第32話

「昨日はごめん」

 私は陸に寝ていない、ねっとりとした脳味噌で考える。こういう時、何と言うのが正解なのか。

「謝るくらいなら、しなきゃいいのに」

 これは違う。私が高校生の頃に付き合っていた男の子に言われた言葉だ。なんてセンスのない言葉なのだろう。

「別に気にしてないわよ、そんなの」

 そんな事ない。私だって何かしら傷ついているはずだった。でも何に傷ついているのか全く見当がつかない。そして何より心当たりがちゃんとあって、謝っているであろう相手にそれを態々いう必要も併せて考える羽目になるから却下だ。

「こっちこそ、ごめん」

 そう口走りそうになったが、一体何に対しての「ごめん」なのか。出したいって言ってたのに出させてあげられなくて? そんな間抜けな発言ってない。


 私は私のまるで役に立たない頭を横に何度か振りながら「あのね、私は傷つきやすい思春期の少女でもないし、ましてや処女じゃないのよ、昨日の一件が事故だって事ぐらい判るわよ。だから気にする必要もないし、あなたが悪い訳でもない。謝られたら逆に恥ずかしくなるからやめてよね」そう笑いながら言ったが、特段何も可笑しくはなかったし、無駄だらけで、全てに於いて慈悲がなく、世の中の下衆と呼ばれ野暮に扱われる物をしっかり詰め込んだ様な言葉を自分が言ったのかと思うと血の気が引いた。


「それでも、ごめん」と言うので、私の頭の中の誰かが「何に対しての謝罪なのか、一から全部その口で説明してみろ」と言った。酷いな。一体誰だ? そう頭の中の誰かに訊くと、それは子供の頃、父親に良く言われた言葉で、だけど娘の私にはそんな事を強要させる趣味はなかった。


「ところで、具合はもういいの?」もうなんの期待も持てない私の頭を置き去りにして口だけを動かすように訊くと、田口は「わからない」と言った。


「こういう時は水を掛けられるなり、罵られた方がずっとマシだよ」と誰かが言った。置き去りにしたはずの、私の頭の中の誰かだった。


 私はまた何かを少しずつ、致命的になるように間違えているような気がしたが、もうこれ以上はどうにもできなかった。


「明日、伊藤に会うよ」

 今度は一体誰だ。と、私は私の頭の中を見てやろうとしたが、それは私にしっかりくっついているので無理だった。でも、声は確かに前から聞こえた。

そう、それを言ったのは田口だった。


「逃げるの?」と、誰かが言った。「違う、進むのよ」と、私は誰かに言い返した。


 強引だけど、進んだのよ。と。

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