第6話

 いつもの場所でタクシーを拾い、行き先を告げると、名刺入れの中から、一枚の名刺を取り出し、近からず、遠からず、と、呟きながら、装丁のイラストを依頼された際に知り合い、何度か共に仕事をした事のあるだけのデザイナーのひとりに電話をかける。
三コール目で彼女は電話をとり、珍しい人から電話が来たと笑った。

 彼女は、私と違い、連絡先を交換したその場で携帯に登録する様な女性だ。旬のものを要領よくおさえ、華やかな見た目と人懐こそうな振る舞いに反し慎重な性格で、私はそこを気に入っていた。私は慎重な人が好きだ。特に、腹に一物あると尚良い。

 私は仕事をする上で好意の有無の提示はしないようにしているため、彼女は必要以上に関わらない様、細心の注意を払っていたうちの一人だった。


 夜分に電話をした事を謝ると、日中に貰うよりは都合がいいと彼女は言った。

「早速で申し訳ないのだけど…」そう言うと、私は電車の中で調べておいた、田口の所属しているレコード会社の名前を挙げ、知り合いはいるかと訊ねると、三秒程時間をおいて、

「余計な事は言わず、訊かず、秘密を守ってくれる様な知り合いなら一人いる」と、言った。

 これから丁度三茶で呑む約束をしているので、顔を出せるかと訊かれ、私はあと二十分程で着けると思うと言うと、電話を切り、タクシーの運転手に目的地を変えて欲しい旨を伝えた。




 三茶の駅前でタクシーを降り、着いたこと連絡すると、店の名前を告げられ、迎えに行くか訊かれたので、そこなら分かると思うと言い電話を切った。

三角地帯にある居酒屋に入ると、私に向かって手を振る女性が見えた。彼女が座る四人掛けのテーブルに駆け寄ると、突然連絡してすみませんと声を掛け、向かいの席に腰を下ろし、鞄とコートを隣の椅子に乗せた。




「取り敢えず、何呑みます?」と聞かれたので、私は瓶ビールをお願いすると、
彼女のよく通る声がそれを繰り返した。銘柄は?というので、さっとメニューに目を通し、ハートランドで。と答える。




 彼女は頬杖をついて、にやにやしながら、
「パチさんから連絡がくるとは思わなかった」と言った。私が曖昧な顔をしていると「だってパチさんは、してもらう事に慣れてる人だと思ったから」と言って笑った。
近寄ってくる人、連絡をしてくる人、その中から関わる人を選ぶ人。と、彼女は続けた。
「私はパチさんとは逆なんですよ。最初から選んで声を掛けるんです。だからといって私はパチさんを省いたわけではなくて。どんなに関わりたいと思う人でも、こちらから声を掛ける事によって、その後の関係が変わってしまう人っているんですよ。そう言う人には、私は自分から声を掛けない。偶然が重なるのを待つんです。そう言う人は必ず関わるタイミングが来る。パチさんの場合もね、そういう感じかと思ってたから」と言うので、私は少し、しまったな。と思った。
「なんとなく。ね、近い種類の人間の匂いがしたんで。まあ、パチさんも分かってるから連絡をくれたんだと思うけど、ほら、他にもそっち系に強い知り合いは幾らでも居るわけで……まあ、その表情を見ると、半々ってとこですかね? まあ、最初の直感を信じて貰って大丈夫。私のことはあまり警戒しなくても良いと思いますよ」と言う。

「佐々木さんは、占い師としてもすぐ売れっ子になれそうだね」というと

「学生の頃アルバイトでやってましたよ。稼げるけど、あまり楽な仕事ではないですね、私みたいなタイプの人間には逆に向いてないんじゃないかな。ああいう、人の心をダイレクトに受けるやつ。それにほら、ああいうのって、そういう種類の人が拠り所にするんですよ。自分本位でしか物を考えられないのに、自分がないっていうのかな。上手くいかなかった時に、占いの所為だといって当たり散らされたりは、まあ良くありますけど。

 最初は良かれと思って言うじゃないですか、占いの結果をある程度搔い摘んで。で、相手の反応が良いと、次第に私も調子にのって伝え過ぎてしまったり、伝えなくていいはずの真実まで教えてしまったりして……、ほら、自分にとって都合の良い事以外は受け止められない人っているじゃないですか。そうするとインチキ呼ばわりされたりするんですよ。

 後は……、依存しすぎるっていうのかな。もう自分では何も決められなくなってしまって、5分置きに『言われた通りにしました、次はどうしたら良いですか?』って電話が来たりとか。占いを利用しすぎて破産した人もいるんですよ。

