして笑うってどんな感性してやがるんだ……」


 どうやら俺のウィットに富んだ表現を、店主は気に入らなかったらしい。顔の中心に皺を寄せて、若干距離を取る。


「しかし、ショード・バーンが英雄と呼ばれる理由は分かったが、この二百年の間でどうして神にまで―――」

「キャー! 誰か止めてーー!! ひったくりよー!」

「ひったくりだと?」

 

 俺の言葉を遮る鋭い叫び声が、大通りを突っ切るように通り過ぎた。

 市場にいるほとんどの人間が、声のする方に振り返る。その光景を見るに、どうやら直接的な被害を受けたのは声の主ではなかったらしい。


「ぼぉくの人形と煎餅がぁぁあ!! ショード様のやつなのにぃぃいい!!! ぶへぇええええ!!」


 前世の俺がモデルとなった人形と、前世の俺の顔が刻印されている煎餅を抱えた薄汚い中年が、こちらの方向へ走っている。うわっ、煎餅バッキバキじゃないか。


「ったく、白昼堂々にいい度胸じゃねぇか。軽くひね―――」


 店主が拳をボキボキと鳴らして、獰猛な笑みを浮かべる。

 

 しかし、それを俺は許さなかった。筋骨隆々な店主を片手で制し、その代わりに前へと飛び出す。


「待て店主。ここは俺に任せろ」





 






 




 


 

 









 

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