第一章 「悪魔憑き」
第1話 『消えた英雄』
暗黒の階段を、松明の僅かな灯りを頼りに降る3人の姿があった。
先頭に立ち松明を持つ男はレブンといい、歳のわりに老いた姿で焦茶色の外套を纏って、非常に外観に溶け込んでいる。現在降っている足元が見えない階段にも、通い慣れた通学路のように悠々と進んで行く。
その男について行くのは、外観とミスマッチな装いをしている女性二人組であった。
一人はアヴァン帝国第一王女、シーナ・アヴァン。歳は16歳で、暗黒の空間にも関わらず、輝きを失わない黄金の長髪にプラチナを装飾したティアラを冠っている。体格は非常に引き締まってはいるものの育ちの良さを感じさせるものであり、何より底の見えない真紅の瞳からは、深い知性を感じさせる。
もう一人はそれに仕える従者であり、帝国の第一騎士団の副団長を務めているサラ・シュライゼ。歳はシーナと同じ16歳で、アヴァン帝国の紋章がついた純白の羽織に紺青の軽装に身を包み、腰に細剣を携えている。髪は肩まで伸びた銀髪で、無駄な脂肪を削ぎ落とした細身の体からは、高い身体能力が窺える。そして、装いと同じ紺青色の瞳に、薄紅色の唇を整った配置で置いている。
しばらく無言で階段を下っていた3人であったが、ある時を境に緊張感が増していく。
「シーナ様。この先は危険ですので、私の後ろに控えてください」
「あら、サラはそんな情けない主人に仕えたいわけではないでしょう?」
「シーナ様の無事が第一優先です」
「いざとなったら守ってちょうだい」
「……畏まりました」
そんな主従のやり取りに、レブンは鼻を鳴らした。
「随分と苦労をしてるみたいだな。肝の座った王女様だぜ」
「お陰で気苦労が絶えません」
「仕え甲斐があるでしょう?」
「そんなものは求めていません」
サラが嘆息しながら答えると、階段にも終わりがきた。
「着いたぞ。こっから先はこのマスクを付けな。死にたくなかったらな」
そう言ってレブンは壁にかかったマスクを手馴れた様子で松明の灯りを使うことなく取り、二人に投げ渡す。
「異臭がするわね、このマスク」
「あー、最後に使ったやつはマスクつけたまま嘔吐してたっけな」
冗談の可能性が非常に低いその言動に、シーナは顔を顰めた。
対照的に、サラは躊躇もなくマスクを被る。
「貴方、凄いわね……」
「戦場で嗅ぎなれた匂いですので」
「さすがは私の従者、ということにしましょう」
シーナは勘弁してマスクを被り、呼吸法を口へと変えた。
「準備は整ったみたいだな」
2人がレブンの言葉に首肯すると、彼は松明の灯りを消した。そして、首から提げていた鍵を取り出す。
「いいか、ここから先は憑き者の監獄だ。顔を覚えられれば呪われるから、何があってもマスクを外すんじゃねぇぞ」
「了解よ」
「承知しました」
「んじゃ、行くぜ」
扉を開いた先には、シーナ達と同じマスクをし、両手両足を鎖で大の字に貼り付けられた人が両壁にビッシリと貼り付けられていた。
その光景は、確かに嘔吐感を襲うものであり、幾度も戦場で人の死を経験しているサラですら、多大な不快感を覚えた。
しかし、意外にもシーナは平気そうな様子で、サラはマスクの下で少し頬を膨らます。
(こういう時だけ頼りになるの、納得いかないんだよなぁ)
そんな従者の不満は露知らず、シーナは堂々たる足取りで進んで行く。
実際のところ、シーナにも当然不快感はあったのだが、帝国王である父が常日頃から口うるさく「王女という立場にあぐらをかかずに国の裏側まで知るべし」という事を言い聞かせていた事もあり、拷問官や処刑の場に幾度のなく立ち会ってきた。
シーナ達が見る光景は、戦場の死体というよりは拷問や処刑を遂行される身であるため、サラよりもシーナの方が耐性はついていた、という背景がある。
3人が進む部屋は監獄なのに牢がない異常な光景であった。囚人たちが鎖に繋がれているから不要だとは言っても、鉄格子くらいはつけるものではなかろうか。
サラがその旨を伝えようと口を開きかけた瞬間、部屋の雰囲気が大きく変化した。
「シーナ!」
