第275話 向けた背中は拒絶じゃなくて-2
我慢は当然のことで。
それでも好きにさせろ!と言いたくなるのは、身勝手な母親のふるまいに他ならない。
「我儘ゆーなって、叱っていいんだよ?」
茉梨一人分の重みを預けたくらいでよろけたりしない事は分かっていた。
学生の頃も、今も。
勝は懐に入れたら全力で守るから。
肩に頭をもたせかけたままで問いかける。
だってこれは、八つ当たり以外の何物でもない。
だけど、勝は穏やかな表情のままで答えた。
「別に叱られるような事してないだろ」
擽る様に髪を撫でた勝が、そっとお腹に手を当てる。
”叱られる”は自分が悪いと自覚しているから。
茉梨の可愛いところはこういうところだ。
拗ねるのだって甘えるの内。
「お前のは、八つ当たりにもなんねーよ」
「おお・・・おっとこまえ発言」
「・・たまにはかっこつけさせろ」
いつも男前なのは茉梨の方なので。
駆け出す茉梨を窘めて、慎重に足場を整えるのは勝役目だ。
だけど今は違う。
茉梨がそろそろと足を踏み出す場所が、絶対の場所である事を、先に駆け出して確かめておく必要がある。
”家族”の守り方なんて、分からないけれど。
腕に留めた茉梨が、目を向けて歩き出す世界、その全部が味方であるように。
茉梨を傷つけることのないように。
今ある全ての力で、茉梨の世界を彩っていく。
鮮やかに穏やかに。
溜息交じりの告白は、茉梨の嬉しそうな笑顔に溶けた。
相変わらず白くて小さい茉梨の掌を広げて、勝がしみじみ呟く。
「やっと手を引いてやれるな」
「ふえ?」
「お前走ってばっかだったから」
「そうかね?」
適度にスキップくらいのつもりでしたのよ、と茉梨が笑う。
「嘘付け。いつでも全力疾走だろ」
「だってさ。一緒だと、楽しくて」
見せつける様に茉梨笑う。
何度見ても眩しくて、目を伏せたくなる。
この絶対の信頼を、かけらも失わない事、裏切らない事。
それが、自分を支える全てだから。
目まぐるしい毎日。
いつだって明るい方へ、眩しい方へ、引っ張ってくれたのはこの小さな手だったから。
立ち止まって、迷う度、問答無用で引き上げる茉梨の力強さは、華奢な見た目からは計り知れない。
そんな毎日だったから、慌てるな、と手を掴んだ事はあっても、彼女を導いてやるような事は一度としてなかった。
相手が矢野茉梨だったので、当然と言えば当然なのだが。
だけど、これからは違う。
坂道や階段は手を引いて。
時には抱えて、引っ張り上げて。
これまで茉梨が与えてくれたものを、少しずつ。
彼女と、生まれてくる新しい命へと返す。
「並んで歩くのもいいけどさ」
次に何が起こるか分からない茉梨との散歩は、いつだって新しい発見がある、とびきりの冒険だ。
肩を並べて視線を合わせて笑い合うたびに、何度も何度も幸せを貰ってきた。
逞しくもあり、頼もしくもある華奢な背中に。
「俺にも、ちゃんと守らせて?」
「・・・」
予想だにしなかった勝のセリフに、茉梨が目を丸くする。
そんなに驚かなくても・・と突っ込みかけた勝の耳に、茉梨の言葉が届いた。
「これまで、ずっと危なくなかったのは、勝のおかげだよ?」
「え・・・」
「いっろいろして、めっちゃ楽しくて、楽しいばっかりで埋め尽くして来れたのは、あんたが全力であたしの背中、守ってくれてたからでしょう?」
上目使いに勝を見上げて、茉梨が確かめる様に告げる。
「いまみたいにさ」
「・・・あー・・うん・・じゃあ、そういうことにしといて」
これ以上下手なことを言えば、うっかり泣いてしまいそうで、勝は茉梨の肩に額を預けた。
ゆっくりと息を吐く。
繋ぎ止めた掌に守られてきたと思っていたけれど。
この手は、きちんと茉梨をくるみこんでいたらしい。
彼女が泣かずに済むように。
「あのさ、来週ね」
「んー?」
「写真めっちゃ撮って来てね。100枚約束」
女子じゃあるまいし、さすがにその枚数は無理だろうと思ったが、勝は反論を飲み込んだ。
「ひゃく・・・おー・・」
「そんで、安定期入ったら、もっかい同窓会することって、センセと和田っちにゆっといて」
「わかったよ」
「それから、あたしの分も、全力で遊んでくること」
「うん、全力な。約束する」
「それとね、勝」
「うん」
「大事にしてくれてありがとう」
「それはもう、俺の義務だから」
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