第5話 変わった少年。

 身分を証明できるものはなく、当然転生したばかりの俺に知り合いがいるはずもなかったため、話は平行線を辿った。しかしそんな中でも分かった情報がいくつかある。 

 まずは先ほどから俺と話している看守風の女性。彼女の名前はミュラ、年齢は29歳。この街で自警団のリーダーをしているらしい。ずっと後ろで控えている男は、やはり彼女の部下で間違いなかったようだ。

 

 今回の一件は、街の住人から『全身ずぶ濡れの全裸の男が、の像が建てられた噴水から飛び出してきた』という通報を受けてのことらしい。なんだか途中に気になるワードがあったが、今はそっとしておこう。

 

 そしてもう一つ。やはり彼女が俺の顔を見ても全く興味を示さないのだ。

 鏡で自分の顔を確認したが、微生物でさえ惚れるであろう、究極の美貌だったのは間違いない。

 まぁ、今の俺の肉体年齢は十七歳。一回りほど年が離れているから、そもそも性的な対象から除外されているのだろうか。


「――――ったく、身分を証明できるものも、知り合いもいないなんて、一体どんな人生を歩んできたんだ。まぁ、噴水から全裸で飛び出す人間が普通の人生を歩んでいるわけないか」


 悔しいが、言い返す言葉がどこにも見当たらない。ここで「俺、百年前から転生してきたんだぜ。ははっ」と言えたらどれほど楽だろうか。しかしこの状況でそんなことを言ってみろ。今度こそ終わる。


「そういえば、貴様の名前を聞いてなかったな。言え」


 ルネットが書類を作成しながら、俺に名乗るよう命じた。


「俺の、名前か……」


 ミュラにそう言われて、俺は少しの間、頭を悩ませる。「一々悲壮感を出しやがって……」と、喉の奥から絞り出すような呪言が聞こえるが、思索に耽る自分に酔っていてあまり耳に入ってこない。


 どうするべきだ。前の名前をそのまま使うべきか? しかし腐っても前世は特級冒険者だったんだ。この街のダンジョンの最初の踏破者でもあったわけだし、それなりに名前が通っているかもしれない。しかし――――


「俺の名前は、ショード・バーンだ」


 ミュラの眼を見て、ハッキリとそう言い切った。確かに暑苦しい名前だし、前世で俺の覇道モテロードを阻んだ一つの要因かもしれない。

 それでも、これが俺の名であることに変わりない。前世の俺を形作り、今世まで導いてくれた大切な名だ。体と熱血は捨てても、魂まで捨てるつもりは無かった。


「それは、本当か?」


 そんな俺の顔を見て、ミュラは豆鉄砲でも食らったかのような呆けた表情をしている。後ろで待機している部下の男も、心なしか表情が青ざめている気がする。確かに容姿と名前に大きなギャップがあるかもしれないが、そこまで驚くことはないだろうに。


「あぁ、に誓って」


 俺を転生させてくれた女神アプロに誓って、胸の前に手をかざす。

 

 そう、俺の名前はショード・バーンなんだ!


「――――死すべし!!!!!」


「ぶべっ!!!!!」


 そして、俺はぶっ飛ばされた。



***



「――――おい。あっ、起きたか。私のことが分かるか?」

 

 ぼやける視界に、俺を覗き込むような薄っすらとした輪郭が見える。なんだか右頬の辺りがズキズキするが、何とか言葉を絞り出す。


「ゔっ、厚塗り化粧……?」

「そうか、あと三千発くらいは耐えられそうだな」

「待ってリーダー! 桁がおかしいことになってるから!」


 顔の上でぼんやりと振り上げられる拳を視界に捉えた俺は、淀んでいた意識を覚醒させる。


「と、とりあえず落ち着いてくれ。きちんと話し合えばわかるはずだ」

「……ふんっ」


 痛む右頬を押さえながら、何とか立ち上がり元の位置に戻る。


「それでミュラさん、あなたはどうして俺のことを殴ったんだ」


「どうして、だと? 貴様がショード教の主神であり、我が愛しのショード・バーン様を騙ったからだろうが」

「……ショードキョウ? ワガイトシノ?」


 一体何を言っているんだこのアンポンタンは。それだと俺と同姓同名の何かを主神とする宗教が存在する、みたいじゃないか。


 ありもしない現実を否定するように、思考を強制的に切り替える。


 『アプロ』と『ショード・バーン』なんて、適当に聞き流したら大体同じ発音だろうし、俺の空耳だろうな。うん、それにここはダンジョン都市【アプロ】なんだ。アプロ教が支持されていると考えるほうが自然だな。