そこは、公の場では十分に気をつけていたはずの外面を忘れてしまうほどの緊張感で、気がつけばサラはシーナを背後に庇う形で前に出ていた。
シーナもその雰囲気は敏感に感じ取っており、サラの背後に控える。
「優秀な従者ですね。過去には主人を置いて逃げ出した方も大勢いましたよ」
「今はその賞賛を素直に受ける余裕がありませんね」
サラは細剣に手をかけ、殺気を纏う。
その様子にマスクの中で満足した笑みを浮かべレブンは雰囲気の元凶へと声をかける。
「ルキ、お客さんだよ。アヴァン帝国の王女様と、その従者の方だ」
「……」
その元凶は、マスクこそ同じものをしていたが、漂う雰囲気から明らかに他の囚人たちとは一線を画していた。
まず、拘束器具がただの鉄ではない。彼を拘束している物は鉄糸であり、少しでも激しく動いたら手足首が切れるようになっていた。
そして首や胴体は壁に埋め込まれた大きな鉛で貼り付けられてられており、一切の身動きを許さないという強い意思を感じられる物となっている。
「これは……一体……」
「彼が、あなた方の探し人である"悪魔憑き"です」
「…………」
2人が絶句していたのは、周囲に散発されている殺気の影響もあるが、一番の原因はその男の容姿にあった。
「まさか、こんな若い人だとは……」
「はは、当然の感想だな。なんせ元この国の英雄様なんだから」
そう、その男は若かった。シーナ達は元英雄と呼ばれていた男を探しており、英雄と呼ばれる偉業にも納得する功績ばかりであった。そのため、出会う前から英雄とは20代ないし、30代の屈強な男を想像していたのだが……。
「でも、彼で間違いないのですね?」
「ああ、それは約束しよう。なんなら主に誓ってもいい」
「その必要はありません」
シーナは震える足を懸命に前に動かし、その男の目の前に立つ。
少しでも気を抜けば首を喰い千切られる、そんなイメージすら湧いてきた。
「こんにちは、私はシーナ・アヴァンと言います。あなたの名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「…………」
男からの返答の気配はない。返事を寄越す気は毛頭ないようだ。
シーナの方もその気配は伝わっており、対応を変えることにした。
「名前を聞いても良いですか? "アルフェゴール"」
その単語を聞いた途端、部屋に充満していた殺気が一気に収束し、シーナに注がれる。
「その名は出さないで貰えるかな。不愉快極まりない」
「私はこの名以外にあなたのことを知らないので仕方の無いことです」
「……嫌いなタイプの人間だ」
「あなたの好みは聞いていないのですが」
「ぶふっ」
減らず口を返すシーナの対応に、レブンは吹き出した。
「レブン、こいつらはなんだ。遂に精神の拷問でも始めるのか?」
「いーや、この人たちはただの客だよ。要件があるみたいだから聞いてあげてくれ」
2人のやり取りを聞いていたサラは、レブンの人が変わったような態度に驚いていた。
(囚人と監視官にしては、距離が近いように見えるわね。やはりここの管理を任されていることもあって、レブンにも気は抜けないわ)
「要件……ね。話を聞く前に条件がある」
「何かしら?」
「あんたら、マスクをとって顔を見せてくれ」
「……なぜその必要が?」
「素顔も知らない相手の要件を聞くほど、俺はお人好しじゃないんでね」
この世界において、悪魔憑きの目を見てはいけない、ということは常識である。悪魔憑きに目を見られると、憑いてる悪魔が乗り移る危険があるからだ。
そこで、悪魔憑きとなった人間は生涯マスクを着けるか、目を潰すかを余儀なくされる。
当然このような危険を犯す馬鹿はいない。生涯マスクをつけて悪魔憑きとして生きることよりも、重要な要件などないからだ。実際、過去には10人程度彼に面会を求めこの部屋へと訪れてきたが、マスクを外せた者はいなかった。つまりこれは、今回のような要件を断るには最高の口実となっているのだ。
しかし
「分かりました。では外します。サラも……ってもう外してるのね……」
「このマスクは臭くてたまらないので」
