第22話

 そこからまた一週間、田口は良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、それでも大きな発作もなく、食べる量も活動時間も少しずつ――ビーカーにスポイトで水滴を垂らすような変化ではあるが――増えているように見えた。ストーブを欲しいという発言から今日まで三回ほど、田口に今後の事を尋ねるチャンスはあったが、私はそれを物に出来ず悉く潰していた。

 その間、佐々木さんと一度電話をし、伊藤さんは相変わらず急かす事なく私の報告だけを聞き、当の私は一枚の絵を仕上げ、納品が終わった翌日が今日だった。最近の田口は早起きで、私は台所で鮭を焼き、鱈子を炙り、それらをおにぎりにの具にしているところだった。

「おはよう、今日は早いね」と、田口が言い「ねえ、顔を洗ったらソファに出しておいた服に着替えて出かけるわよ」と返した。

ソファの上には着古したメンズサイズのカリマーの厚手のプルオーバーと、パタゴニアのフリース、ボアの付いた半ズボンと、昨日買ってきた厚手のタイツと靴下が置いてあった。

「昨日靴を買いに行ったのって…」と、田口が怪訝そうな声を出すので

「それはまた別の話ね。これから真冬が来るっていうのに、いつまでトイレのサンダルみたいなもので過ごすつもりだったのよ。仕事よ、仕事。人手がいるの、付き合ってくれる?」

「山にでも行くの?」

「そうなるかもしれないわね」私がそういうと、田口はそれには返事をせず、代わりに大きなため息を吐いた。私はそれに気づかない振りをして、竹皮でおにぎりを包んでいると「こんなのどこで買うの?」と、いつの間にか背後に立って訊くので「インターネット」と短く答えた。


 一人で行きなよと本当は言いたいけれどそう言い切れない田口の気遣い癖をなんとか手繰り、三鷹行の総武線に二人で乗り込むと「あっちの電車じゃなくて良かった」と言い「ああ、今通勤ラッシュだからね」と、丁度ホームに止まっていた東京きの中央線を眺めながら答える。あたりは漸く明るくなり始めたばかりで、こんな時間から通勤ラッシュが始まっている事を、勿論私だって知りもしなかった。「普通の会社って、十時くらいから始まると思ってた」と言うので「そんなことしたら、この世からアフターファイブっていう言葉が消えちゃうわよ」と言い、どうやら私の方が世間的常識はあるのだと一人でどんぐりに見立てた田口と背を比べていた。「井の頭公園にでも行くの?」と言うので「まさか、あんなところに何の仕事があるのよ。そもそも、だったらあと五時間後くらいに家を出るわよ」と私は言った。

 三鷹駅で中央線に乗り換えると、高尾で降り、中央本線に乗った。

「こんな方まで電車で来たのは初めてだ」と言うので、ボックス席に隣り合って座ると、私はリュックサックからおにぎりを出して、田口に渡した。

「ここで食べるの?」

「そうよ、田舎の電車はそういう事をしてもいいのよ」と呆れた後で「あれ? あなたもどこかの地方から来たんじゃないの?」と訊いた

「まあ田舎は田舎だけど、地方っていうのかな、埼玉だよ。春日部」

「なんだ、都会じゃない」

「田舎だよ、でもここまでじゃない」と上野原の山間の景色を見ながら田口は言った。

「たかだか数時間なのに、こんなに景色って変わるんだな」と言い「あ、これうまい」と鮭のおにぎりを頬張った。「ちゃんと手に水をくぐらせて、塩と一緒に握るのよ。あと、海苔をね、すこし火で炙るの。そうすると嘘みたいにおいしくなるのよね、おにぎりって」そう言いながらペットボトルのお茶を手渡すと、ふと思い立ち「ねえ、寄り道してもいい?」と訊いた。「構わないけど、仕事の時間は大丈夫なの?」と言うので「問題ないわ、少しくらいなら」と答えた。

 中央本線の中でも古い型の電車に乗ったおかげで、時折大きな音を立てて電車が揺れた。車内はニスや不特定多数の他人の人生の一部を大量に詰め込んだ様な、古い電車特有の匂いが充満し、皮膚に刺さるような冬の強い日差しが窓から零れ、目の前の埃を白っぽく照らしていた。

 私はアナウンスが「猿橋」と唱えると、田口の肩を叩き「降りるよ」と言った。無人駅を抜け北口に出ると、そこは平日の「それ以外は特に何もない」観光地に良くある「がらんどう」とした景色が広がっていた。私たちは最後に客を乗せたのがいつかも思い出せないようなタクシーに乗って「猿橋まで」と言った。

