第286話 家族旅行そのに

バッチリお参りも済ませて、腹ごしらえに予定通り伊勢うどんのお店へ。


昼時を外して、ちょっと早めの時間帯に昼食を入れた為、店は閑散としていた。


小さい子供連れで行くと、どうしてもお店や他のお客さんに迷惑がかかるので、時間や店を選びがち。


今日はばっちり大当たりといったところだ。


年配の夫婦が一組だけ端のテーブルに座っている以外は、誰もいない店内。


ベビーカーが邪魔にならない奥の席に座って、月見と海鮮の伊勢うどんを一つずつ注文する。


彼方をベビーカーから降ろして、あやす暇も無く、うどんが出てきた。


「おおーこれがアノ伊勢うどん!!」


きしめんのような太目の麺に、溜まり醤油のようなまろやかなコクのある、伊勢醤油がかかっている。


茉梨が満面の笑みで拍手した。


「そうそう、アノ伊勢うどん。って、話題になった事あったか?」


「んー、何となく、ゆってみただけー」


「あそ」


「はーい、写真撮るよー。彼方こっち向いてー、ハイ、伊勢うどんー!」


スマホ片手に自撮り用のフロントカメラにピースする茉梨。


カシャっと小さな音とフラッシュの光。


「その掛け声なんだよ」


「えー。ご当地的な?見てみて、ふっしぎそーな彼方の顔」


マイペースな茉梨が、画像を覗き込んで笑顔を浮かべる。


「そりゃいきなりカメラ向けられて、伊勢うどんって言われても、わけわかんねーよ、なー彼方。ママに何か言ってやれ」


膝の上に抱いた彼方の頭を優しく撫でる勝。


「あー、いーなー。あたしもー」


茉梨が自分を指差して言った。


こういう所は、出産前も、出産後も変わっていない。


勝は彼方の頭に置いた手を離して、希望通り、茉梨の頭を撫でてやる。


茉梨がさらに笑みを深くした。


心底幸せそうな妻の顔に、勝も気を良くする。


仲睦まじい両親の様子を見上げていた彼方が、テーブルを指差して言った。


「まんま!」


「あはは!はいはーい。まんましよーね。彼方用におうどん小さくするから待ってよー」


ママバックから、調理ばさみを取り出して、茉梨がお椀に分けたうどんをちょきちょきと小さく切る。


「ママの魔法でさらに美味しくなるぞー」


美味しくなーれ、美味しくなーれ!


と呟きながら、茉梨が作業を続ける。


「んー、まんまー」


「もーちょっと待ってろ、な」


更に空腹を訴える彼方の頭にキスをして、勝が宥めた。


「あーいーな!」


すかさず突っ込む茉梨に、これまたすかさず勝を切り返す。


「今は無理」


「いいもーん、後でしてもらうもーん」


けろりと言い返した茉梨が、動かしていた手を止めた。


「さー出来たぞー!母ちゃんと伊勢うどんのコラボレーション!召し上がれー」


細切れになった伊勢うどんの椀を差し出す。


勝が小さなスプーンで、彼方の口元へと運ぶ。


「あー、あーん、ちょっと待って!」


急いでスマホのカメラを起動させた茉梨が、左手で丸を作った。


「さー現在、貴崎家はかの有名な伊勢神宮にやって来ておりまーす!お参りも終わって、彼方は人生初の伊勢うどんをお口に運ぶところでーす。さー彼方ぁ、準備はいいかーい?」


「おー」


勝が彼方の右手を持ち上げて返事をした。


「では、歌って、じゃなくて、召し上がって頂きましょう!伊勢うどん、どーぞ!」


GOサインを受けて、勝が、今度こそ彼方に伊勢うどんを食べさせる。


「そうそう、でっかい口で、あーん。おー上手だなー、彼方ー」


お手本通りのあーん、をした息子を手放しで誉めて、勝が、茉梨と一緒になって彼方の顔を覗き込む。


もぐもぐ口を動かした彼方が、ゆっくりと伊勢うどんを嚥下した。


「彼方くーん、お味はいかがですかー?」


「んーまんまー!」


勝が苦笑交じりで彼方の言葉を翻訳した。


「美味いってさ」


「美味しい!?良かったねー!えーっと、この後は、海とか見て帰りまーす!」


一先ず録画を停止した茉梨が、ようやく自分の食事にありつく。


「彼方変わる?」


「いいよ、先食いな」


「じゃあ遠慮なくーいっただっきまーす」


両手を合わせた茉梨が、月見卵をぐるぐるとかき混ぜる。


「こうやってさー、たっくさんの初めてを、いっぱい作っていくんだーねぃ」


嬉しそうに茉梨が言った。


「家族が増えると、色々新しい事盛り沢山だな」


「楽しい事が、いっぱい、だね。とゆーことで、はーい、パパもあーん」


「え、やだ。それごと寄越せ」


「ダメー」


「何でだよ」


彼方に細切れ伊勢うどんを食べさせながら、勝が拒否する。


家の中ならともかく、閑散としているとはいえ、外で、妻にあーん、とか恥ずかしすぎるだろ!


「んー・・!」


「そうそう、しっかりもぐもぐすんだぞ、彼方―。・・・はい」


彼方用のスプーンを器に戻して、右手を開けた勝が掌を開く。


ここにそれを載せろ、と目で訴える。


が、茉梨は笑顔で首を振った。


「いーの」


「なにが」


「あたしがしたいのー。いーでしょ。たまにはさー」


「いや、たまにっつか、外!」


「えー、これ位なにさー。今更ためらう理由が分かりませんなーワトソン君」


「躊躇うっつの、つか、今ホームズいらねぇし」


「僕と君の仲じゃないかね。ねー彼方はこーんな上手に、あーんってしてくれるのにー」


彼方の頬についた伊勢醤油を指で拭って、茉梨が笑う。


今後は自ら彼方に伊勢うどんを食べさせながら、続けた。


「だってー、彼方と一緒にする初めてだしさー、美味しいご飯の一口目は、あたしが、勝に、食べさせてあげたいんだもーん。超身勝手な自己満足ですー。文句あるか―ワトソン君」


スプーンから手を離して、もう一度綺麗にかきまぜた月見伊勢うどんを持ち上げる。


茉梨の笑顔を見つめ返して、勝は盛大に溜息を吐いた。


つくづく、茉梨は勝の喜ばせ方を分かっている。


茉梨の凄い所は、我儘を、我儘としてではなく、押し通してしまう所だ。


”あたし”の主観が、いつのまにか”俺”の主観になってしまう。


茉梨以上に、茉梨を喜ばせたいから。


白旗上げて、降参するしかなくなるのだ。


そもそも、昔っからなんでお前がホームズで、俺がワトソンなんだよ!?


とか、色々と言いたい事は山ほどある。


が、最初の一口は、勝にあげたい、とか。


なんか、もうとんでもない口説き文句だろ、それ。


言いたい事はぐっと飲み込んでしぶしぶ口を開ける。


「さっすが、勝。はい、あーん!」


茉梨が嬉しそうに伊勢うどんを勝の口に運んだ。


卵と伊勢醤油が綺麗に混ざって、まろやかな辛みが広がる。


「ん、美味い」


「んっふふー。良かった、良かった」


今度こそ茉梨も、自分の口に伊勢うどんをを運ぶ。


「んーんんー」


うどんを食べながら、満面の笑みで頷く茉梨。


この笑顔だけで満腹になるから怖い。


頬に零れた茉梨の横髪を、耳の後ろにかけてやりながら、勝がしみじみ呟いた。


「なんか、もーほんっとに、茉梨には負けるわ」


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