「同感だわ。これで文句はないかしら?」
なんの躊躇もなく、彼女たちはマスクを外したのだ。
レブンは言いつけを守らない勝手な来訪者たちにひっそりと嘆息する。だが、彼としても悪魔憑きを取り扱っているため礼儀としてマスクをしろと説明しただけであって、外すなとは敢えて言わなかった。
「…………正気か?」
「なにが?」
「お前らが悪魔憑きになるかもしれないんだぞ!」
思わず声を荒らげた男は、相手を案じるような自分自身の発言に驚いた。
男の動揺など露知らず、シーナとサラは毅然とした態度をとる。
「私の願いが叶うなら、私は進んで悪魔憑きにもなりましょう」
「主人に引けを取る従者など、私の主人は求めていないのでね」
「あら、そんなことないわよ。毎日10時まで寝かせてくれる従者なら大歓迎です」
「……寝相が悪い癖に」
「何か言いましたか?」
「いえ、特に、別に、何も」
「まあ今回は見逃しましょう」
その呑気なやり取りを見て男は呆れ半分、混乱半分で感情が追いつかなかった。
「とにかく、これで満足ですね? さて私たちの要件を聞いてもらいましょうか」
「……良いだろう。レブン、俺のマスクも外してくれ」
「それが上にバレたら僕の首が飛ぶんだけど?」
「この役の代役がでない限り、お前は安泰だよ」
「はは、ちげーねぇ」
やはりこの2人は旧知の仲なのだろう。囚人と監視官の距離感ではない。それを隠さない程度にはこちらも信頼を得られたということか。
シーナは頭の回転が異常に早い。さらにそれを常にフル稼働しているため、彼女が日中物思いにふけることはほとんどない。そんな彼女は今も、彼らの会話の所作から交渉を優位に進めるための材料を必死に掻き集めていた。
そして、レブンは拘束されている男のマスクを外した。
「初めまして。俺の名はルキ・ユナイト。悪いが先は顔を見れてなかったんで、もう一度名前を教えてくれ」
「私がシーナ。そしてこちらがサラです」
「はは、いかにもお姫様って感じだな」
ルキと名乗る男の外見は、異様なものであった。まず、髪の色が漆黒なのだ。この世界において黒色の髪を持つ者は希少で、少なくともシーナとサラにとっては初会合であった。そして、瞳の色は真紅。
まるで
「シーナ様と、同じ瞳……」
「ん? ああ俺の目の色か。生まれた時は黒かったんだがな。色々あって変わったんだ」
色々とは恐らく悪魔絡みのことだろう。
そしてそれの意味することは
「あんた、悪魔憑きなのか?」
「いいえ、私の家系では稀に真紅の瞳を宿した子が生まれると言われています」
「なるほど、要件ってのはそれも関係してんのかね」
「察しが良くて助かりますわ」
そうしてシーナはルキへと向き合い、公然の場であるようなスイッチを入れる。
「ルキ・ユナイト、貴方にお願い申し上げます。どうか、私たちと共に悪魔狩りをしていただけませんか」
「まあ、俺に頼み事なんて言ったら、それしかないわな」
この世界には悪魔と魔獣が存在する。そして悪魔は魔界と繋がっているとされる門ゲートから出現する。その門を全て封印することが、今回のシーナたちの依頼であった。門は現時点で世界に7つあるとされており、その内の3つは既に封印済み。
そしてそれを成し遂げたのが
「ええ、3つもの門を封印した英雄。あなたの偉業は、この国がどれだけ奔走しても消えることはありません」
「……偉業、ね」
「人伝ですが、貴方が悪魔憑きとなった経緯も聞きました。門の封印には悪魔の力が必要であると」
「そうだな。普通の人間には出来ない」
「なぜ、そうまでして、門を封印しようと思ったのですか?」
「おい、俺の話かよ」
「聞かせてください。お願いします」
シーナはルキの瞳をじっと見つめる。サラもレブンも、口を挟まずその様子を見つめていた。
すると
「なんだ? 勿体ぶらずに話してやれば良かろう」
突然ルキの背後から声がしたと思えば、そこには深紅の瞳に純白の髪をした女性が霊体のように存在していた。
「バカ野郎! 勝手に出てくるな!」
「別に妾を見ても死ぬ訳でもないし、良いではないか」
