第8話 抑圧からの解放。それ即ち全裸

「くそっ、なんで結婚なんてしているんだ。人妻なんて……くそっ、人妻なんてっ!」


 陰歩法いんぽほうを使って、市場から抜け出して裏道にたどり着いた俺は、地面にうずくまり、不純物を吐き出すように自分の拳を傷つける。

 そんな俺の愚行を馬鹿にするように、両脇に立ち並ぶ背の高い建物が、こちらを見下ろすように密集している。


 「終わった。何もかも終わった。もうこの世界で俺がモテることはない。結局同じなんだ。どう足掻いたところで、俺がモテることは決してない。そういう宿命なんだ……」

  

 身体を支えていた膝は力を失い、地面にうつ伏せになった俺は、冷たい石畳と熱い接吻を交わす。

 俺が異性にモテることは決してない。幾度となく輪廻を繰り返したところで、俺は俺でしかないんだ。


 前世ではモテるためだけに研鑽を積んだが、ついぞ夢が果たされることはなかった。しかし努力は決して無駄ではなかった。積み上げた【熱血】が来世に希望を繋ぎ、転生するに至った。

 しかし、外見の変わった今世で、今度こそバラ色の人生を送ってやると意気込んだ矢先にこれだ。まさか転生したら、前世の自分が原因で理想とされる男性像が逆転しているなど、一体誰が想像できるだろうか。


「ふ、ふふふっ。あははっはははっは!!!!!!! もうどうにでもなってしまえ! 俺がモテない世界なんて消えてなくなってしまえばいいんだ! アハハハハ、アハハハッ!」


 負の連鎖が脳内を駆け巡り、そして何かが壊れる音がした。


 その時にはもう、衣服は身に着けていなかった。自警団から支給された灰色のローブを脱ぎ捨てた俺を縛るものは、もう何もない。


「もどせぇぇえ!! 俺を転生前の姿に戻せ女神アプロォォオ!! さもなくばこの世界をぶっ壊してやる! アハハッ! 俺の裸を見て喚け! 慄け! 吐き散らかせぇぇええ!!!!」


「キャー! 変態よー!」

「誰か! 自警団を―――ゔぅぇえ」


 奇声を上げて、迷路のように入り組んだ密集市街地を全裸で駆け回る。何事かと不思議に思った住人たちが、窓から顔を覗かせて絶叫し、嗚咽を繰り返す。

 

「フハハハハハッ! もっと見ろぉ! 俺の痴態をその目に焼き付けろぉ!」


 時折、影歩法を応用して身体を陰の中から出し入れすることで、気持ち悪さに緩急をつける。

 その度に、言葉にならない快感が全身を駆け巡る。もしかしたら、俺が本当に求めていたのは、モテることではなく自分を解放することだったのかもしれない。


 前世はモテるためだけに、自身を偽り続けてきた。そして今世でも同じような人生が繰り返されるかもしれない。

 考えるだけで頭が割れそうな思いだった。どうして俺なんだ。なぜ俺がここまで苦しまなくてはならない。そして、その末に訪れたのがこれだ――――


 抑圧からの解放。


 モテる? はっ、そんなの今更考えたところでどうなるんだ。どうせ俺はモテない。一生女の子とエッチをすることだってできないんだ。

 だったらその天命に従ってやろうじゃないか。世界の理が、俺にモテることを禁じるというのであれば、自らその道を辿ってやろう。


 そのために俺は走り続けた。走って走って、走り続けた。




「――――はぁ、はぁ。ははっ、一体俺は何をしているんだ……」


 壁に手をついて、自嘲するように乾いた笑みを浮かべる。

 

 20分ほど走り続けただろうか。転生したばかりの肉体は、前世に比べて体力が少なく、もちろん魔力だって比べ物にならない。すでに息も絶え絶えで、立っていることがやっとの状態だった。

 

 歩く気力すらなくなった俺は、壁に寄り掛かって地面に座る。皮肉なことに、むき出しのお尻が地面と接触することで、熱の籠った身体を少し冷やしてくれる。


「ははっ、これじゃあ転生した直後の二の舞だな」


 今頃『全裸の男が路地を駆け回っている』とでも自警団に通報されていることだろう。

 まぁ、それもいいかもしれないな。知り合いもおらず、この世に希望を見出せなくなった俺にとって、そんなの些細な問題だった。煮るなり焼くなり好きにしてくれればいい。


 それから十分後、ある程度体力が回復した俺は、自警団に捕まるまでの間、意味もなく路地を徘徊していた。もちろん全裸で。


「――――ん? あれは一体なんだ……」


 迷路のように入り組んだ路地を何度も曲がったところで、気になる光景を発見した。それは思考を放棄し、生への執着を失いかけていた俺を引き留めるには、大した光景ではなかったかもしれない。

 

 しかし、この出会いが俺の第二の人生を大きく左右することになるとは、この時は思いもしなかった。



「これが例のブツだよ」

「中身を確認させてもらうわ……ふむ、今回も上出来ね。これは報酬よ」


 暗い路地に溶け込むような薄暗いローブを身に纏った二人組が、何やら怪しい取引をしている。二人にバレないよう気配を絶ち、顔だけを突き出して様子をうかがう。

 

 目を凝らしてよく見ると、その内の一人は女性のようだった。前世で培った俺の観察眼が、ローブ如きに阻まれることは決してない。ローブ越しでも分かる肩幅の狭さに、外側にやや傾いた鎖骨。そして何よりも、胸の辺りのふくらみは、男がいくら鍛えたところでたどり着くことの敵わない境地。


 女という生命体を目にして、怨嗟の炎が再び胸の中に疼きだす。自警団が到着するのもどうせ時間の問題だろう。だったらやることは一つ。彼女にも俺という存在がこの世にいたことを脳裏に刻み込んでもらおう。


「くくくっ、見せつけてやる。全てに見放された男の最後の抵抗ってやつをな」


 衣服を身に纏っていないことを改めて確認し、再び【陰歩法いんぽほう】を使用することで、陰の中に潜り込む。相手に決して悟られないように、ゆっくりと、そして確実に近づいていく。


「―――次のターゲットには、私自ら指名したい人物がいるの」

「へぇ、君が特定の人物を指定するなんて珍しいね。僕も気になるな」


 女性の方が何やら要求をしているようだが、その内容は俺の知るところではない。俺はただ見せつけるだけ。それ以外はもうどうだっていいんだ。


 陰の中に潜み、両者の間にたどり着く。そして妖しく口を歪ませると、魔法を解除して飛び出した。


「ふははははっ!! ゾウさんだぞぉぉおお!!! ぱおーーーん!」

 

 魔法を解除することに成功し、気持ちの悪い高笑いと共に姿を現した。

 

 さぁ、悲鳴を上げるんだ!


「……王子、さま?」

「……へっ?」

 

 予想の遥か斜め上をいく反応に、俺は間抜けな声を出すことしかできなかった。





 

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