 自分が今占っている相手が、真実をどこまで許容できるのか。それを見落としたり、見誤ると、どんどん辛くなって行っちゃうんですよね」

 そう言いながら彼女はメニューを眺め、いくつかを指差すと

「食べれないものあります? 食べたいものとか」というので、

 ない。と答えると、指差した順にメニューを店員に読み上げて行った。

 彼女は私の方に向き直ると
「そうそう、もう少ししたら来ると思うんですけど……。電話で言ってた人、余計なことや、自分発信での噂話はまず言わないタイプだと思って貰って大丈夫です。パチさんの言ってた会社で働いていて、主に現場がらみの人になるけど、目的の人物には近そうですか?」と言うので、私は小さく頷いた後、近からず、遠からず、話してみないと分からない。と首を振った。それを聞くと彼女は、目線を下げ、紫檀色に塗られた綺麗な楕円の形をした、つるりとした爪を触りながら言った。
「ちなみにその人、私のセフレなんです。お互い共通の知人は幾らか居るけど、私たちの関係は誰も知りません。知ってるのは、私の大学時代の友達一人と、パチさんだけです」

 彼女がそう言うので、私は彼女の顔をまじまじと見た。彼女は変わらず目線を落としたままだったので、視線が交わることはなかった。私は顎のあたりで切り揃えられた艶やかな黒髪を小さな耳に掛ける彼女の仕草に目線を移すと、彼女は私の視線に気づいていたのか

「だって、人付き合いに慎重そうなパチさんが、たいして関わった事もない私を態々頼るくらいですから、きっとそう言うことなんでしょう? 例えそれが、パチさんの一方的な都合によるもので、どんな種類の話であったとしても……、まあ、こんな事を言ったところで、だから何だと、そう思われるだけかもしれませんが……、ただ一方的で居るのは居心地が悪いので」と、彼女は笑った。

 それは、ちょっとした秘密の共有を繰り返してたわわになるような、女の子特融の人間関係の築き方のマニュアルの一つにあるもののようにも思えたが、彼女が言うとそのままの意味ではなさそうな気がして相槌を打ちそびれていると、彼女はまた口を開いた。
「一度酷く落ち窪んだことのある人って、わかるじゃないですか。


 そういう人って、どんなに卒なく立ち居振る舞ってみせても、選ぶ言葉一つに、その日々が見えちゃう瞬間ってあるんですよ。私ね、こう言う会話自体、するの、久しぶりなんです。だから、上手く言えてるか分からないんだけど、こういう種類の会話って、自己陶酔の延長線上のものと捉える人や、表面だけ削って、なんだ、メンヘラかって立場に段差をつけたり、本当は何も分かってないのに、自分だけは理解していると言う言葉を旗のように高く掲げて近寄ってくる人とか……、いるじゃないですか。何て言うか、これらの反応って、私の中では全部『はずれ』なんですよね。『正解じゃない』っていう意味でのはずれ。私がどれ程言葉を選んで喋ったとしても、分からない人には分からないし、私が言おうとしている本髄は伝わらないな。って、思うんですよ。でも、それって生き方だから、馬鹿にしている訳でも、見下してるわけでもなく、ただ、違う生き方をしてきた人。って、いうだけなんですけどね」


 そう言うと彼女は、運ばれてきた料理を受け取りながら、彼女自身が身につけている二百五十種類ある笑顔のうちのひとつを選び、さっと顔に嵌めると店員にお礼を言った。
「今から紹介する人ね、もう十年くらいの付き合いなんです。自分が弱っていた時期に一番近くに居てくれて、あの人のおかげである程度なんとかなってたんですが……、そうすると、どんどん依存して行くじゃないですか。まだ若い頃で、酷く揺らいでしまう時期って、あるじゃないですか。丁度その時期だったんですよね。あの人、本当に余計なことは言わないんです。余計なことさえ言ってくれないから、私はどんどん疑い深くなって、先を読んで、慎重になって、そのうち他にも良くないことが重なって、私はあっという間に精神をおかしくしてしまって」
 そこで言葉を切ると、彼女は残っていた白ワインを呑み干し、ワインは飲めるかと訊くので、私は、赤でも白でも。と答えると、彼女は店員を呼び、フルボディの赤ワインで適当なものをボトルで、グラスは三つ欲しいと言った。
「って、なんか全然関係ない話を一方的にしてしまってすみません。パチさんとプライベートで会ったら言いたかったことと、今回のことをフォローしたい気持ちが一緒くたになって、何の話かわからなくなっちゃいました」
 彼女がそう言い終わり、赤ワインとボトルが運ばれる頃、背が高く、着古した、けれど上等そうなキャメル色のコートを着た男がやってきた。


 私は心の中で、弱ったな。と、苦笑いする。


 私と彼女はおそらく似ている。勿論私には彼女のような人懐こさも、華やかさもないが、ただ、似ているところがある。それも、本当に陸でもない部分が。



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