「……なるほど。つまりダンジョン都市である【アプロ】は、主にアプロ教が信仰されている、ということだな」

「話を聞いていたのかクソ虫が。アプロ教が信仰されていたのは二百年も昔のことだろうが。現在この街で主に信仰されているのは【ショード教】だ」

「えっ?」


 はてはて困ったもんだ。さっきから出てくるショード・バーンっていうのは一体何のことだ。俺が知っているショード・バーンと言えば、あのむさ苦しい大男しか思い浮かばないのだが。 


「因みにだが、そのショード・バーン……様というのは、この街にあるダンジョンを初踏破した、あの特級冒険者の……?」

「ん? 当たり前だろう。あのショード様以外にどのショード様がいらっしゃるんだ。はぁ、私もできることならショード様の生きている時代に生まれたかった……」


 ミュラが乙女のように顔を赤らめて、背の低い天井を見上げる。さっきまで俺の顔を見て嘔吐いてたとはとても思えない。


「どう、なっているんだ……」

 

 彼女が赤面するに比例して、俺の心臓の鼓動が早くなる。


 二百年ほど前に廃れてしまった【アプロ教】、その代わりに台頭した『ショード・バーン』という名の神を崇めるショード教なるもの。前世の俺とは正反対の容姿に対するミュラの反応。


 ガコンッ……!!


「ど、どうした。ゴブリンみたいな荒い息を吐きやがって……おぇっ、気持ち悪い―――のか?」


 俺が興奮していると勘違いしたのか、一定の距離を保ったうえで、安否を確認する。


「スゥ……はぁ」


 深呼吸をすることで、一旦心を落ち着かせる。大丈夫。周りもだんだん見えてきた。ミュラが俺の顔を見て嘔吐く様子まで見えてしまったのは少し悲しいが。


「一旦落ち着きました。それよりもミュラさん、今回の俺の処分はどうなるんですか?」

「処分? とりあえず貴様の身分がハッキリするまで解放するつもりは無いぞ。この変態が」


 そうなると、俺は死ぬまでここに閉じ込められることになるな。


「それに相手を不快にさせる幻惑系統の魔法を使うようだし……」

「リーダー、あなたの気分が悪いのは魔法ではなく、この少年を生理的に受け付けないだけかと」


 いったい何なんだこの空間は。魔界なのか。転生して早々、すでに俺のライフポイントはゼロに近づいていた。


 こうなったら、を使うしないか。


 一か八かだが、それ以外に方法がない。


 俺は目を閉じると、感覚を研ぎ澄ませた。身体の中を蠢く魔力を把握し、それをコントロールする。どうやら前世で培った魔力操作に関しては、何の問題もないようだ。

 体中を魔力が巡り、頭の中では転生直前の女神との会話が再生される。


『来世のあなたに合った特殊な魔法をプレゼントするのでご容赦ください』


 特殊な魔法―――その正体を、俺は本能的に分かっていた。

 一々確かめる必要などなく、感覚的に、その魔法がどんなものであるかは俺自身が教えてくれていた。新たな肉体に宿る、前世とは異なる魔力を掴んだ俺は、確信する。

 

 深く椅子に腰掛け、前世の自分の動きを辿るように、自然に、無意識に、魔法を現世に展開させる。



******




 とても不思議で気持ち悪い少年だった。私のタイプとは限りなく反対であるが、時代が異なっていれば、さぞかしモテていただろう整った容姿。これだけ目立つ外見をしているのならば、噂の一つや二つ広がっていてもおかしくなさそうだが、残念ながら見たことも聞いたこともなかった。さらに裸で噴水から飛び出し、己の身分を証明するものも一切ない。


 そして何よりも―――


「あまりにも不気味だ……」


 人畜無害そうな見た目とは裏腹に、その瞳には数々の修羅場をくぐってきたような力強さがある。更に注目すべきは魔力の質。こいつの身体の中を流れる魔力は感知こそ出来るが、あまりにも不気味で、そしてあまりにも馴染みすぎている。


「―――な、なんですかこれ!」

「貴様! いったい何を企んでいる!」


 そんな時だった。部下であるダウンと、目の前の少年についての処遇を話し合っていたところ、少年が何かを仕掛けているのが分かった。

 何か悪い予感がする。言葉より先に手が動いていた。ガタンッとけたたましい音を立てながら椅子から立ち上がるも、その手が少年の肩に触れる直前、唇に何かが触れた。


「―――しっ、この続きは二人きりの時に」


 少年の細くて白い人差し指が、空気の壁を通り過ぎて、私の唇へと沈んでいった。

 

 その言葉を最後に、少年の姿は忽然と消えてしまった。


「ゔぅ、おぇ―――おろろろろろろろろ」

「こんなところで吐かないでー!」


 少年が消え、狭く薄暗い部屋に残ったのは、黒い衣装に身を包んだ二人の人間と、床に広がる酸味の効いた吐瀉物としゃぶつだけだった。



 


 


 

 

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