十分もしないうちに到着し「十五分程で戻るので、待っていてもらいたい、メーターはあげたままでいいので」と運転手に伝えた。

 田口は駐車場にそびえたっていたカラフルなオブジェを見て「何これ、三猿塔?」と横に添えられた看板を読みながら、眉間に皺を寄せていた。私は目の前に灰皿が置かれているのを見ると、煙草を吸い、田口にも一本手渡し、火をつけてやる。

「なんだっけ、あれ、似た様なやつ、学校にあったな。名前は横文字だったけど……」

「ああ、トーテムポール?」

「そうそう。それ、そんな名前だったっけ。あれとは違うの?」

「似たようなものじゃない? 文化的伝承って意味ではね。トーテムポールは、建てた人やその家族の出自や出来事などを記録して伝えるためのものだったはずよ。コレが違うとしたら、建ってる場所ね。トーテムポールは家の中や前、墓地なんかに建てるのよ。

 でも……、この塔とこの塔にまつわる伝承、噛み合ってないわね。これじゃ只の見ざる聞かざる言わざるよ」

「なんだっけそれ」

「三猿のこと?」

「そんな名前のやつ、どこかの観光地になかった? 有名な所」

「ああ、日光東照宮」と、私は煙を吐きながら言った。

 目の前にある三猿塔と説明を受けたオブジェには、三匹の猿が縦に連なり、それぞれが自身の体の一部を押さえていた。一番上の猿が目を、二番目の猿が耳を、一番下の猿が口だった。そして説明の板には、「三猿塔の由来」から始まり、「奈良朝の昔、此の辺の交通は至極難渋であって、警告を渡る事などは思いもよらなかった。茲に桂川渓谷は、奥は小金沢から大菩薩峠に続く大幽谷で、当時此の辺は老樹うっそう昼なほ暗き原始林に覆われていた。猪や鹿、ことに山猿は群れをなしていた。或る日白毛の老猿が、欅の枝に吊下ると小猿共は互いに手足をつないで向岸の藤蔓にとびつきながら懸橋の形となり、それをたよりに両岸を往来した。之にヒントを得た、百済の造園の博士、芝蓍麻呂(しきまろ)が構築したのが、日本三奇橋の一ツと呼ばれるこの猿橋であるとの伝誦(でんしょう)から現在白猿の霊像が祀られている。茲に三猿の塔を造成しその霊徳を萬世に伝へる事にした。かつて詩人野口雨情は此の地に遊び 甲州猿橋 お山の猿が お手々つないで かけた橋と唄われた」と書かれ「昭和三十五年四月 大月市観光協会猿橋支部建之」と結ばれていた。

「せめて手をつないでいればよかったのにね」と私が言うと、田口は心底どうでも良いといった顔をした。

「ところで、この何もしない兄弟猿を見に来たの?」

「まさか」そういうと、私は煙草を灰皿に捨て「こっち」と言って、手を引いた。


 猿橋の上に立つと「綺麗と言えば綺麗だけど、寒いな」と田口は言った。

「夏に来た時はもっと美しかったのに」そう呟くと、所々色の剥げた木々が心ぶれたように並び、その下を削り取るようにして剥きだしになった岩肌の間に流れる川――それさえも夏にみたより随分色味を欠き、水面に映り込むその景色もまた同党に心ぶれていたので、随分汚らしく見えた――に目を落とすと、酷くがっかりした。

「これだけ?」と田口が言うので

「近くに郷土資料館があるけど、寄っていく?」と訊くと

「いや、いい」と首を振った。

 私たちはタクシーに戻り、運転手にお礼を言うと「三つ峠の登山口まで」と言った。「西桂け?」というので「河口湖の方。浅間神社じゃない方で」と答える。「えらい遠回りじゃんけ、グリーンセンターにしろし」と言うので、体力がないから、あっちの登山口の方で往復しようと思っていた事を伝えると「西桂の方がいいっつこん。おみゃーこの時間じゃ頂上まで行って戻ってくりゃあまっくらだよ、達磨石まで送ってやりゃあ、丁度いいら」と言った。それを聞いた田口は、やっぱり登山か。と、ぼそりと言い、私は「じゃあ達磨石までお願いしていいですか」と言った。

 四十分ほどで達磨石にある登山口に着くと、「けえりはどうするでえ」と運転手が訊き「六時間後にまたここに迎えに来てもらってもいいですか?」とお願いすると「四時には暗くなるじゃんね、三時半くらいにしろしね。それ位にはここに居るから、それまでには戻ってこうし」と言った。