「そういう問題じゃねぇ!」
女性、と表現したがシーナやサラが見るにその姿はまさに
「あ、悪魔」
「ほう。どうやら妾以外にも悪魔と対峙した経験があるようじゃの」
「はぁ。お前が色物好きだと言うことをすっかり忘れていたよ」
「どちらかと言えば男である主の方が、色物には反応するべきなのではないか?」
「そんな欲はとっくに消え失せたよ」
悪魔憑きとは、文字通り悪魔に取り憑かれた人間のことである。それは精神を悪魔に支配された人間のことであり、普通は会話すら不可能な状態にある。
ルキに関しては、門の封印に失敗して悪魔憑きになったという噂であったが、
「やはり、悪魔を使役しているのですね」
「使役ってよりかは、付きまとわれてるだけだ」
「つれないことを言うな。妾と主の仲じゃろうが」
「全く、内側から見てればいいものを」
「久々の来客に妾も会話して見たくなったのじゃ」
「でもまあ、何となく気づかれていたみたいだな」
そこでルキはシーナに視線を移すと、彼女は頷いた。
「ええ、私達も封印を試みましたから」
「その若さで関心よのう。いや、主も初めてはあのくらいであったか?」
「ああそうだな、あいつらくらい歳でお前に取り憑かれちまったな」
「全く、嫌な出来事みたいに言うでない。自分から妾を欲したくせに」
「ちょっ、変な言い方するんじゃねえよ」
ふと、サラが視線を横にやると、レブンはどこからか椅子を持ってきて座りながら本を読んでいた。
「ああなると長いんだ」
「そのようですね」
レブンの嘆息に苦笑で返し、サラはその様子を観察する。彼らの様子は親子か姉弟のようであった。
「して、金髪の娘。要件を言うが良い」
「お前が仕切るんじゃねぇ」
「では、改めて。ルキ・ユナイト、あなたに依頼したいのは世界にある門全ての封印です。そのための手助けをして頂きたい」
「俺が封印に失敗してこうなってるの知ってて言ってるのか?」
「存じております。ですが、やはり封印にはあなたの力が不可欠です」
「ふーむ、良いではないか? どうせ貴様もそろそろ動くつもりであったんじゃろ? いい機会ではないか」
「何でもかんでもペラペラと内情を明かすな! それは俺が決めることだ」
ルキは疲労から大きなため息をつくと、シーナに視線を向ける。
「動機を聞かせてくれ」
「当然ですね。話せば長くなるのですが、端的に言えば母を殺すためです」
「ふっ。これまで見てきたやつは、世界平和と言っていたぞ」
「そんな取ってつけたような付随的理由よりも、貴方には本心を伝えた方が良いかと思いまして」
「ふむ。好感の持てる娘じゃな。気に入ったぞ、採用じゃ」
「こいつ勝手に……。まあ好感が持てるのは事実だな」
(この2人組チョロいのでは……)
レブンに用意してもらった椅子に腰かけながら、サラは思った。あの悪魔が出てきてからルキは振り回されっぱなしで、完全にシリに敷かれている。シーナもルキより悪魔に対して印象を良くするよう努めているのが伝わってきた。
「なぜ母親を殺す?」
「母は、悪魔です。私の瞳を見ていただければ納得なさるでしょうか」
「……まあな」
何となく察しはついていた。彼女の瞳はあまりにも、ルキに似すぎているのだ。そして悪魔憑きであるルキに似ているということは、当然悪魔に似ているということになる。
「母はまだ、悪魔だとバレたことに気づいてはいません。でも、それも時間の問題でしょう。なにせ……」
「お主が他の悪魔を見たことに気づくいたから、じゃな」
「その通りです。悪魔を見る前までは、自分の瞳になんの疑いも持ってませんでした。ただ、悪魔の瞳を見た日、私は確信したのです。自分は悪魔の娘だと……」
「だが、母親が悪魔だとしても、何不自由なく暮らせていたならそれでいいじゃないか」
「ええ、そう思っていました。しかし、私は母の計画を知ってしまったのです」
「計画?」
「ええ。その計画が実行されれば今ある門は全て解放され、人類を滅亡させるのです」
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