第267話 お泊り会と旦那様の主張-1

「で、茉梨、あんたどっちで寝んの?」


今日だけは無礼講、という事で、深夜帯に差し掛かってから開けられたスナック菓子のパッケージも見て見ぬふりをした。


言ってもどうせ聞かないし、言った所でどうなるものでもない。


ほろ酔い気分の茉梨は上機嫌で缶チューハイを口に運ぶばかりで、話の半分も頭に入っていないのだから。


呑んでもあまり顔に出ない多恵が、ハイボールの缶を揺らして、あ、もう空だ、と呟く。


無言でその缶を引き取ると、本日も行儀よく控えめに呑んでいたひなたが、いつもよりもほんの少し上気した頬を押さえながら、ごめんねー、貴崎くん、と口にした。


常日頃から柔らかい雰囲気のひなただが、酔うとさらにふわふわのゆるゆるになる。


頼むから、外では自重してくれと懇願する和田の気持ちがほんのちょっとだけ、理解出来た。


これはどうみても文句なしに可愛い。


写真のひとつでも撮って、送りつけてやろうかと思ったが、その後が怖いなと思って諦める事にした。


温厚な聖人君子であらせられる和田竜彦の唯一の泣き所は、殊更善良で擦れた所の無い可愛い恋人だ。


本当は今日のお泊り会も、あまり乗り気では無かった事を勝は知っている。


生真面目な性格故絶対に嵌めを外したりしないひなたが、こうも柔らかい表情を見せるのは、他ならぬ身内が傍にいるせいだ。


この顔を出来れば外に出したくない和田としては、理解のある優しい彼氏を演じつつも、内心悶々としていた事だろう。


かくいう勝も、茉梨が我が家でお泊り会!と言い出さなかったら、ちょっと迷ったかもしれない。


茉梨は気に入った人間には、とことん上手に甘えてしまうから。


古いけれど思い入れのあるボロアパートを出て、漸く念願のマイホームを手に入れてから数か月。


広々としたリビングに、使い勝手の良いシステムキッチン、人感センサー付きの間接照明が完備の廊下に、寝室と客室が揃った完璧な我が家の初めての宿泊客となったのは、高校時代からの友人である井上多恵と望月ひなただ。


女だけの外飲みは何かと不安が付きまとう、という3人の旦那と恋人たちの意見を総合した結果、宅飲みという結論に落ち着いた。


必然的に開催地は唯一の既婚組である貴崎家となったわけだが、寝る時の事までは考えていなかった。


勝としては、当然客間で多恵とひなたが眠って、茉梨はいつも通り自分の隣で眠るものだと考えていたのだ。


「どこって、ええー一緒に寝ようよー。お泊り会から主催者外すとかありえないでしょー」


迷う事無く楽しそうに答えた茉梨の返事を聞いて、一瞬瞠目した勝の様子を、多恵だけはしっかりと盗み見ていた。


「え、でも、貴崎くん、さみしくない?」


心配そうに問いかけてくるひなたに、余裕の表情を向けて見せるも、斜め前からあざ笑うかのような忍び笑いが追いかけて来る。


「いや、そう言うと思ってたから。茉梨、後で納戸の布団、持って上がる事」


客室のクローゼットに収められているのは二組の客用布団だけ。


もう二組の布団は、圧縮パックに詰められて、納戸に保管されていた。


「んー。よろしく頼もう」


「こら、またそうやって人任せに・・」


「人じゃないもーん。勝だから頼んでるんだもーん」


「屁理屈捏ねるな。後、もうチューハイそれで終わりな」


「えええ!?やだ!家飲みなのにー!!倒れるまで飲むよ!」


「それはやめて、茉梨」


矢野、という苗字呼びから最近漸く名前呼びに慣れた多恵が、すかさず突っ込む。


こういう時第三者がいるのは有難い。


茉梨といると、突っ込み疲れすることがままあるのだ。


そのくせ本人がこの上なく楽しそうなのが悔しい。


「茉梨ちゃん、酔いつぶれちゃったらお泊り会の意味なくよー」


ひなたが尤もらしい名言を繰り出して、茉梨がとろけそうな瞳をぱちぱちとしばたたかせた。


「おお!さすがひなちゃん!!言う事がちっがーう!ほんとだ!久々に枕投げ、やる!?」


「余計良いが回るでしょー、絶対あんた一番に寝る癖に」


「起きてますー。こう見えて宵っ張りよ!?」


「嘘つけ。ごめんな、はしゃいでるから、絶対すぐ寝るわコレ」


経験則からそう断言する。


こういう妙にハイテンションの時は要注意だ。


布団に寝かせた瞬間おやすみ3秒ならまだ良い方。


これまで何度も店先から茉梨を背負って帰った勝の言葉に、多恵とひなたが顔を見合わせて笑った。


「貴崎くん、大変だねー・・幸せそうだけど」


「あはは、ひなた、口緩くなってる」


「ええー・・だって、本当の事だもん。いっつも思うの。茉梨ちゃんといる時の貴崎くんて、幸せそうだなーって」


「んー、それはあたしも同感」


にやっと笑った多恵が、茉梨の飲みかけの缶チューハイを取り上げて口に運んだ。


多恵から繰り出されるからかいの言葉には幾分か慣れているけれど、いつも控えめなひなたの口から飛び出した感想に対処できるだけのスキルが無い。


しみじみと語られる言葉の端々に、温かな愛情が感じられるから、無下に否定も出来ない。


善良な人間が零す心の底からの言葉というのは、どうにもむず痒くて、気恥ずかしくて、答えに困る。


黙り込んだ勝を助けたのは、茉梨の空気を読まない爆弾発言だった。


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