 運転手を見送るより先に歩き出すと、田口は「地元こっちなの?」と訊いた。

「こっちというか、ここよりもっと長野の方よ。でもここに父方の実家があるの。今はおばさんが一人住んでるけど、今日、明日は旅行でいないから好きに使って良いって」そう説明すると

「まさか泊りだったの?」と、驚いたように言うので

「何も持たずにあんなところに落ちてた人が何をそんなに驚くのよ」と私も驚いて返すと、

「それとこれは違うんだよ。物理的な荷物の準備の話じゃなくて、心の準備が要るんだよ」と零した。「急がないと暗くなるわよ」と言い、辺りに落ちていた丁度いいサイズの木の枝を二つ拾って、一つを田口に渡した。

「なにこれ?」

「杖の代わりにして使うの。あると楽よ。まあそんな難しい山でもないけど……」

「ふうん。で、ここで何の仕事をするの? 俺は何を手伝えばいい?」

「ああ……、」そういえばそんな事を言って田口を連れ出した事を思い出し「毎日あんな狭い街の狭い部屋に居たら気が狂っちゃうでしょ、たまにはこういうところでのんびりしたくなるのよ。一人旅も嫌いじゃないわよ、でも今日はリフレッシュしたくて来たの。そういう時ってね、誰かと一緒に出掛ける方がいいの。ああじゃない、こうじゃないって言い合うの。何かを食べるにしても、おいしいね。とか、そういう事を言い合える相手がいないと駄目なのよ。全部ただの独り言になっちゃうの。今日のあなたの仕事は私と思い出を共有することよ。思い出って共有されないと、ちゃんとした形で保存されないのよ。出鱈目な事になっちゃうの。知ってた?」私がそう適当な事を言うと「さっぱり分からない」と言った。「ただ、分かるとすれば、誘う人を間違えたんじゃないかって事だよ。今の俺に何時間も山道を歩けると思ったの?」

「あなた真面目ねえ、誰も頂上まで登らないと死んでしまうなんて一言もいってないんだから、気楽にしたらいいのよ。駄目なら引き返せばいいの。二時間歩いたらそこで折り返す。とかね。疲れたら教えて、休憩も取らないと」

「なるほど?」

「この山、登山口はいくつかあるけど、こっちから頂上を目指すコースが一番時間がかかると思ったのよね、でも、達磨石まで車でこれるなら、頂上までそんなに掛かんないわよ」

「そんなってどれくらい?」

「そうねえ……、上り三時間、下り二時間ってところ?これで丁度三時半」

「それって五時間でしょ? 結構な気がするけど……」

「そう? 余裕があったら木無山の分岐まで行きたいけど、屏風岩まで行ければ充分かしら」

「そこに何かあるの?」

「眺めがいいのよ。少なくとも冬の猿橋よりは」

「猿橋はまた夏に行こうよ、そんなにきれいだって言うならさ、ちょっと見てみたいな」

「男の人って、どうしてそう軽々と嘘を吐くの?」

「嘘じゃないよ、この瞬間はそうしたいと思っているけど、言った事を忘れちゃうんだよ」

「それと嘘の何が違うの?」

「その約束が永久だと思ってるんだよ、どちらかが死ぬまでに叶えられれば問題ないんだよ」

「忘れているのに?」

「そりゃそうさ、破った訳じゃないじゃないか」そう言ってすぐ「ちょっとまって、この会話は夜にしよう、君、歩くペース早くない?」と、田口が既に息を切らせて言った。


 僅かに残った紅葉を眺めながらつづら折りを抜け、馬返しまで歩くと「ここから道が急になるから、休憩をとっておこう」といって、ベンチに座るよう手で合図をすると、私はリュックサックからサーモスのステンレスボトルを出した。「こんなもの背負って歩いてたの?」と田口は驚き「重くない? 俺が持とうか?」と言った。「こんな既に息の切れてる人に持たせるような事しないわよ」といって、「温かいコーヒーと、常温のお茶どっちがいい?」と訊いた。

「お茶を貰いたいかも」というので、私はボトルをしまって、ペットボトルのお茶とチョコレートを渡した。田口はチョコレートを頬張ると、「うまい」と言うので「あなた、なんでもおいしいって言うわね」と感心する。

