第268話 お泊り会と旦那様の主張-2
「それはねー。ずっと昔っからなのよ、ひなちゃん」
勝ち誇ったように言い切った茉梨が、枕持ってくるーと千鳥足で立ち上がる。
茉梨が率直すぎる位真っすぐに言葉を投げるのは今に始まった事ではない。
が、女傑3対1の多勢に無勢の状況下において、視線を泳がせる以外に勝がこの微妙な空気を逃れる方法は無かった。
バタンとリビングのドアが閉じる音で我に返って、立ち上がる。
「茉梨、待てって、持ってくるから!また落っこちたらどーすんだよ」
「え、もう既に落っこちた事あんの?」
「あるよ!二度ほど、寝ぼけてな」
茉梨の実家とも、勝のアパートとも違う間取りに馴染めて居ない頃、寝ぼけまなこで階段を降りようとして足を滑らせた事があった。
幸い大怪我には至らなかったが、とんでもない爆音に勝が肝を冷やしたのは言うまでもない。
こればっかりは、人感センサーも役に立たない。
頼むから、足元見ろ、と茉梨に念を押すしかなかった。
ふらふらと二階に上がっていく茉梨を追いかけて、どうにか階段を上り切った所で捕まえる。
躓いたり、足を踏み外したりしなかった事にホッとすると同時に、ぐてん、と後ろに預けられた体重に、やっぱりフラフラじゃねーか、と天井を仰いだ。
宅飲みだからと油断した、止めるのが遅かった。
「あのねー・・・枕ぁ・・・いつも、の、ね、あれ、ね」
「おいこら酔っ払い。お前本気で下でみんなと寝るの?」
かけらも躊躇わずお泊り会を主張してきた事への意趣返しのつもりで問いかける。
少しくらい、躊躇ってくれても良かったのに。
「んー・・ね、る・・・」
「あっそ」
「だって、せっかく来てくれたんだから、おもてなしー・・を、ね」
「あーはいはい。分かったよ」
「淋しいなら・・・勝も一緒に寝よっかー・・・」
「あのな、そんな事したら、俺が和田と柊介に怒られるわ」
「ええー・・っ肝のちっさい男だぁなぁ」
「嫌、立場逆でも俺も同じ事言うから」
「・・・そう、なの・・?」
「お前の寝相が悪いの知ってんのは俺一人で十分だよ」
遠慮なしの力で、自分を全部預けて来る茉梨は、いつだってこちらの都合はお構いなしだ。
今だって、勝が倒れないと確信しきっている。
回された腕が絶対離れて行かない事も。
どうせ起きたら殆ど記憶が飛んでいるのだから、そんな相手を本気で相手しても意味がない。
だけれど、酔っ払い相手だからこそ、いつもは零せない本音も零せるというもので。
「俺は、茉梨が隣に居ないと、落ち着いて眠れそうにないんだけど・・・」
いつからか当たり前になった腕の中重み。
抱えて歩く覚悟をしてから、その感じ方は随分と変わったけれど、手にする重みは増えるばかりだ。
新居に越してきて初めて、同じ家で、別々に眠る夜。
片時も離れたくないなんて、言ってくれるわけがない事を最初から知っていたけれど。
「じゃあー・・・お泊り会終わったら、夜這いするからー・・・待ってて?」
真上を見上げて悪戯な瞳を煌めかせて、茉梨が秘密を打ち明けるように囁いた。
夜這いなんて、茉梨からもっとも縁遠い単語だ。
違和感があり過ぎて余計落ち着かない気分になる。
それでも、置き去りにされなかった自分の心がほんの少し報われたのは事実で。
「夜這いとか、お前が使うのは百年早いっつの」
悔し紛れに額にキスして、預かっていた体重をそっと離す。
酒精で温まった身体は湯たんぽのように暖かい。
これを知っているのに、抱きしめて眠れないのはなかなかに拷問だ。
それでも、茉梨から楽しみを奪うなんて、絶対に出来ないけれど。
「ええええー・・・本気なのにーぃ」
「はいはい、分かったから。ほら、枕持って戻ろうな。リビングに布団敷くなら、あの宴会場どうにかしねーと」
茉梨の手を引いて、寝室から持って来たお気に入りの枕を抱えて再びリビングに戻る。
すでにテーブルの上は、綺麗に片付けられていて、あっという間にリビングがお泊り会の会場になった。
遠くでドアの閉まる音がして、ゆっくりと意識が引き戻された。
潜り込んだ布団の感触がいつもと違って目を開ける。
ここが茉梨達の新居で、今日がお泊り会だったと思い出すまでに5秒。
それから、明かりの消えたリビングを見回して、端っこの布団が空になっている事に気付いた。
「え・・多恵・・・」
幼馴染を呼ぼうとして、すぐ隣で熟睡している多恵が居る事を確かめる。
と言う事は。
「茉梨ちゃん・・」
さっき聞こえたドアの音は、たぶん、そう言う事なのだ。
置き去りにされた枕を眺めて、あー・・いいなあ、と呟いた。
急に人恋しくなってしまった気持ちを持て余して、心地よさそうに眠る多恵にぴったり寄り添って目を閉じる。
甘えるようにすり寄って来る多恵の髪に頬を埋めたら、淋しさがほんの少し遠のいた。
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