「木無山までは行けそう?」

「まだなんとも」

「急ぐ?」と訊くので

「また来ればいいのよ。猿橋に行くついでに」と言って笑った。

「さっきまで寒いと思ってたけど、もう汗だくだ」と言い、田口は中に来ていたフリースを脱いで腰に巻いた。

「来なきゃよかった?」

「ううん、すごく気分がいいや」

「人が多く入る山だから踏み鳴らされていて、私みたいな素人でも登りやすいのよね」

「え? 慣れてるんじゃないの?」

「まあ男を拾うよりは慣れてるわよね」

「根に持ってる?」

「まさか!」

「でも、こんな近くで富士山を見たのも初めてだし、いいもんだね」そう言いながら田口は思い切り息を吸い込んで「なんかこの時期の山って雪が積もってるイメージだったけど、まったくそんなことないんだね」と言った。

「もう二、三日じゃない?十二月の頭くらいにはもう積もってた気がするんだけど」そう言うと、都会では聞き慣れない種類の鳥の鳴き声が上から降ってきた。「もうそろそろ行こうか?」と田口から言い出し、私は再びリュックを背負った。

 八十八大師まで来る頃には、「もう帰りたい」と言われるかと思っていたが、田口は私の心配をよそに、歩くペースを上げ「道はきついけど、楽しい」と言った。

「あの地蔵ってなんか意味あるの?」と訊くので

「聞いた話だけど……、四国のお遍路さんって分かる?」

「なんだっけ、八十八か所めぐるやつ?」

「そうそれ、遠方で四国に行けない人のために、それを模倣して作ったとか言ってたかな。江戸時代からあるみたいよ」

「へえ……、ちょっと近くで見てきていい?」

「どうぞ」

 そう答えると、田口はお地蔵さんの顔をまじまじと見つめ「こういうのって、顔が違う理由ってなんだっけ、会いたい人に似た顔がいるんだっけ?」と言った

「それは三十三間堂の観音像でしょ」

「思ってたけど、君って物知りだよね」

「記憶力が良いだけよ」

「これ、八十八って言うけど、そんなにないよね?」

「風化やなんやで減って行ったみたいよ」

「へえ」と、気のない返事をすると「寒くなってきたから、早く歩こう」と言った。


 急登が終わる頃、三組目の老夫婦とすれ違うと「こんにちは」と挨拶をした。「よかったら、これどうぞ」といって、奥さんと思われる女性がチョコレートをくれたので、私はお礼を言うと、さくまのいちごミルクを代わりに渡した。

老夫婦が遠ざかると「こういうの、よくあるの?」と訊くので、「時々?」と答える。

「すれ違う人には必ず声を掛けてね、登る人から声をかけるのがマナーみたいよ。あとは……、まあ、今日は必要なさそうだけど、追い越すときは「お先に」とかね」

「へえ。なんかいいね、そういうの」

「意外。人は嫌いなのかと思った」

「それはないよ、人は好きかな。でも、厭になっちゃったんだよね。俺の事なんて誰も知らない所に行きたかったのかな、自分でも良く分からないけど」

「ふうん」

「ねえ、君って本当に俺の事知らないの?」

「あのねえ、それ自惚れっていうのよ。私の生活知ってるでしょう? どこにあなたの事を知ってる要素があるっていうのよ」そういうと、田口は私の顔をまじまじと見た後、声を上げて笑った。

 屏風岩に差し掛かると、田口は「なにあれ? ロッククライミング?」と訊いた。

「そうじゃない?」と言うと「すげえな」と言いながら、暫くの間、岩肌を降りてくる男性を見つめていた。

着地した男性が田口の視線に気付き「こんにちは、少しやってみますか?」と声を掛けて来た。「良い?」という風にこちらを振り返ったので「どうぞ」と私は大きく頷くと、田口は嬉しそうに男性に駆け寄って行った。

 どこに足を掛けると良いなどとアドヴァイスを貰った後、腰を押さえてもらいながらほんの一、二メートルだけ岩を登り「楽しい」といってすぐに着地する。「今度、もっと早くから来なよ、教えてあげるから」と男性は言い、私たちはお礼を言って先を急いだ。やってみたいけど、怪我があるから、復帰したら出来ないよなあ。と呟きながら、ところどころ凍り出し、氷柱の様になった湧き水を見つけると、手を触れて「つめたい」と言った。

「子供みたい」と私が微笑むと

「こういうの、すっかり忘れてたなって思ったよ」と言った。

「子供とこういうところ、来なかったの?」

「うちはなかったよ、奥さんが都会好きだったというか、虫とかそういうのが駄目でさ」

「へえ……」私は田口の反応が気になり様子を伺おうとすると、

「大丈夫だよ、そんなに心配しないで」そう申し訳なさそうに田口は言った。「うん」と私が返事をすると、お互い特に話すことを思い付けず、ぱき、ぱき、と、小枝を踏む音だけが残った。

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